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楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

岡田みゆきの「実験観察記録」

2016-12-18 23:28:23 | 
主人公は井沢常治、小学校の教員である。

旧制中学卒業したばかりの臨時教員から、勤める小学校の片岡校長に取り立ててもらって教諭となり、13年間、同じ小学校で「虫の先生」として生徒たちを教えている。

しかしそれは生徒たちの理科研究の顧問という立場での呼び名であり、学生日本昆虫学会の特等賞を取った名誉も県理科研究部長の肩書きを持つ片岡校長の指導ありきとされ、井沢が虫研究のエキスパートととして、周囲から一目置かれているというわけではない。

井沢は唖の妹、秋子を空襲で亡くすが、その死によって、日ごろから他人に訴える術のない秋子を誰にもばれない様に巧妙にいじめていた自分の暗部を自覚し、一種のトラウマに陥っているようである。

さて、何がショッキングだったかというと、のっけから、ゴキブリを湯煎するという場面から物語は始まるのである。
つまり、ゴキブリは何度の温度まで耐えられるかの生徒たちの実験観察なのだ。
後にはハエ、その前段階の蛆も出てくる。

昔話に「虫愛ずる姫」というのがあったが、あれは姫の理屈がちゃんと通っていて気持ち悪さを感じるようなものではない。

しかし、作家の目で描く「しがない小学教員」に女性である岡田みゆきは何故、ゴキブリや蛆といった嫌われ者を配したのか、その容赦のなさに(すごいなぁ)の感嘆のつぶやきが漏れてしまう。

この人はほんとに自分で実験したんじゃないだろうかと思わせるような、リアルで精緻な実験描写のなかに、さまざまに揺れ動く主人公の心情もつぶさに解剖してみせて、同調は出来ないが、(ああ、分からんでもない)とシンと眺めてしまう視点を提供しているのだ。

自分を表現して生きてゆくのに、その破りがたい狭い殻こそが、自分らしさなのだろうか。
諦念の思いの外にそれでもほとんど無意識的にエールを送る意識が生まれるのを希望とは言わないだろうが・・・。
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海野十三の「ふしぎ国探検」

2016-12-17 21:37:44 | 
本日読書会で、引き続き岡田みゆきの作品が課題図書だったのですが、「タヒラの人々」と思い込んでおりましたら、このタイトルの短編集の中の「実験観察記録」だったんですね。
帰宅して読んだんですが、超短編ながら、ちょっとショッキングな内容で、気持ちの整理してから、後日感想などカキコしたいと思います。
で、恒例の海野の調査票の方でお茶濁します。

初出 「ラジオ仲よしクラブ」1947(昭和22)年9月号~1948(昭和23)年7月号

収録本 「海野十三全集 第12巻 超人間X号」三一書房 1990(平成2)年8月15日第1版第1刷発行

時代設定 発表時と同時代程度

作品舞台

ポーデル博士の案内により少年東助と少女ヒトミが原子から宇宙の世界までさまざまな不思議な空間を旅する物語である

登場人物 ・ポーデル博士 ・少年東助 ・少女ヒトミ

あらすじ

夏休みの宿題のために野原に出かけていた東助とヒトミは樽のような飛行物体から現れたポーデル博士と名乗る不思議な人物からさまざまな冒険の世界へ案内される。
SFの題材として思いつくあらゆる可能性の世界を惜しげもなく散りばめてまるで万華鏡の旅のようである。
例えば、時間の進行を調節して植物がまるで人間にように動き回る世界をかわきりに、透明人間、原子爆弾をテーマに蝿に語らせる地球の未来像、無重力および重力が過度に働く世界、あるいはインチキ霊媒師のトリックを解説したり、四次元世界やミクロ世界、海底王国やはたまた永久機関の話、そして銀河の姿まで詰め込みすぎと思われるほど不思議な冒険の世界がぎっしりと詰まったおもちゃ箱のような物語が展開される。

みどころ

それぞれをオムニバス形式で括っているが、全体像として関連があるわけではなく、ひとつ、ひとつがそのテーマで作品が語れる短編の寄せ集めである。SFの祖と呼ばれるに相応しい、アイデアの宝庫集といっても過言ではない。ジュブナイルものではあるが、多分、作者も大いに楽しみながら筆を進めたであろうことが伺えるSF娯楽小説である。

「海底王国」では作品を書いた昭和22年からおよそ20年後との設定なのだが、ずいぶん科学の発達した世界が描かれている。
多分、根拠のある数字ではなく、適当な設定だとは思うが、そもそも全能的な印象を受けるポーデル博士がいったい何者なのかまったく説明はされておらず、ざっくりと宇宙人かしらんという程度のいい加減さが全編貫かれてますから、そこら辺気にするのが当たらないということになります。
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海野十三の「ヒルミ夫人の冷蔵鞄」

