60才になり、窓際族としての2年間を終えていよいよ勇退する時期がせまってきた。平成2年(1990)のことである。
私の20才から、60才まで、40年間のサラリーマン生活の終末である。
前回からの続き 《C.私がサラリーマンになった経緯》
終戦を迎えて二人の兄(長兄が軍隊から復員・次兄が住み込みの軍需工場が閉鎖された。)が家に戻ってきたが仕事がない。
東京の復興が始まり、親父の仕事が忙しくなってきた時でもあり、親父の仕事を3人が手伝うことになった。
親父と私を入れて家族4人の働き手である。このほかに外部の職人が3人いたので合計7人が動いていたのだ。
小さな職人仕事に親父以下4人は要らない。私がこんな情況から脱するために別の道を選んだのが、定年を迎えることになった今の勤め先だった。
この辺の話は、「土方からサラリーマンに」2007-7-23日の原稿「勤めながら夜間大学に行きたい。」以降に書いてあるのでご覧下さい。
《D.退職後の再就職の話し》
退職が迫るなか、3箇所ほどの再就職の話が舞い込んできた。
一つは、担当常務からだ。
地元の取引先でパソコンで在庫管理をフランスの本社から求められているので、パソコンが扱える君に「手伝ってもらいたい。」と言われているがどうか。という打診だった。
数日して、担当常務から「先方もぜひと言っているので、相手会社の社長と面接だけでもしてくれないか。」といわれ、担当常務の話でもあり断りもできず、一度面接することにした。
工場もかなり広く大きい会社だ。
洗剤製品を輸入しており、一部分は日本で機械と技術を外国から入れて製造している、フランスの日本の総代理店なのだそうだ。
社長と面談していろいろはなしているうちに。社長は北陸地区の出身で、社内の人材の殆どが北陸の地元だという。
社長の外に、70才代の常務(この人は東京の金融機関出)と、40台の会計責任者が同席していて、会社内容の説明をしたが、その説明の殆どは若手の会計責任者からだった。
聞くところでは、若手の人は社長と同郷で、工場内部で働いている人も郷里からの人と言う。
此処までは、なんの問題なく進んだが、社長と常務の話が耳に入ってきた。
常務、「社長12時になりましたが、昼食はどうしますか。」「注文していいですか。」「寿司にしますか・そばにしますか。」ここまで、社長無言で返事せす。
「大手金融機関出の70才代の常務が昼食の準備の一つも出来ない。」
これでは、職人気質の残っている私がここに再就職しても、お先真っ暗だで上手くいかないなと見た。
私の結論「丁寧にお断りした。」
二つ目の再就職の話
この話は、私より5才年上の先輩からだ。
実は(先輩)10年も勤め草臥れたから、お前俺の後をやってくれないかとうものだった。
同じ勤め先に居た先輩の時代の定年年齢は55才だったから、10年勤めたいうことは、現在65才という事だ。
先輩が定年後再就職したのは、取引先の紹介で、日本橋地区の呉服商協同組合での事務局長ということだった。
肩書きは良いが「早く言えば雑用かかりだよ」と言う。
暫らく日数を貰い考えた。
下町が住まいの私が、交通機関を3つほど乗り継いで、満員電車やバスで通うのは、これからの年令を考えると、体力的にも、精神的にも堪えられないぞ。
どうみても、この再就職の話は長続きしないものと考えられる。
先輩に「丁寧にお断りの電話をいれた。」
次の再就職の話
この再就職の話は、職場の友人からの紹介があったものだ。
中小企業のスーパーだが、港区に3店舗を持ち経営している。自分の友達が経営者なのだが、「事務の面倒を見てもらっていた人が病気になり欠勤している。」ので、誰か安心して任される後任をさがしている。と言うものだ。
おいおい、日本橋の再就職の話も、通勤が大変なのに、更にその先の地区の港区。
勘弁してくれ。
と言う訳で「お断りした。」
こんな、定年後の再就職の話は、職場を勇退する直前と直後にあった話だ。
一つは、パソコンが操作できるということが、あるのかなあ。
二つ目、真面目に欠勤もせずに40年間勤めた実績なのかな。
いずれにしても、当面の生活費は「年金と失業給付」の二つでやりくりできる。
私の考えでは、定年時にまだ今後「住宅ローンの返済がある。」というのでは、こんなにのんびりと構えていられないなと思うが。
