子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

終戦後のデマ話 5 婦人・子供 進駐軍

2007年04月25日 | 終戦後の生きざま・私流
戦争が終わった。

それで、どうなるのだろう。

噂の① 進駐軍は黒人ばかりで獰猛だぞ。そして野蛮人だぞ。

    婦人と子供は、「男の姿に変相して、顔に泥を塗れ」でないと、進駐軍に攫われてしまうぞ。早く山に逃げて隠れろ。
    
噂の② 残っている日本人男子は、「竹やりを準備して置き」進駐軍が東京に上陸して来たら、一対一で対決して戦いを挑め。

噂の③ 進駐軍が、食料をくれたら食べるな。「毒が入っているぞ」

《噂の嘘》

東京に残存していて、我が家の五人(両親と私と二人の妹)は、田舎がなく逃げ場が無い。
東京では、上記のような「噂が噂を呼ぶ」有様で、不安がまた不安を呼ぶ。

でも、近所の家庭では「改めて、山に家族一同で逃げる」と言う。

お父さん「我が家は、どうするのよ」と聞くが「馬鹿、そんなことをいうな。仮に山に逃げても、追いかけられて、すぐに掴まってしまうぞ」

親父  「それに、我が家は山に逃げたくても逃げる場所(田舎)がないのだ」
    「進駐軍がそんなに悪者だけと言うものでもなかろう」
    「我が家は、東京で頑張るしかないんだ」

当時14才の私には、それ以上言うべき、返す言葉も持っていない。隣近所で言われている「噂話し」は本当な話なのか。確かめようも無い話なのだから。

《人の口に戸は立てられぬ》
   「人の噂話(ことわざ)や陰口には、戸を立ててやめさせることはできず、防ぎようも無いというたとえ」

《白い粉と食料を持って車で進駐軍がやって来た》

何日経っただろうか。三人ほどの軍人さんが家庭を廻り始めた。一人は白人で後の二人は黒人だ。もう一人日本人の通役がついている。

親父「女と子供は、早く押入れに隠れろ」

  「親父が一人で玄関先で説明を聞いている」
親父「おい、全員押入れから出て来い」

  「押入れから、恐るおそるでてみると」
通訳「一人づつ、やりますからね」と言う。
黒人「軍人さんが、今でいう掃除機みたいな機械から、白い粉を吹き出して、一人ひとりに頭の毛を書き分けて、さらに身体全体に吹きかける。」  

  「親父が、これは(蚤や虱)を身体から追い出す薬で、DDTと言うものだ」と言う。
  「今まで、散々身体を食われて困っていたから、これで助かる」


《数日後、今度は進駐軍が食料を持ってきた》

   DDTの薬を撒いてから、数日後にまた進駐軍が車でやって来た。

  「直径15センチ・高さ20センチ位の缶詰を、一軒に一つづつ置いていった。」
  「缶詰の表に、グリンピースの画が書かれているので、豆の食料を配ったということがおおよそ判った」
 
  「前回のDDTの薬撒きのときの軍人さんが大人しく、優しかったので、今度の軍人さんの訪問には、警戒感がかなり薄れていた」
  「それより、この缶はどうしたら開けられるのかにムチゥになる」

  「缶の空け方の説明が缶に書いてあると言うが、英語が読めない」
  「やっと、缶の蓋のところに、ネジ取りみたいなものがついていて、それで缶の周りをぐるぐると廻すと缶の蓋が開くと言う事が判った」