2016-11-12 23:15:01 | 
画像がないと寂しいので、先日教えてもらった折り紙、広告紙で折った少し大きめの分を、もらってきた小さな分と合わせて貼り付け。
大きな方はさる目論見があって、あと2つ追加する予定です。^ ^



さて、本日、読書会の当日でして、岡田みゆきの「谷間の神」についてはディスカッション対象、海野の作品については継続的に調査票対象ということで、恒例の概要紹介と参ります。

初出 「科学ペン」三省堂 1937(昭和12)年7月

収録本 「海野十三全集 第5巻 浮かぶ飛行島」三一書房 1989(平成元)年4月15日第1版第1刷発行

時代設定 発表時と同時代程度

作品舞台 ヒルミ夫人の生活空間

登場人物

・物語の語り手 
・ヒルミ夫人 
・不良少年、モニカの千太郎
・ヒルミ夫人の夫、万吉郎 
・語り手に声をかける正体不明の若い男

あらすじ

朝霧の中、写真を撮りにきた男は「低いボデーの上に黒い西洋棺桶のようなものが載っている奇妙な車」を運転する美しい女を目撃する。
そこへ「あれですよ『ヒルミ夫人の冷蔵鞄』というのは」と話しかけてきた若い男が、コーヒーをおごってくれたらその冷蔵鞄の中身を教えると言う。
男によるとヒルミ夫人というのは天才的な整形外科医で、先頃、万吉郎という五つも年下のたいそうな美男子と結婚したらしい。
その二ヶ月ほど以前には大きな刃傷事件があり、とばっちりを食ったモニカの千太郎という瀕死の不良少年がヒルミ夫人の神手術のお陰で一命を取り留めるのだが、回復した千太郎は行方をくらます。
しかし、実はその千太郎が整形手術で美しく変身した万吉郎だというのだ。
しかも、ヒルミ夫人はその若い夫に夢中で、あまりの自分への執着振りに辟易する万太郎は、何とか逃げ出す手立てがないものか考えを巡らす。

みどころ

美人と不美人との相違の真髄は何処にありやと考えるのに、要するにそれは主として眉目の立体幾何学的問題に在る。
眉目の寸法、配列等が当を得れば美人となり、また当を得ざれば醜人となる。
しかも美醜間に於ける眉目の寸法配列等の差たるや極めて僅少に過ぎない。
整形手術により、美しさは容易に手に入るのだから、それを試みずして自分の醜さを嘆いて一生を棒に振るなど愚かしいことというヒルミ夫人の考え方は現代でも十分検証に値する問題。

美醜テーマでは別の機会に私見などつぶやいてみたいが、損得(プラスマイナス)でいえば、美しいからと言って絶対的得ともいえないんじゃないかとは思うんですけど、どうでしょう。
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谷間の神

2016-11-09 22:01:11 | 


今月の課題図書が「岡田みゆき」の「谷間の神」。O氏がどういう経緯で課題図書に決めたのか分からないけど、本が手に入らない。
調べると1961年に創刊された徳島の作家の同人誌「暖流」第一号に掲載された作品で、県立図書館で所蔵が確認できたものの、貸し出し禁止の代物。
仕方がないので、図書館で読んで来ましたが、手元に読み直しの出来る本がない上、記憶力のすさまじい減退でまともな感想など書けるはずもありません。かろうじて登場人物の名前だけはメモしてきたので、思い返しながら、何とかあらすじだけでも少しまとめたいと思います。





上は掲載の一頁目と著者影です。上に写っている方が岡田みゆきさん。写真で見る限り、モダンな雰囲気を持つ明るい美人という印象です。
この号の近況報告によると教師で主婦で作家という三足のわらじをはいていたようです。

さて、あらすじはといいますと

谷間を散策していた栄子は村の少年に出会うが、栄子を見た少年は悲鳴をあげて逃げて行く。
まるで恐ろしいものを見たような少年の反応にいぶかしい思いを抱きながらも、いや、あるいはそれは・・・と栄子は考える。

育った村ではいつも大切にされ、何事にも群を抽んでて人々に讃嘆されていた栄子は、しかし、町に出ると、その自尊心は見事に打ち砕かれ、劣等感と孤独にさいなまれる。
しかし、級友の体操選手である、田上敬子に憧れて、自分の意識を彼女にそっくり乗せて、その躍動する身体すらも共有するというひそかな楽しみを発見し、自分を解放するすべを得る。
そんなある日、自分の足の痛みが、シンクロしていた田上敬子に競技を誤らせるという事件が起きる。
単なる偶然なのか、自分の所為なのかは分からないが、いずれにしてもシンクロの事実を知っているのは自分のみ、他人が栄子と関連付けて考える筈もなかった。