幸いわが家は自己所有で借金もないので、大丈夫。
もう一つは、定年退職したら、今まで行けなかった観光地に夫婦で長距離ドライブの計画を二つ温めていたこともある。
《D.夫婦で行きそこねたドライブ旅行の実施》
60才で勇退して暫らくの間はぶらぶらとなにをするでもなく家で過ごした。
こんな生活をかねてからしてみたいと考えていたのが実現し満足している。
たまに、平日に釣り仲間を誘って「へら鮒釣り」に出かけ、混雑している日曜日しか出来なかった空いた釣り場に何処でも自由に入れる優越感に浸る。
家にいる時は、夕飯の買い物に行く家内の荷物持ちのため、自家用車を運転して動向する。
時代も変わって、スーパーで「肉・魚・野菜・調味料など」なんでも揃う。
つくづく時が流れて、便利な時代が来たことを実感する。毎回行くスーパーの中に大型電気屋さんの支店が出ているので、家内と別行動で電気屋さんに行く。電機製品も時代が流れていて、便利なものが出ている。目の保養だ。
さて、夫婦二人でのドライブ旅行、二題はつぎのようなものだ。
スケジュールだけ提示するので中身は想像して見てください。勿論予定表は地図を見て、距離を計算し、宿泊場所を決める。
これで、よしと成ったら「宿の予約」だ。日程は平日で4泊5日とする。これらの手配は全て私が一人でやる。
その一 東北旅行(男鹿半島を中心にして)
一日目 東京(午前4時30分出発・東北自動車道)---盛岡(到着11時)---雫石(御所ダム見学)---田沢湖着---乳頭温温泉郷を見学---田沢湖に戻る。---田沢湖畔(泊)
二日目 田沢湖---湖畔の乙女の像を見学---角館武家屋敷見学---秋田市内・城など見学---男鹿半島・大道崎で夕日を見学---男鹿温泉(泊)
3日目 男鹿温泉---寒風山見学---八郎潟干拓地周辺見学---孔雀け窪見学---大道崎の夕日を見学---男鹿温泉(泊)
四日目 男鹿温泉---秋田市内通過---日本海側国道を南下---鳥海山の五合目まで登る---山を下り---陸の松島(地名を忘れた)見学---酒田を通過---新潟県に入り海岸沿いに走る---笹川流れを見学---村上市内で(おみこしの山車会館見学)---荒川沿いの高瀬温泉(泊)
五っ日目 高瀬温泉---胎内見学---新発田城跡見学---阿賀野川沿いに進み---会津喜多方---会津若松城見学---猪苗代---郡山から・東北自動車道---東京
こんなものかな。なぜ男鹿半島なのかの説明をしておくと。半年前に北海道の「礼文島・利尻島」めぐりに行ったときに、「利尻島で見た夕日」がものすごく素晴らしく、凄いの一言だった。
ガイドの説明では、「本州北部の夕日の名所は・男鹿は半島の大道崎です。」と言う説明が忘れられず頭にこびりついていたから。
運転手は私一人だから、こんなことは定年退職後でなければ出来やしないよ。ああ・草臥れた。
そのニ 北陸旅行(金沢を中心に)
東北旅行と同じ書き方をしても、参考にならないとおもうので、大まかにスケジュウールを書きます。
東北の遠征ドライブの半年後のことです。
こんども、4泊5日の日程で出掛けました。
関東自動車道---長岡ジャンクションから----北陸自動車道---金沢市内見学---粟津温泉(二泊)
富山---白川の合掌---御母ダム(石積みの古いダム)---下呂温泉(二泊)
高山市内見学---恵那から中央自動車道===東京
主な目的は、金沢市外の安宅の関・白川郷・御母ダム(日本初期の石積みダム)などです。
もう少し細かく説明すれば、穴場の見学地もありますが、さすが草臥れました。
そうそう、金沢市内の穴場を一つだけ記載しておきますと、市内を西に1Kmほどの所にある「忍者寺が狙いです。」文字通り寺の中が迷路になっていて、今にも「忍者が刀を構えて飛び出してくる雰囲気です。」なぜこんな寺を作ったのかは、貴方が見学した時の楽しみにしておきます。
また、次回にします。
私の20才から、60才まで、40年間のサラリーマン生活の終末である。
前回からの続き 《C.私がサラリーマンになった経緯》
終戦を迎えて二人の兄(長兄が軍隊から復員・次兄が住み込みの軍需工場が閉鎖された。)が家に戻ってきたが仕事がない。
東京の復興が始まり、親父の仕事が忙しくなってきた時でもあり、親父の仕事を3人が手伝うことになった。
