テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

ステルスマーケティング、アンダーカバーマーケティング

2012-12-12 23:34:46 | シロートの戯言
アンダーカバーといえば、ストーンズの懐かしいアルバムが真っ先に思い浮かぶ世代なので、さほど語感そのものに悪いイメージは無いのです。
つい今日の事ですが、手数料ぼったくりの詐欺オークションサイトのステマに30万円の報酬で加担したタレントの事件が話題になっていました。虚偽の事実で誘導するそのやり口は悪質そのものなので、目先のハシタ金に目が眩んだ愚劣な行為ではあるのですが、視野を広げれば、拙ブログやあまたの個人、企業のブログ、その他通販ポータルサイト、口コミサイト、検索サイトも含めて、多数のインターネットサイトがステマと呼ばれてもおかしくありません。
突き詰めると、マスメディアも含め、巨大な数の個人が集散するコミュニティに於いての倫理観の未完成に付け込んだ、商業主義、営利主義の横暴だと思うのですが、以前にも述べたように、数百数千を超える個体群のなかでは、ヒトは充分な社会性を維持するだけの生物的能力がありません。実際にその数量を知覚することができても、その数量に対する振る舞いや処置については、未熟なままと言い換えても良いでしょう。もちろん、そのまま(生物的能力だけ)では、ムラ以上のマスコミュニティに対応できないので、取り決め(慣習や法律などの決まり事)やツール(言葉や文字、書物に通信、宗教や教育)を用いて、富の再生産を行い、発展し続ける機構、組織を作ってきました。民主主義というのもそのツールの一つですが、個人個人が主役であるかのように語られることの多い民主主義は、反面、個人個人の多彩な情緒、衝動、欲求を単純化して集約し、切り捨てることでもあります。ところが、現在のインターネット含むインタラクティブなメディアは、その切り捨てられる部分を拾い出そうとする鬼子のような特質をもっています。コミュニケーションを無謬の善とするヒトの社会に於いて、その発達が民主主義という別のツールを阻害している、本来なら相互扶助すべきツールどうしが、バッティングしている事態だと捉えています。その軋轢に、もう一つの社会性ツール、商業主義が斜めに噛み合った状態が、昨今のステマめいた事象の氾濫なのだと思うのです。
件のタレントの話に即して言えば、高度な社会性をもったミツバチが、蜜の豊富な花のありかをその飛翔ダンスで示すときに、何らかの私的利益のために、虚偽の方角を示すようなダンスをすることはあり得ません。共通の巣という社会のためにならないことは行えない能力があるとも云えます。
拙ブログにおいては、少なくとも蜂や蟻や白蟻に恥ずかしいことはしないつもりでは居りますが、疑念や苦情は歓迎しますし、浅薄なワタシに是非とも多彩なご意見、お考えを賜りたいとも思っています。

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