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楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

海野十三の「断層顔」

2016-09-24 22:51:15 | 
2ヶ月ぶりに読書会がありまして、海野の短編ひとつまとめました。

初出が「探偵よみもの」1947(昭和22)年10月号

登場人物

・探偵 帆村荘六 
・依頼人 谷間シズカ 
・シズカのつれあい 碇曳治 
・恋敵 木田健一 
・桝形探険隊事務所所長 
・交川博士 
・助手 蜂葉十六 
・江川警部

あらすじ

近未来の趣のある老探偵・帆村荘六の事務所に女性依頼人、谷間シズカが現れ、尋常ではない恐ろしい顔をした男に付け狙われているので止めさせて欲しいという。
帆村は現在彼女と同棲している碇曳治が火星探険隊員として大きな殊勲をたてたとされているが、実は密航者だったことを突き止める。
そして、密航者がもう一人いて、それが、恋敵の木田健一だったのではないかと推測する。
重量オーバーによる船の非常事態を避けるため、一人は交川博士操作する物質転送装置により地球に送り返されることになるのだが、木田が貧乏くじをひくはめになった真相とは?そして、恐ろしい断層顔の男との関係は・・・。

みどころ

作品発表時より30年後という設定で、ずいぶん科学技術の発達した近未来を想定しているのが、興味深い。テレビが普及する前段階で、なにげにTVドアフォンを登場させていたり、臓器の取替えや物質転送装置、といったSF的ガジェットを惜しみなく盛り込んでいる。

作品発表の昭和22年といえば、終戦間もない頃だが、時代設定を30年後にした物語のとっぱなの文章に如何にも未来然とした情景が描かれている。
 美人の人造人間のカユミ助手が定刻を告げて起こしに来て
「――そして先生。今日は人工肺臓をおとりかえになる日でございます。もうその用意がとなりの部屋に出来ています」

しかし、これはプロローグの派手なサービスパフォーマンス。美人のカユミ助手もその後ほとんど登場しない。
ただ、臓器の移植がたやすく出来る技術の発達した時代だというのが、ひとつの伏線たり得るかもしれない。

ロケットで探検に出るといえば「火星」、容易く密航が出来てしまうといったご都合主義は、ひとつのお約束で、そんなものだろうと高を括っていたら、依頼人のシズカが同棲はしているものの、結婚して夫の姓になっていないあたりにちゃんと作者の計算があったのかなと考えさせられたり、最後はハッピーエンドに持ってきた手腕も楽しめた作品でした。

で、読書会の会場は文芸サロン的な様相を呈してまして、以下のチラシのようなものがたくさん置いてあります。
行こうかな、あるいはおもしろいなと思ったものちょっとご紹介。













最後に何かひとつの手芸品ということで、昨日に続きブルー系コサージュ。

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延長した本、ギリ返却

2016-08-24 23:16:53 | 


このく○暑い時節になかなか本を読む気にならなかったんだけど、今日が返却日だったので、むりやり流し込んで読み終えた。
瀬戸内寂聴の
「花芯」
「あふれるもの」
「夏の終り」
「けものの匂い」
「みみらく」
「蘭を焼く」
「吊橋のある駅」

このうち、「花芯」には以前に少し触れたが、肝心の課題図書の「あふれるもの」についてはいやでもまとめておかなくちゃいけない。

あらすじ

相沢知子は、売れない小説家の小杉慎吾とは8年に及ぶ愛人関係にある。
慎吾は、妻と知子の間をほとんど等分に往復して暮らすという生活を続けている。
そんなある日、知子は慎吾から“木下凉太”に会ったという話を聞かされる。
木下凉太は元夫の佐山の教え子で、佐山との離婚の原因になった6歳年下のかっての恋人である。
凉太は結婚に失敗し、南の島から一人で上京、近くに引越ししてきたらしい。
凉太と別れて12年、現在の暮らしにどっぷりと浸かった知子は、何ほどの感慨もなく、遠い身内の感覚でその事実を受け入れていたはずなのだが。
半分は妻のものである慎吾の欠けた時間に、穴埋めのように凉太を誘惑してしまう。
知子は慎吾に対する貞操観念を抱えながら、生気のない、かっての恋人にエネルギーを注ぎ込むかのごとく凉太にも身体を与えてしまうのだった。