親父と私を入れて家族4人の働き手である。このほかに外部の職人が3人いたので合計7人が動いていたのだ。
小さな職人仕事に親父以下4人は要らない。私がこんな情況から脱するために別の道を選んだのが、定年を迎えることになった今の勤め先だった。
この辺の話は、「土方からサラリーマンに」2007-7-23日の原稿「勤めながら夜間大学に行きたい。」以降に書いてあるのでご覧下さい。
《D.退職後の再就職の話し》
退職が迫るなか、3箇所ほどの再就職の話が舞い込んできた。
一つは、担当常務からだ。
地元の取引先でパソコンで在庫管理をフランスの本社から求められているので、パソコンが扱える君に「手伝ってもらいたい。」と言われているがどうか。という打診だった。
数日して、担当常務から「先方もぜひと言っているので、相手会社の社長と面接だけでもしてくれないか。」といわれ、担当常務の話でもあり断りもできず、一度面接することにした。
工場もかなり広く大きい会社だ。
洗剤製品を輸入しており、一部分は日本で機械と技術を外国から入れて製造している、フランスの日本の総代理店なのだそうだ。
社長と面談していろいろはなしているうちに。社長は北陸地区の出身で、社内の人材の殆どが北陸の地元だという。
社長の外に、70才代の常務(この人は東京の金融機関出)と、40台の会計責任者が同席していて、会社内容の説明をしたが、その説明の殆どは若手の会計責任者からだった。
聞くところでは、若手の人は社長と同郷で、工場内部で働いている人も郷里からの人と言う。
此処までは、なんの問題なく進んだが、社長と常務の話が耳に入ってきた。
常務、「社長12時になりましたが、昼食はどうしますか。」「注文していいですか。」「寿司にしますか・そばにしますか。」ここまで、社長無言で返事せす。
「大手金融機関出の70才代の常務が昼食の準備の一つも出来ない。」
これでは、職人気質の残っている私がここに再就職しても、お先真っ暗だで上手くいかないなと見た。
私の結論「丁寧にお断りした。」
二つ目の再就職の話
この話は、私より5才年上の先輩からだ。
実は(先輩)10年も勤め草臥れたから、お前俺の後をやってくれないかとうものだった。
同じ勤め先に居た先輩の時代の定年年齢は55才だったから、10年勤めたいうことは、現在65才という事だ。
先輩が定年後再就職したのは、取引先の紹介で、日本橋地区の呉服商協同組合での事務局長ということだった。
肩書きは良いが「早く言えば雑用かかりだよ」と言う。
暫らく日数を貰い考えた。
下町が住まいの私が、交通機関を3つほど乗り継いで、満員電車やバスで通うのは、これからの年令を考えると、体力的にも、精神的にも堪えられないぞ。
どうみても、この再就職の話は長続きしないものと考えられる。
先輩に「丁寧にお断りの電話をいれた。」
次の再就職の話
この再就職の話は、職場の友人からの紹介があったものだ。
中小企業のスーパーだが、港区に3店舗を持ち経営している。自分の友達が経営者なのだが、「事務の面倒を見てもらっていた人が病気になり欠勤している。」ので、誰か安心して任される後任をさがしている。と言うものだ。
おいおい、日本橋の再就職の話も、通勤が大変なのに、更にその先の地区の港区。
勘弁してくれ。
と言う訳で「お断りした。」
こんな、定年後の再就職の話は、職場を勇退する直前と直後にあった話だ。
一つは、パソコンが操作できるということが、あるのかなあ。
二つ目、真面目に欠勤もせずに40年間勤めた実績なのかな。
いずれにしても、当面の生活費は「年金と失業給付」の二つでやりくりできる。
私の考えでは、定年時にまだ今後「住宅ローンの返済がある。」というのでは、こんなにのんびりと構えていられないなと思うが。
幸いわが家は自己所有で借金もないので、大丈夫。
もう一つは、定年退職したら、今まで行けなかった観光地に夫婦で長距離ドライブの計画を二つ温めていたこともある。
《D.夫婦で行きそこねたドライブ旅行の実施》
60才で勇退して暫らくの間はぶらぶらとなにをするでもなく家で過ごした。
こんな生活をかねてからしてみたいと考えていたのが実現し満足している。
たまに、平日に釣り仲間を誘って「へら鮒釣り」に出かけ、混雑している日曜日しか出来なかった空いた釣り場に何処でも自由に入れる優越感に浸る。
