子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

焦土の東京で 20 近所の職業2

2007年05月31日 | 焦土の東京で 土方と夜間高校生
戦後の東京です。
食べて生きていくためには、働くしかありません。

下町の近所の皆さん、家族を養うために必死に家族ぐるみで働いています。
女も子供も働ける者は誰でも働き銭を稼ぎました。

現在の日本では想像出来ないことと思いますが、貴方はこのブログをどう読まれていますか。

さて、近所の職業の続きを綴ります。

 ⑦ 下駄の鼻緒つくりの内職

   A 鼻緒の表面作り
     布を細い筒状に作ります。
     6センチ幅ほどの布で、30センチ位の長さの物を裏返しで縫います
   B 鼻緒の芯作り
     麻紐を中心にして、周りを綿で包み、外側に新聞紙を巻いて、長さ30センチの物を拵えておきます
   C これを、裏返しになっている、鼻緒の裏を表返して Bのは直の芯を被せる作業です
   D 裁縫で言う「絎け台」状の作業棒の先に「先が曲がっている鋼線のハリガネ」40センチがついている先の場所に。
     まず、鼻緒の裏表Aを通して、針金の奥に手繰りつけて
   E 鼻緒の芯の部分Bの麻紐の部分の先端を、ハリガネの先端に括って、一気に引いて表状になるように被せるのです。
   F これで、鼻緒の表面が上に出てきて、筒状の鼻緒30センチが現れます
   G さらに、両先端の麻紐を鼻緒の先に結んで終わりです

どうも、上手く説明できずに御免なさい。
近所の家の女親が内職でやっている作業を窓越しに暫らく見ていただけなので、こんな風にやっていたな、というだけです。
ただ、鼻緒の芯が裏返しになっている、芯を表面になるように被せるのが「魔法」をやっているようで面白く感じたものですから、10才台の私の頭に残っているのです。

この年代の私には、何を見ても、聞いても、もの珍しく、近所の路地を歩いていて
立ち止まって見てしまいます。
近所の人々は、子供がまた来て覗いて見ている程度にしか考えていないと思います。
内職している近所の伯母さんたちは、どうやら私がこの先の「レンガ屋の倅」ということを知っている風がありました。

《諺 百聞は一見に如かず》
 (人から百回話しを聞くよりも、自分の目で一度見て確かめることのほうが確実であるということ)

 ⑧ うなぎ屋

   家の近くのお年寄で、天気の良い日に、外の縁台で「うなぎを捌く」職人さんがいました。
   この姿を見ると私の好奇心が盛り上がりつい足を止めて見てしまいます。
   A 飯台(混ぜご飯を作るような桶)に、生きている「うなぎ」が10匹位泳いでいる
   B うなぎの頭を手の指の間で捕まえて、まな板の上に乗せて、頭にピンを刺す
   C 「うなぎ」の身体がくねくねするのを、手の平でなだめて、全部きらないように首の半分に包丁を入れる
   D 「うなぎ」の背のほうから包丁を入れてヒッポに向けて、頭から裂く
   E {うなぎ」の腹綿を取り 
   F 骨を裂き取り、身を二枚に分ける
   G この後、頭を切り離して、片身を二つにして  
   H 串を通す
   
 これで、この叔父さんの受け持ちは終わりで、この先は勤め先の店でやるという。
 
 叔父さんと雑談していると、この「うなぎ」の頭が美味いのだという。
 「内緒で三個やるから家で焼いて食べてみろ」と言って新聞紙に包んでくれた。
 だだな、「気をつけろよ、うなぎの頭の中に爪くらいの釣り針が入っているものがあるから、がぶっと食べるなよ」と言う。

 どうして、と聞くと。
 「それはな、うなぎを捕まえる方法にある」という。

 A {しゃくり捕り」
   小舟で池に出て、棒の先に鉄で出来た指先の様な物がついているものを池底の泥中に入れて、引掻くとうなぎが架かって来るのだと言う。
 B 「筒取り」
   太い竹筒をロープで50本ほど結んで、前夜のうちに池底に沈めて置き。
   翌朝竹筒をそーと引き上げると、いいときには、一本の筒に3~4匹入っている時もある。
   しかし、「筒に入らない時が多いぞ」と言う。
 C 「餌取り」
   30メートル位の縄に、道糸にアゴ付きの釣り針にみみずなどを50本付けて、前夜に池底に沈めて置く。
   翌朝にこれを引き上げると、釣り針に食いついた「うなぎ」が取れるのだという。

 
 ⑨ 「蹴飛ばしプレス」
   長屋の玄関の土間に、「足踏みプレス」を置いてブリキ板に印刷されているものを型取りしている。
   ようするに、まだ動力モーターが付いていない、小型プレスを使って足の力で「蹴飛ばす」ように作業しているのだ。
   この時代には、子供用「ブリキ製品」のものが沢山作られていた。
   例えば、風呂で遊ぶ「ブルキの金魚」や「小さな自動車」などがある。
   
   こんな、零細企業が成長し、工場を建てて、動力を引いて、大型プレス工場に成長していったのだ。

 最初に言った、「うなぎの頭の針にきを付けろ」と言ったのは、此処で言う C の釣り針で捕ったものだ。
 だがな、この釣り針での「うなぎ」が一番美味しいのだという。


 ⑩ 「目立て屋」

   大工さんが使っている「のこぎりの刃」を小さいヤスリで削り「再生する」仕事だ。
   こつこつと、丁寧に、もくもくと、仕事している姿が私は好きだった。
  
   最初は、幅12センチもあった「大工さんのノコギリ」も毎日使っているうちに、幅が半部くらいになる。
   それでも、使い勝手の良いものは「目立て屋」で手入されて使われている。

   そんな細くなった「のこぎり」も売っているの。と大工さんに私が聞くと。
   「このノコギリ」はな、俺が大工になった最初の年に親方が買ってくれたものでな。」
   20年も使っている「私の宝物」なんだ。と言う答えが帰ってきた。
   
  まだ 学友の「活版印刷屋」と「男子の革靴製作」の話が残っているが次回にでもする。