感想

寂聴さんは「私は自分がしっかりしてるから、どうしてもダメンズを好きになってしまうのね」って言ってましたね。
分かる気はします。
友人関係でも夫婦関係でもお互い似てる部分と補い合う部分の両方が必要ですよね。
知的レベルや倫理観、道徳意識が違いすぎても、好きという感情は生まれにくいように思います。
かわいい娘やイケメンを好きになってしまうのは、本能の仕業ですから、この際置いときますが、いびつであるから惹かれるという人間のひとつの癖が曲者なんでしょうね。
ただ、一般市井の人間にとってはタブーの感覚が強い俗に言う「不倫」、作家なら大目に見てしまうは、そこに非難を引き受け、己の感性に従って生き抜いて行こうという覚悟があるからのように思えます。
世間というものに守られてぬくぬくと生きていける側の人間が、世間のやぶすまにさらされても、何かを追求していきたいとする殉教者的立場の人間に多少の寛容を示すという図式なのかもしれません。
しかし、奥さんの気持ちには目をつぶってるわけですよね。
自衛のなせる術か想像力は停滞して、踏み込んでいくことが出来ない。
凉太とよりを戻すのも、凉太への同情に見せかけて、自分では埋めきれない空洞への補填材とした要素があったのではなかったか・・・。
結局、自分しか見てないという傲慢さが浮かび上がってきやしないですかね。
単にわがままであさはかと切っては捨てられないかもしれないけど、それが自分に忠実に生きることとも言えないような気がします。
「あふれるもの」の続編として「夏の終り」が書かれているんですが、結局凉太は捨て駒になり、半身の慎吾では決して完結し得ないという不毛感が結論にならざるを得ないというお話です。


写真は先日帽子を買ってくれたTさん宅のレモンちやん。ガチャガチャでとった被り物付けたのを友人であるYさんが送ってくれました。きゃわ♡
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「花芯」昨日の続き

2016-08-02 13:05:28 | 


あらすじ

主人公は古川園子。
小学生のころからの許婚であり、園子の父親と彼の母親がいとこ同士であった雨宮と20歳そこそこで結婚する。
雨宮は優しかったが、園子は覚めており、それでも長男の誠を妊娠し、結婚生活も3年が過ぎる。
そうしたある日、電気工事会社に勤める雨宮が京都支店に転勤になる。
京都では、支店長代理の越智泰範が、待っていた。

越智は自分よりも20も年上の北林未亡人とねんごろらしいと後には知るが、引っ越しの荷物で散らかったアパートの部屋で、園子と越智は見つめ合い、園子は恋に落ちる。
まだ結ばれてもいない恋情だけの園子ではあったが、夫の営みに応じられない自分をもてあまし、「越智さんを好きになってしまった。こんな気持はじめて」と雨宮に口走ってしまう。

雨宮は、園子が初めから雨宮への愛を持っていなかったことを信じようとせず、園子に暴力を振るうようになる。
心身を患った園子は病気療養の名目で、実家に戻り、父親と懇意にしていた芸者の友奴のはからいで、越智と密会する。
何日か後、園子と越智は、箱根の温泉に出掛けるが、園子は急に胃痙攣を起こして寝込んでしまい、越智はかいがいしく看病する。
園子は越智と温泉ですごしたその4日間だけ「私の恋は生きていた」と感じ「その後二ケ月を経て、越智とはじめて肉体的に結ばれた時、私の恋は終わった」と思うのだった。

園子は家を出て、友奴の娘の留美子の家のある東京へ行く。
園子は、銀座の帽子店に勤めるが、帽子店のオーナーであるマダムの本職はコールガールの斡旋で、園子は、報酬無しで指定された男と1度だけの交わりをするようになる。

雨宮とはとうに別れ、越智との関係を続けながらも、園子は、一夜限りの男たちとの情交をもむさぼっていた。
そんな情夫のひとり、遊び慣れた60歳を超えた男から、「かんぺきな……しょうふ……」と言われる。その時から園子は、男から、ためらわずに金を取るようになる。

そして、雨宮と妹の蓉子が結婚したという話を聞いても、園子は何の痛痒も感じなかった。
しかし、そんな園子にも、人知れぬ怖れがあった。
「私が死んで焼かれたあと、白いかぼそい骨のかげに、私の子宮だけが、ぶすぶすと悪臭を放ち、焼けのこるのではあるまいか」


堕ちて行く女の性愛の描写を、そんなもんだろうかとどこか醒めた目で眺めている自分がいますが・・・。
多分、人間を区分するとき、深く物事を考えずに平凡で従順な羊として生きて行ける人間と、本質から目を逸らすことがどうしても出来ない世間からは異端としてつまはじきされるいわゆる負組の人間というざっくりとした二つの分け方が出来るんじゃないかと思います。
双方が互いに理解しあうのは難しいですよね。
体験というのはひとりひとり体験した本人にしか分からないからです。
寂聴さんはお釈迦様も性の深遠を覘いたことのある人間だったんじゃないかと言ってました。
性がすべてではないけれど、それを避けては通れない生活の仕組みというものがあって、各々がその感性の命じるままに進むべき方向を選び取っているんですよね。
もともと、作品は私小説に等しいもので、寂聴さんの生き方がそのまま投影されてます。
徳島では、かって、子供を捨てて、恋に走った寂聴さんを嫌う一部良識派県民の圧力があって、それは今でも完全に無くなっているわけではありません。
しかし、文学という手段で説明を受けると、むげに聞く耳持たぬ態度をとる訳にはいきません。
微細な生への疑問を、身体を張って、私たちに投げかけているんだなと感じるからです。
「あ、これか」と文字通り自分が体験してみて初めて分かる人間の心理、肉体的変化、これらから無縁の人間なんてまずいません。
どこまで行くか、行けるか、そこには人智外の力が働いているのではないかと思うところです。