家にいる時は、夕飯の買い物に行く家内の荷物持ちのため、自家用車を運転して動向する。
時代も変わって、スーパーで「肉・魚・野菜・調味料など」なんでも揃う。
つくづく時が流れて、便利な時代が来たことを実感する。毎回行くスーパーの中に大型電気屋さんの支店が出ているので、家内と別行動で電気屋さんに行く。電機製品も時代が流れていて、便利なものが出ている。目の保養だ。
さて、夫婦二人でのドライブ旅行、二題はつぎのようなものだ。
スケジュールだけ提示するので中身は想像して見てください。勿論予定表は地図を見て、距離を計算し、宿泊場所を決める。
これで、よしと成ったら「宿の予約」だ。日程は平日で4泊5日とする。これらの手配は全て私が一人でやる。
その一 東北旅行(男鹿半島を中心にして)
一日目 東京(午前4時30分出発・東北自動車道)---盛岡(到着11時)---雫石(御所ダム見学)---田沢湖着---乳頭温温泉郷を見学---田沢湖に戻る。---田沢湖畔(泊)
二日目 田沢湖---湖畔の乙女の像を見学---角館武家屋敷見学---秋田市内・城など見学---男鹿半島・大道崎で夕日を見学---男鹿温泉(泊)
3日目 男鹿温泉---寒風山見学---八郎潟干拓地周辺見学---孔雀け窪見学---大道崎の夕日を見学---男鹿温泉(泊)
四日目 男鹿温泉---秋田市内通過---日本海側国道を南下---鳥海山の五合目まで登る---山を下り---陸の松島(地名を忘れた)見学---酒田を通過---新潟県に入り海岸沿いに走る---笹川流れを見学---村上市内で(おみこしの山車会館見学)---荒川沿いの高瀬温泉(泊)
五っ日目 高瀬温泉---胎内見学---新発田城跡見学---阿賀野川沿いに進み---会津喜多方---会津若松城見学---猪苗代---郡山から・東北自動車道---東京
こんなものかな。なぜ男鹿半島なのかの説明をしておくと。半年前に北海道の「礼文島・利尻島」めぐりに行ったときに、「利尻島で見た夕日」がものすごく素晴らしく、凄いの一言だった。
ガイドの説明では、「本州北部の夕日の名所は・男鹿は半島の大道崎です。」と言う説明が忘れられず頭にこびりついていたから。
運転手は私一人だから、こんなことは定年退職後でなければ出来やしないよ。ああ・草臥れた。
そのニ 北陸旅行(金沢を中心に)
東北旅行と同じ書き方をしても、参考にならないとおもうので、大まかにスケジュウールを書きます。
東北の遠征ドライブの半年後のことです。
こんども、4泊5日の日程で出掛けました。
関東自動車道---長岡ジャンクションから----北陸自動車道---金沢市内見学---粟津温泉(二泊)
富山---白川の合掌---御母ダム(石積みの古いダム)---下呂温泉(二泊)
高山市内見学---恵那から中央自動車道===東京
主な目的は、金沢市外の安宅の関・白川郷・御母ダム(日本初期の石積みダム)などです。
もう少し細かく説明すれば、穴場の見学地もありますが、さすが草臥れました。
そうそう、金沢市内の穴場を一つだけ記載しておきますと、市内を西に1Kmほどの所にある「忍者寺が狙いです。」文字通り寺の中が迷路になっていて、今にも「忍者が刀を構えて飛び出してくる雰囲気です。」なぜこんな寺を作ったのかは、貴方が見学した時の楽しみにしておきます。
また、次回にします。
そしたら、昨日人妻とやれちゃいました!!
ほんとびっくりです。5人ぐらいとメールしてたのですが、全然会えそうにもなくて7万円ほど使ってて。。。
「やばっ、だまされた!?」とか思ってしまいました。(いや、本当にすみません汗)
今から考えると、会おう会おうって焦ってメールしてたからダメだったんだろうなぁ~ってわかりました。
結局、昨日10万円もらったんで、プラス3万円でした。
実は、営業マンなのですが、外回りのフリしてお相手の家に行って、たっぷり3発ご奉仕させていただきました!
しかも、「昼間なら遊びにきてね♪」なんて言われちゃうし、会社帰った後はテンション上がって顔もツヤツヤだから「おっ、やる気でてきてるね!」なんて上司に言われてwww
自分、もう抜けれなさそうですwww
http://18erosta.net/dlm/473