受法寺本堂建築誌

伝統木造工法により建築中です

古絵図浦戸

2006年01月21日 | Weblog
高知県立歴史民俗資料館の萩慎一郎氏の講座「近世土佐の浦々について」に行き、昔の浦戸に思いをはせました。

浦は藩政時代の独立した村とは異なる行政単位で、19世紀前半の浦戸では、人口1214人、水主(船員)漁師が52%、商人30%、廻船8で、漁だけでなく商業も盛んで高知沿岸の交易地として重要な湊であったようです。

常設展示では、浦戸の昔を、
「秀吉から軍役・材木役をこなすには、岡豊は不便であった。長曽我部元親は、大高坂城への移転を計画し、要港浦戸と城を整備した。浦戸城下には一向宗門徒や商人・水主などを集中的に住まわせていた。」と記載。

「長曽我部地検帳」(土地台帳)には、「受法寺開基 池慶乗 三十六代(2分)」の記載があり、他に真宗門徒が多かった堺商人の名も見えます。

「描かれた土佐の浦々」展での浦戸の古絵図(写真)には、太平洋と浦戸湾のはさまれた御領山山脈の山頂には木々が描かれ、土佐藩主の宿舎であった御殿や民家が見えます。