子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

老人とパソコン 11 自宅のパソコン

2008年03月13日 | 老人とパソコン 1
平成3年(1991)私61才のときのことである。
自宅に「デスク・パソコン」を退職に合わせて買い込み設置した話は前回に書いた。

この「デスクパソコン」が本格的に働く場面が来る。この話は少し先にして、原稿で積み残した部分の話を前にしておくことにする。
《パソコン研修の総括・その後の私の人生など》の項で、下記の項目を順に書いてきた。
再確認をして置くと次の通りである。
 A.パソコンの研修で誰が一番得をした。
 B.60才で退職後の話(生活費をどう賄ったか)
 C.20才で「職人からサラリーマン」になっての40年間の積もる話つれづれ。
 D.退職後の再就職の話が入る。
 E.夫婦で行きそこねたドライブ旅行をゆっくりしたい。
    ここまでの話は、「老人とパソコン 8と9 }に書きましたのでご覧下さい。
 F.教えてしまうという事。
 G.職人気質とサラリーマン。
 H.定年後はパチンコでなく、パソコンが間違いないよ。
    この項目は、F.G.を飛ばして先に「老人とパソコン 10 定年退職後の話」の二枚目の後段に書きました。

《F.職人気質とサラリーマン》
私が、サラリーマンになったのは20才のときでした。
職人の家庭で生まれ・育った、20年間の生活でした。

当時の生活の主導権は、世間一般に稼いでくる親父が持っていて、母親に渡す生活費から、学童の月謝、家賃など全て親父の「腹掛け」の中から渡されるものです。
二人いた私の妹の嫁ぎ先も、親父が承諾なしには決められないというのが当時の実態でした。
私には、3人の兄貴が居ましたが、子供は10才を超える年令になると、「食い扶持減らし」のために「住み込み小僧」として外部の家に3人共我が家から出されました。

私は、中学2年生の半ばから「軍需工場に無給で学徒動員され」その翌年の3月に「東京大空襲」に東京の住まいで出合い、家も学校も隣近所丸焼けになりました。

その後、親父「レンガ職人」の仕事を手伝って、夜間学校に通いながら生活を支えることになるのですが。
職人の仕事は、「厳しくもあり、面白くもありました。」この幼年期の5年間が私の人格構成に大きく関わってきたのでした。

《職人仕事をする中で、言われたこと》
○ 仕事は親方、職人さんの背中を見て覚えろ。
○ 返事はすぐしろ。口応え、言い訳をするな。
○ 一度始まった仕事は最後まで責任を持ってやれ。
○ 工事日程をキチンと守れ。急に休んではいけない。
○ 先輩職人のいう事に盾つくな。言われたとおりに仕事しろ。お前は手伝いの身分だ。
○ 道具類は、その日のうちにきれいにして格納しろ。それがお前の大切な仕事だ。
○ 道具類の紛失はお前の責任だぞ。
○ 昼飯は、親方、職人が食べ始めてからがお前の番だ。
○ その間に、親方、職人さんのお茶をいれろ。
○ 先に帰るようなときには、親方、職人さん、それぞれに挨拶してから帰れ。(夜間学校に行くために先に帰ることが多かったので。)
○ 親方が父親であっても、仕事の現場ては親子関係はないものと思え。甘えるな。

《自宅のパソコンでなにをしたのか》
自宅に据えつけた、パソコンでなにをしたのかを少し具体的に書いて参考にしたい。
あくまで、老人の初めてのパソコン遊びである。
専門家やベテランにすれば「なあーんだ。こんな内容か。」という事になろうと思う。
私の真意は、定年退職した後と「なにをするでもなく、毎日すごしていては、もったいない。」「自分自身にパソコンを買って投資してみてはと言うのだ。」
「パチンコにのめり込んでいかないように。」と思うのが真意だ。

実は、私はこのパソコンが出来ると言うこで、勇退ご2年近く経ってから「ぜひと言う誘いがあり、再就職することになる。」のだ。
それも、こちらの示した待遇を満足させての再就職だ。
まあ、この話は別の機会に譲って、今回は自宅に据えたパソコンでやっている、ソフトないように触れることにする。

《表計算ソフト・エクセルで作って利用しているもの》
              ここのエクセルの話は後でもう少し詳しく書くつもりだ。

 1.緊急連絡網の住所録
    自 宅「郵便番号・氏  名・電話番号・自宅メール記号・携帯電話番号・eメール記号」 
    勤務先「郵便番号・法人 名・電話番号・メール記号・携帯電話番号・eメール記号」
    個 人「生年月日・○○歳・○月」ここが、表計算エクセルでやっているところ。後でもう少し詳しく書く。
    娘の嫁ぎ先の記録。外孫の携帯番号・eメール番号・学校名・学年など。

 2.健康診断一覧表(病院での血液検査結果のコピーを貰い、その数値を基準値と検査結果を並べたもの)10年以上の記録あり。

 3.確定申告をするときの、過去の結果と申告時の精査を自分でするためのもの。
   (還付申告を毎年している。このパソコンの記録があるので申告書の作成は自宅で一日か二日で終わる。)
 4.自宅での血圧測定値記録。
   (10年以上記録をのこしている。担当の医者が変わる時には、印刷して提示する。)
 5.自分の年令表(0歳から99歳までの一覧表・このブログを書くのによくつかっている。)

《漢字文字ソフト・ワードで作って利用しているもの》
 
 1.年賀状の住所録(私は、年賀状を170枚ほど毎年出していますので、年賀所用の整理にパソコンを使っています。)
          (最近は、500円程度の値段で年賀状の作成ソフトが売られているので便利になりました。)
 2.友人が定年退職するとの、連絡が来ますが、(その記載事例を保存していて)必ず、長いお勤めご苦労さまのハガキをだします。
   (今までの事例が保存されていますから、その中から相手との関係をみて返事を作ります。)            
 3.訃報を受け取った時も、上記と同じにハガキで返信を作ります。

 4.現在書いている「60年前の戦争体験」もフロッピーに保存しています。
 5.自宅測定の「血圧測定値」を10数年間パソコンに記録しています。
   (自己管理のためが一つ)
   (病院の循環器科に毎月一回出かけていますが、自宅で計測した血圧の記録を持参するようにと言われて記録しています。)
   (お医者さんは、少し血圧が高いと、すぐに薬を変えたがります。夏と冬ても微妙に変化する血圧値です、自分も知識を蓄えておくべき。)
   (また、お医者さんが、替わるとまた、薬を変えようなどと言います。)
   (こんな時に、この血圧記録が効果を発揮します。)
   (黙っていると、お医者さんは薬の種類を増やしたり、薬の内容を替えようとします。過去の私の経験からそう思います。)
   (こんなやり取りを、お医者さんとするときには、パソコンから印刷してお医者さんに提示し渡します。)