子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

9 戦後の結婚事情・私の場合 その5

2009年01月06日 | 私が歩んできた道を振り返って
前項で、「番外・我が家の正月風景」を差込んで書きました。

本題の「戦後の結婚事情・私の場合」の話に戻したいと思います。

書いている時期は、昭和32年(1957)前後の話です。
「東京タワー」が昭和33年に完成した時代です。

美空ひばりさんの歌う「りんご追分」が流行している時でした。

「7 戦後の結婚事情・私の場合 その4」の後半《結婚資金の準備》に次のように書きました。

 1.住宅をどうするか。
 2.結婚式は。
 3.新婚旅行は。
 4.これらの資金の準備をどうするか。
 5.生活資金は成り立つか。

との項目を書き連ねていますが、一つ追加しなければならないと思います。

 6.土地の手当は。(追加)

《1.住宅をどうするか。6.土地の手当は》

此処では、項目の1.と6.を重ねて考えなければ、住宅問題が解決しません。
そこで、新婚の住宅は、
 A.アパート(現在で言えばマンション)にするか。
 B.新規に住宅を新築して結婚の準備するのか。
 C.何処に住まう場所にするか。(都内か郊外か)
 D.上記の取り組みによっての資金はどう替わるか。

新規に住宅を新築して結婚の準備をすれば最善であるのは、解っているが、この計画では、私の資金では賄いきれない。

《新婚生活の全体の資金計画が先だ。》

こんな準備の順序では、「結婚まで到達しないぞ。」と思い直して、資金計画を最初から練りなおすことにした。

一番大きく金銭が要るものの順から考え始めることにした。

 A.住宅の準備にどの程度充当できるか。
 B.結婚式に幾らかかるか。
 C.新婚旅行に幾らかかるか。
 D.新婚世帯の生活資金は、家具什器の準備に幾らかかるか。

だいぶ、ぐらぐらしているが。なにせこれ等の資金は、親・兄弟に頼れずに。全部私個人で用意しなくてはならないのが我が家の家庭事情があった。

《全体の資金計画》

私27才の時のことである。
24才で夜間大學を自力で卒業してから、蓄えた預金は多少はあるが、まだまだ足りない。
27才の現在持っている預金は幾らでもない。

《女性の親が私との交際関係を探る》

28才になり、彼女との交際も進み、「手をにぎり」「キッスもすみ」「たまに彼女の洋服の上らおっぱいを触っても怒られない」情況になっていた。

彼女の親は中小業の社長で、私達二人の勤め先の信用金庫に取引がある人である。

どうも、支店長がお歳暮に工場に伺った際に盛んに探りを入れている様子だ。
もう一つ。私の家の近くに、工場の同業者がいて、そこからも、我が家の情況と私の素行を聞きだしている様子。

我が家は、親父はレンガ職の仕事を、長兄と次兄に渡して引退しており、金も自由にならない立場。
既にお袋も亡くなっていて、結婚話の世話をしてもらえる人が我が家に誰も居ない。

私の親父も何とかしなくてはならない情況になってきていた。
親父がリュマチで痛い足を運んで、近くの甥子が町会長をしている人に頼んでくれて、甥子さんと私と、二人で交際している女性宅に伺いご挨拶に伺った。

先方の親御さんも快く承諾していただき、正式に交際できるようになった。

私は、母親も既に無く、親父の身代もせか倅の時代になっており、何やかやと新婦の親に面倒を見ていただく事が多くなった。女性のお母さんと、お父さんが言うと、私は先方の婿のような立場になった。

私もこれに甘えて、仕事帰りや、休日、正月に呼ばれて夕飯などご馳走になる。

次は、住居の建築が始まるです。