子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

16 新婚家庭の家計管理は・最初が肝心 その12

2009年01月29日 | 私が歩んできた道を振り返って
私達の新婚生活が始まった。
何事も最初の計画が肝心だと常に考えていたわたしは、家計のやりくりを、嫁さんと相談し次のようにすることにした。

まず、家計を3つに分けて「嫁さん」と二人で分担して管理することとした。

 1.一つは、 家計だ。・月給・・・・・・・・・・・・・・・この分野は「嫁さん」に全部任せる。
 2.二つ目は、臨時的な支出に備える。・賞与・・・・・・・・この部分は「わたしの担当」とする。
 3.三つ目は、将来への蓄え。余裕でば多少の投機に。・賞与・この分野も「私の担当」とする。

《家計の管理体制を決める》

基本的な考え方は、「月給の範囲内(賞与に手を出さずに)で(私の小使い)を含めて一か月の生活を組み立てること。」
私は、嫁さんにこのように提案した。
私の月給を嫁さんに月給袋毎全部任せるから、一か月の生活を配分してくれ。
当時は月給袋といって、給与明細と一緒に現金が入っている袋を、嫁さんにに毎月そっくり渡すことにした。

《3分割の1 月給》

その内容は、私の毎月の給料をそっくり渡すから管理してもらいたい。
 A.「私の小使い」は、その中から決めた額を貰うことにする。
 B.「毎日の家庭生活でかかる、食費代等」
 C.「公共料金」「住宅金融公庫の支払」「新聞代」等の定期的な支払。

《3分割の2と3--臨時の支出》

ボーナス収入は、別途私が管理し、上記の二つ目と三つ目の支払に備える。
 D.「冠婚・葬祭」この費用は別途にして、私が管理する。
     (冠婚・葬祭の問題は、好むと好まなくに関わらず不意にやってくるものだ。)
     (親戚付き合いや、職場内の付き合いなど「不義理」をしないような蓄えを常に怠らないように
      しておくことが必要だ。)
     (この場合、袋に包む金額が、我が家・私として適正な金額かどうかを、
      嫁さんと相談しながら、常に覚えていて、平等な金額を包む必要がある。)
 E。「家庭で使う電気製品」も別途にして、私が考える。
    (家庭の電化製品も新規に買う時には、あれかこれかと迷うものだ。)
    (買い揃える場合には、家の中の何処に置くかを決めてから買わないと、
     据えたい場所に収まらないということが出来てしまう。)
    (値段の問題もそうだ、自分の経済力に合わせて、最初は小型なものからという考えがいる。)
    (私が世帯を構えた時には、電気冷蔵庫がなく、裕福な家庭ては氷式のものだった。)
    (テレビも無い時代、間もなくラジオから白黒テレビになるが、私の所得では手が出せないものだった。)
 F.「将来への蓄え」
    (ボーナスの大部分は、将来に備えて全額「定期預金」にしておくことにした。)
    (定期預金にしておくことで、何か買いたい欲望が出ても、解約と言う手続きが要るので、
     どうしても我慢できない時にのみにすることが出来る。)
 G.「旅行代」
    (私は旅行がすきなのだ。旅行は家族一同で一緒に行くことを心掛けている。)
    (どういう訳か、旅行に金銭を使うのはいとわない性格。)
    (私が40才台になった時の年間旅行回数は20回をくだらなかっただろう。)
    (講じて旅行仲間が4つもあった。私の兄弟夫婦仲間、家内の兄弟夫婦仲間、勤め先の同年輩との旅行仲間。
     これ等の仲間との旅行は年一回欠かさず。我が家の家族は随時に。)
    (基本的には、その殆どは家内同伴での旅行だ。
    (日本の都道府県で観光に行かない県は一つも無いぞ。機会があればその旅行先を列記してみる。)
 H.「そのたの臨時の支払」
    (臨時支出で特徴の有るものに、私の洋服{背広}がある。新婚当初の時代には既製品専門の洋服店などなく、
     街の洋服家さんに注文する制度だった。)
    (実は私が15才から20まで、職人である親父の仕事の手伝いで毎日土方仕事をしていて重いものを運んでいたので、
     身体の片巾が広くなっていて、既製品の背広では、片巾が合うと袖が長すぎて、着られない体型なのだ。)
    (こんな体型のため、背広は賞与が出る半年に一着つづ賞与で作ることにした。)

《以上の取り決めの内容を補足する》

 A.{私の小使い}は、その中から決めた額を毎月貰うことにする。
    (私は、自分が金銭の使い方でいい加減なことをしていては、家計がやりずらいし、嫁の裁量も出来ない。)
    (金銭管理をきちっと決め手やろうと私がきめたのは、私の家庭・特に昔堅気の親父の影響が大きい。
     親父の時代は金銭も何事も男親が握っていて、母親には何の権限も無かった。
     そのために学費を貰うにも親父に言わないともらえないのが普通だった。)

    (反面教師というのだろうか、早くから私が家庭を持ったら、
     嫁さんに任せられる分野は任せて二人で家庭を作り上げると言う考えを持っていたのだ。)
    (私の小遣いを含めて任せるというのは、お互いに責任を分担して、家庭を作り上げるという意味会いがある。)
    (私の小遣いの値上げは、給料がノベース・アップされた時と役職手当が上がった時に、
     その増額された金額の50%程度を小遣いの値上げしてもらうことにした。)

  B.「毎日の家庭生活でかかる、食費代等」
    
    (この分野では、男の私が口出しすることは何もない。下手に口出ししても良いことは無いと思うから。)
    (しかし、ジャガいもの皮も剥けなかった嫁さんだ。結婚当初の料理の結果は惨憺たるもの、
     しかし文句を言わずに私は食べたよ。)
    (何事も、習うより馴れろだから。暫らくの間我慢してやらねばね。)
    (それに、義母がちょくちょく通ってきて、食事の面倒を見てもらえたから。)
    (男厨房に入らず。というのが私が育った環境だったせいもある。)

次回は、新婚家庭の家計のやりくり。