初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

合唱の練習

2011年03月20日 18時57分16秒 | お稽古、勉強
歌を唄うのが悦びに感じているのだと思います。
2時間半の練習時間がアッと言う間に感じているのですからね。
済し崩し的に始まった合唱団への臨時団員の身としては、有意義な時間、充実感を味わってます。
色々な文化活動が休止に追い込まれてますが、合唱団は元気です。
雨露さえ凌げれば、何処でも出来るのですからね。


自ら参加したゴスペル合唱は、地震の影響で場所を管理してる事務局で今月再開不可能と連絡来たので、臨時の身の上で楽しんでいます。
仕上がり具合が見えて来て、張り合いも増してます。
行く末に輝きを増す可能性が見えると、俄然と元気が出て邁進するのが人なのですね。


初めはどんなモノなのか概要が見えないのが、素人合唱団員の経験不足です。
言われるがままに楽譜見て、伴奏聞いて、メロディー覚えて、歌詞を覚えてと段々に進歩してる積もりです。
ところが混声で、和音がどのような効果を発揮するのか皆目見当が付かない。
どんな効果音に変性されて聞こえてるか分からない。


合唱の中に居ると、隣のパートが何となく理解出来ても遠い場所の音が判らない。
お客さんにどんな音で届いてるか予想が出来ないのです。
そもそも、伴奏で和音を奏でて貰っても音取りが出来ないのです。
耳が出来てない、いわゆる絶対音感とか云われる機能が耳、脳に無いのです。
歌を習い始めて3年ですが、失われた、若しくは成長しないで捨ててしまった機能。
本人希望のレベルまで機能回復、新機能を得られるか疑問です。


合唱はお婆さん系の趣味に捉え勝ちですが、欧州の古くからの伝統芸能です。
数百年の積み重ねを経て文化として渡来して来ました。
最初は真似から始まったのでしょうが、日本語に仕立て直して芸術的に洗練されて、一般文化になるまで時間が掛かってます。
そもそも日本語とは何であり、どのように表現される言語がよく分かっていませんでした。
その国の言葉に合う歌唱法の研究や評価が出来るようになったのは最近ではないでしょうか。
かの国の合唱するなら、その育まれた言葉で歌わないと綺麗に表現出来ない。
翻訳歌は何処まで行ってもミスマッチ。
ゴスペルを同じ進行で練習してるから、素人の自分でも薄々気づいて来ました。
仕上がった時の美しさがまるで違うのですからね~。


日本語には日本語に適したメロディーや編成が必要です。
それがコレからの課題なんでしょうね。


最近は学校で唱歌を歌わせないとか。
どんな政治思想があるのか知りませんが、政治と宗教と文化は分けても駄目です。
必ず根がどれにも食い込んで、自給自足してるのです。
分けると枯れますよ、絶対に。!

金目当てや下僕育成に血道を上げてるようじゃ教育も終わりです。
合唱で声を出しながら、悦びの根源を今更ながらに知る。
こんな危うい時期だからこそ、天に届くであろう唯一の技がコーラスです。
スポーツはどんな競技だって多くて10名程度。
合唱は多けりゃ数百人で行うのです。
皆と心を通わせるには、合唱が一番ですものね。!