子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

10 戦後の結婚事情・私の場合 その6

2009年01月12日 | 私が歩んできた道を振り返って
私は28才になった。昭和33年(1958)の時の話である。
この時代での男子では晩婚である。
世間では男子は、25才ぐらい。
女子は22~23才が結婚適齢期であった。

《結婚を前提とした交際を娘先の両親に了解されて》

勤め先で知り合った彼女との交際を、娘先の両親に了解されて、結婚を前提に正式に交際することになった。
義父となる男親が支店長に知らせたとことで、店舗内に知れた。

当時の職場のルールは、男女交際はどちらかの人が転勤になることで交際が許されるということになっていた。
当然に男である私が、この店舗での勤務年数が8年を超えているので、転勤になると思っていたが、交際が店舗で知れ亘ると、6か月後に彼女が転勤することになった。

彼女の転勤で、交際はしやすくなった。

《結婚の準備》

さて、いざ結婚となるといろい大変である。

 1.まず住居をどうするか。

まごまごしていられない。出来るだけ彼女の実家に近い場所がいいと言うことで、一生懸命探すが、此処が「通勤にも彼女の実家にも近い」のでと思うと。
値段が高くて、私の財布の範囲内では賄いきれない。
多少むりしてと思うが、そうすると、建物の建築資金が不足してしまう。

或る日、義父の家で言われた。
「結婚式の跡の住まいは、何処にするのかね、」
「はい、勤め先と義父の家に近い所でと考えて盛んに探していますが、なかなか適当な物件が見つかりませんで困っています。」

こんな、やり取りでその日は帰ってきたが、もっと真剣に至急に住宅の心配をする必要に迫られた。
当時は、現在と違って「マンション」などの家庭生活できる設備のあるものが無かったから、一個建ての住宅を結婚までに準備するのが普通であった。

一か月後に、彼女の実家に呼ばれて「夕飯をご馳走」になった折に「義父に言われた」
「私の次男が持っている工場の近くに33坪(1100平米)の土地があるがあるがどうかね。」
「だだ、この土地は、お寺の土地で借地なのだ。」
「ここなら、娘の兄貴も直ぐ近くだし、町会の役員もやっているので、面倒をみてもらえるがね、」
「一度一緒に見に行って見るかね」

こんなやり取りの後こ、寺の土地を義父と一緒に見に行くことになった。
土地の立地条件は、義父の家からバスで10分ぐらいの場所、勤務先にも今までより多少時間が係るがまずますの場所である。

問題は土地の権利金である。

現在探していた所より面積も倍近くあり、出口が公道に面している。
権利金も現在私の貯めて持っている「貯金」の範囲内で賄える。
「義父にお願いします。」と返事し、一緒に寺の住職に会いにいって、借地を申し込む。
「住職も、義兄が同じ土地を借りているので、快く承知して貰えて、土地は決まった。」

《住宅の建設》

 2.さて、土地も決まったので、住宅の建設である。

私の蓄えのかなりの預金を借地代金に使ってしまったので、建築資金の準備をしなくてはならない。

その前に、どの程度の建物にするかを決めないと予算が決まらない。
こんどは、私の親父と相談して、方眼紙を買ってきて、建築の図面の下書きを3枚ほど書く。
これを、親父に見せて意見を聞く。
親父も職人生活が長いので、建築にはそこそこの見識があり、ここはもう少し広くとか、便所の方位が良くないから異動させろなどの意見。
畳みの部屋には、直接直射日光が当たらないように南方に廊下を置き、畳みが日光に焼けないようにと言うなど変更を求めた。
いろいろ、意見を言われて、建築図面をまた書き直す。

私の建築計画では。当面夫婦二人所帯で生活できる範囲の大きさがあれば足りることにした。
予算がない。
建築が済めば、結婚式と新婚旅行、その後の生活費が必要だ。

玄関一坪、台所一坪、廊下二坪、二階階段、押入れ二間、下部屋に畳の部屋六畳一つ、便所。
二階に畳み部屋六畳と押入れ一つ。

設計図は、こんな風に決まった。

当時は、風呂は「銭湯」が普通で外部に行く。
また、便所は「汲み取り方式」である。
下水は、外部の道路の側溝に流す方式。

ガス、水道、電気は公共なものがった。

《住宅の建築が始まる》

 3.住宅の建築が始まる。

私が親父と建物の設計をしていることを聞きつけて、下の妹が言う。
嫁ぎ先の裏が大工さんの仕立て小屋画あり。「妹がこの大工さんなら仕事も真面目でいいから、見積もりして貰えば」と言ってくる。

 4.建築予算

建築見積もりを見て、資金計画をたてる。

「レンガ職」を継いだ兄貴二人に土台回りと下水工事を頼む。
上の妹ま嫁ぎ先が「左官屋」なので外壁と内壁は頼める。
下の妹の嫁ぎ先が「経師屋」なので、障子、襖、ガラス戸は頼める。

こんなところが親父の顔がきいていて助かる。
私が職人の家庭で育った強みが生きる。
これで、私が大工にでもなったら、我が家だけで一軒の家が建てられるぞと思うが、私はサラリーマンだ。

建築予算

建築予算は、3分割して用意することにした。
 A.自己資金 1/3(三分の一)
 B.住宅金融公庫のかりいれ 1/3 15年返済
 C.会社からの借り入れ   1/3  5年返済

こんな計画で建築計画が進むことになった。