地底社会派大学の学生1年生(仮)

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卒論物語は休載{/eq_2/}

2006-06-19 | 苦しかった卒論
はい、久しぶりの投稿でございます。
ここで路線変更いたします。

結論から申しますと、
今まで卒論について綴ってきましたが、もう書くことをやめたいと思います。

研究室の方をはじめとする皆さんに「こういうことがあったんだよ」ということを
伝えるために、始めたものでした。

後ろめたいといいますか、過去をいつまでも引きずっているという
思いに駆られます。

ここまでブログで曝け出していいものなのか、
胸にしまっておくべきことじゃないか・・・などいろいろ考えました。

あまりにも身勝手で無責任なことかもしれませんが、ここで休載したいと思います。
休載した分、ブログを充実させていきたいと思います。

1月17日ごろ ようやく復帰

2006-05-26 | 苦しかった卒論
今度こそ「1月8日~15日 また引きこもり」からのつづきです。

16日、いや17日に本格復帰するわけだが、
自力で復帰したわけではない。ちょっとしたやり取りがあった。
そのころの私は、「どうせ僕なんか」という開き直りの気持ちもあったし、
「ゼミにいきなり現れては怒られるんじゃないか」という臆病な気持ちもあった。
「怒ったりしないから、顔を見せてほしい」というメールが何件も来た。
同じ研究室のある一人から、「何を考えているのか、さらけ出してみたら」
というようなメールが送られてきた。

私は自分自身、研究生や先生について考えていることをメールで送ってみた。
自らを否定的に捉えた内容だった。
このメールは現在も残されているが、この場で公開すべきではないだろう。
メールを送った後、研究生と電話をした。
苦しみ悩んできたことを文字という形にし、話すことによって今までのモヤモヤが
晴れた感じだった。
「前向きに生きていこう、失敗したらやり直せばいい、やれることからやればいい」
と考えるようになった。

そして一応13日に大学の場に戻ったが、まだそれは仮の復帰に過ぎなかった。
大学に行っただけだった。14,15日は土日ということもあって行かなかった。
16日は午前2時に起きて午前6時に登校、でもいすに座り込んで卒論をやっている
ふりをしていた。眠くてたまらなかったのだ。
先生と話をするべきだったのに、話をする勇気を持てないでいた。20時に下校。

翌17日、夕方に起床、研究生3名ほどが自宅を「襲撃」し、私は「捕獲」され、
連行された。それほど状況が切羽詰っていたのだ。
これ以上、先生と話し合いの場を持とうとしなければ見捨てられていく。
そういうシナリオがあったのだ。
連行された私は、先生と話し合いに臨んだ。
3月卒業を目指すということで合意した。
ただし今まで以上の努力を見せるという条件付だった。

私と同じ研究室で卒論に励んだ元研究生の皆さん、これで間違いないでしょうか?
あいまいな記憶に頼っているので、自信がないのですが・・・

ちょっと訂正

2006-05-25 | 苦しかった卒論
「1月8日~15日 また引きこもり」のつづきからです。
が、いきなり訂正です。15日まで大学に行かなかったと記述してましたが、
13日に大学に行ってました。手帳の記録に残ってました。
すいませんでした。しかし、この日は夕方以降に登校しており、
卒業論文の作業としては何もしてなかったと考えられます。

半年近くがすでに経過し、記憶もあいまいとなる中、残されたメモ・手帳・
携帯のメールを手がかりに書き進めていきたいと思う。

1月8日~15日 また引きこもり

2006-05-14 | 苦しかった卒論
どのようにして大学を卒業したか、振り返ってますが、
今日は今年の1月8日からの話です。

前回述べたとおり、再び自分に対する絶望感に打ちひしがれて
また8日から15日まで引きこもるようになりました。
そのころは非常なもので、精神的な深刻さを伝えるために、メールにも電話にも
答えませんでした。
怒られることを恐れていたと同時に精神的な弱さを嘆いているばかりでした。
そのために、私に関わるほとんどの方々に、大きな心配と迷惑をおかけして
しまいました。

引きこもっている間、大事なゼミを無断欠席しました。
その間にこんなことを考えてました。
放火事件のあった下関駅に行ってみよう。JR羽越本線脱線事故現場や
JR福知山線脱線事故現場に行って花を供えてみよう。
豪雪地帯では雪の被害が大きいから新潟県などに行って雪下ろしのボランティアを
してみよう。
それを実行すれば、自分を変えられるんじゃないかなと思っていた。

しかし、結局そのようなことは実現しなかった。

1月6日~7日 もう一度挫折その2

2006-05-13 | 苦しかった卒論
えーと、昨日のつづきです。
1月11日、12日のゼミは迫っていた。でも、先生に会えずにゼミをやるかどうか
判断しかねていた。
「できることから始めよう、やれることからやっていこう」という感じだった
まずは植生図をどうにかしよう。植生図をどうにかすることが年明け前からの
課題だった。ということで、GISを扱っている研究室の一人に連絡を取ってみた。
「今日はみんな、研究室で徹夜です」というような返事が返ってきた。
このとき、どうしても3月に卒業したいという気持ちが強ければ、
「植生図、教えてください。時間がないんです。お忙しいとは思いますが」と
岩にしがみついてでも、言って駆け込んだだろう、どんな状況であろうとも
でも、そんな勇気はわいてこなかった。
その勇気が湧かなかったことによって、自分をさらに追い詰めてしまった
「やはり自分はだめなんだ」と・・・

そして、再び引きこもりの生活に戻ってしまった。