テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

一旦アップした記事を諸般の事情により取り下げました、努々ご不興を買うつもりではありませぬ故ご容赦を

2012-01-22 20:17:05 | 日記
タイトル通り、本来のこのブログのスタンスに沿った記事を一旦書きましたが、その後、チョットマテ、な事象が発生し、こうして、お詫びをしております。
多少の間だったので、見られた方も少ないと思いますので、影響も少ないかと思いますし、見てはいないけど気になる方、見られた方ともども、夢みたいなものと思って、忘れて下さい。

夢、は憶えているとき、ボンヤリとしか思い出せないとき、夢を見ている時の感情の起伏は憶えているのに、内容を思い出せないとき(夢を見ていたのに、まったく思い出せない)、いろいろな経験があります。

少年時代、夢を、憶えている覚醒直後に、書き控えたり、記憶として整理したりして、すくなくとも、覚醒直前に見た夢を、スクラップしていたことがあります。理由は幼少時に繰り返し見た夢、3パターンぐらいあるのですが、その繰り返し見ていた夢を、最近見ないなぁと感じ、どう変わったかなんて調べるつもりでした。
元々、色つきの非常にストーリー豊かな夢を見る方で、例えば、映画やドキュメンタリー、実体験含め、記憶に残るもっともスペクタクルな映像は、と云われれば、ワタシの場合、「ナミダガラス」と名付けたある夢を挙げるしかありません。スクリーン、絵画、プリントはもとより、実体験の視覚の記憶ですら凌駕する鮮烈な映像としての記憶があります。あれを超えるとすれば、例えば太陽のプロミネンスの中にでも入って、自分の目で見回せば、さらにスペクタクルな光景を経験できるかもしれません。
もともと、書籍の内容を、文章(ことば)としてでなく、活字の並び、段組含めて、その内容が書かれているページの映像記憶で憶えている場合がしばしばあるので、例えば、雑誌の記事で、何らかの対象のスペックをまとめた表があり初読したときにはその内容まで確認しておらず、後になってその表のを再度探そうとして雑誌を手に取ったとき、ワタシの場合、見開いた左右どちらかのページの上下どちらか、加えて図版や広告枠がその表とともにあったかどうかをチェックして探すので、かなり探すのがラクです。
以前の記事で書いた、マッケンの夢の丘のなかのエピソードも見開いたどちらのページの大体何行目ぐらいにあったかを憶えています。

何故に夢のハナシになったかは、取り下げた記事と関係はなく、努々(ゆめゆめ)ハナシをごまかそうとしたわけでもありません。

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1 コメント

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1/22のサザエさんはグー (NSU)
2012-01-23 09:22:33
反射的に勝ちました。
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