失意の栄子は村に戻る。逃げた少年のことを胸で吟味しながら、家路へ向かう栄子は幼なじみ「静子」の兄、牛尾謙一に会う。
何かと心頼りにしている謙一に、自分の気持ちを聞いてもらいたい栄子だったが、謙一からは「“薬売り”に会ったか?」と問われる。
その薬売りとは、某日、油断していた栄子に思いがけず手をかけようとして来た男で、今、病に伏しているという。

「わたしの所為?」「そんな訳ないだろ」「それより、国行貞男と結婚するのか?」「町の人間は嫌いや」
そんな会話をしながら、栄子は謙一は信用できる人間だという思いを強くする。

しかし、誘われた集会に参加してみようと会場に近付いた栄子は、切れ切れに聞こえてくる、栄子を裏切っているとしか思えない謙一の言葉に衝撃を受ける。怒りに我を忘れる栄子。

後日、謙一の死体が谷で発見される。
驚き、悲しみに打ちひしがれた栄子はふらふらと謙一の家へと足を向けるが、家の窓には謙一の妹、静子の姿が。
そして静子はそっくり栄子となって栄子の声を発し、栄子の物語を語っているのだった。

私は「イヌガミ」なのだと確信する栄子。
家は山持ちで、亡くなった父親は医者。人から尊敬される条件は備えており、表面上は祀り上げられていた谷間の神様は、実はずっとずっと恐れられてきた忌まわしいイヌガミの家系の人間だったのだ。

村を出る決心をした栄子に物陰から石つぶてが飛んでくる。
そのひとつは栄子に当たり、血がにじむ。
栄子はやっと開放され、自分を取り戻した気持ちになるのだった。

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海野十三の「不思議なる空間断層」

2016-10-22 21:34:20 | 


本日は読書会の例会日。海野の「不思議なる空間断層」の調査票を作成し、例会場所に持参。
午前中に夫が退院して帰ってきたので、気忙しくて作りたかったかぼちゃケーキを断念し、代わりに1個だけマジックでハロウィン化粧した自宅の柿をお土産に。
(昨日は昨日で障子の張替え、シーツや布団カバー、枕カバーの取替えなど、珍しく主婦の仕事などしたもんですから、神様が身震いして、地震が起こったのかと思いました)

初出は「ぷろふいる」 1935(昭和10)年4月

時代設定 発表時と同時代程度

作品舞台 主人公、友枝八郎の夢と現実

登場人物 ・主人公、友枝八郎 ・友枝の友人 ・杉浦予審判事

あらすじ

ちょっと風変りな友枝八郎は、夢の話をよく友人に聞かせる。
最近見た不思議な夢はこうだ。
「窓が一つもない長い廊下を歩いていた俺はドアノブが金色の部屋へ入った。
そこには大きな鏡があってそこに写った自分の顔は普段の青白くて、弱々しい丸顔ではなく精悍で勇ましい顔だ。
鏡の前で満足げに自分の姿を眺めていたが、後ろに男女のカップルが現れ、よくみると女は自分の愛人である。
二人の様子を鏡越しに盗み見ていた俺はしかし、鏡に写った自分が本体とは異なった動きをすることに驚く。
何故か鏡の中の俺はピストルを持ち、愛人を狙っている。
パニックに陥った俺は鏡の中の自分に合わせて愛人を撃ってしまう。
そして後日、俺はまた長い廊下を歩いてドアノブが金色の部屋へ入る。
同じように男女が現れる。鏡の中の俺は今日は本体とぴったり一致している。
以前の夢をなぞるように裏切り者の女を撃つ。しかし、愛人と思った女は友人の細君だった。」

みどころ

どこまでが夢でどこからが現実なのか最後まで判然としないように描かれている。
二転三転する現実認識。
ちょっと風変わりという友枝の人物設定、なぜ、鏡の中の自分の風貌が変わっていたのか、そして、本体と鏡の像の乖離の原因は?
夢と思っていたが、友枝は殺人を犯してしまったのか、その筋書きの動機は?曖昧模糊とした不可思議な世界に誘われ、楽しめる作品となっている。

しかし、前回の「断層顔」は何となく分かる気はするが、今回の「不思議なる空間断層」というタイトル、なぜ断層なのか解せません。
緻密な伏線が張られてあるわけではないのだが、(ああ、そのような事情が考えられないこともないな)という後付の説明に作者のストーリーテラーぶりを見る思いはする作品でした。
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