写真は拙宅のシュウカイドウ。
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海野十三の麻雀殺人事件

2016-06-26 23:24:56 | 


「新青年」博文館 1931(昭和6)年5月号が初出

作品舞台は作品発表時と同程度の時代の銀座街、麻雀倶楽部。

主な登場人物として
・探偵 帆村荘六 
・麻雀のメンツ スポーツマンの松山虎夫、理科大学教授の星尾信一郎、美少年大学生の園部壽一、「お狐さん」と綽名される川丘みどり 
・麻雀倶楽部の従業員、舟木豊乃 
・雁金検事、河口捜査課長

あらすじ
仕事が一段落したので、羽根を伸ばしに麻雀倶楽部にやってきた帆村荘六は、席が空くのを待つ間眺めていた競技中の馴染み客の一人が、気分を悪くしてその場を抜けるのを目撃する。
倶楽部もお開きとなり、帰ろうとした帆村は、まだ休んでいるというその客を見舞うと、そこにはすっかり事切れて変わり果てた客の姿が。
死んだのはスポーツマンの松山虎夫。
毒殺の疑いがあるということで捜査が始まり、その日卓を囲んだ、理科大学教授の星尾信一郎、美少年大学生の園部壽一、仲間のみんなから思いを寄せられていたと見られる川丘みどりらが調べられる。
一方、帆村は松山の拇指の腹に小さい傷があること、毒物が塗りつけられたとみられる牌を発見、その毒物が染みた脱脂綿を星尾が道端に捨てたのを刑事が見咎める。
ところが、この綿は月経だったみどりの持ち物だったのを星尾が盗み出し、それをまた豊乃が盗み、屑籠に捨てられたものと、犯人が落とし、自分のものと勘違いしたみどりが拾い、みどりがまた落としたそれを星尾が拾うものと2種類あり、読者の頭をかき乱します。果たして、犯人は?

やはり、時代を感じざるを得ない古臭さはありましたが、割とまともな推理小説でした。
しかし脱脂綿て、今の若い子は分からないですよね。

趣味の例会のおまけのまとめ。

手持ちの猫柄が切れるまで、ポーチ、コンスタントに作っていきます。珍しく真面目やん、自分。
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中川静子の「白い横顔」

2016-06-07 23:03:01 | 
今月の課題図書で、県立図書館からやっと回ってきました。
第53回(昭和40年上期)直木賞候補になった作品です。

文芸同人誌で小説を書く生真面目で奥手な素子は、貧乏人の自分とは違って、洗練されたサークルの主宰者「芝原」から謎かけのように誘われ、男女の関係を持ちますが、お話は淡々と静かに素子のモノローグで進行して行きます。

住む世界が違うと気後れし、素子自身からの恋情はないと思っていながら、しかし、妻帯者である彼のささやきかけに一種くるみ込むような甘美さを感じていたという文章に予感が潜んでいます。

以前、渡辺 淳一の新聞小説「愛ふたたび」を読んで感じた、男というのは女の共感への希求には興味がないんだということをこの小説でも感じました。

共感というのは、私はあなたが好き、あなたも私が好きでしょう?という確認心理なんですが、男はそこを省くんですね。
女は心の繋がりが感じられないと、身体だけが目当てなんだと拗ねてしまうもんなんですよね。

素子の場合も、誘われたものの、芝原が自分のどこを気に入ってるのかまったくわからない、好きだとか、かわいいとか本能的に女が望む言葉は一切なく、「困った人ですよ」と自分を見透かしたような、暗示的な言葉で芝原には煙に巻かれます。

そして、関係を持ったことで、何かが素子の中に芽生えるのですが、芝原は冷淡でも、ずるい人間でもないにしても、熱情や真摯さがなく、女はもやもやした気持ちの持って行き場がなく、悶々とした日々を送ることになります。

女の気持ちは同姓としてよく分かります。
ただ、自尊心が邪魔してわたくしには、あてつけに他の男と寝てみたり、煮え切らない男にうらみつらみの手紙を書くと言ったバカな真似は出来ないと思いますけど、走り出した車はもう自分ではコントロール出来なくなってしまうんですね。

人間の性、なにも男女に限ったことではありません、なかなか愚かさからは逃れられないと言う事実、日々実感しています。

ところで、話は変わるんですが、ジャンプで冨樫義博のHUNTER×HUNTERが再開されてんですよね。
画力がハンパない。バトルシーン、惚れ惚れします。しばらく生きる意欲アップです。
それと月刊フラワーズ7月号、萩尾先生のポーの一族が復活ということで、アマゾンで発売と同時に売り切れになってしまったそうなんですが、史上初、月間漫画雑誌の重版が決まったと今日のニュースで流れてまして、慌てて書店に予約に行って来ました。
www、なんと言うかアドレナリン大放出です。生きてりゃ、いいこともあるんだなあ。

コメント (2)
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