再掲 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》



今朝の最低気温は午前6時の16.0℃。 最高気温は午後2時の26.7℃。
今日はほぼ快晴。 10月と言えども日差しは強いですね。 湿度50%前後の爽やかな暑さです。
就寝前に飲む薬が効いて症状は安定し、クリニックに行くほどではないのですが、
明日は妻を病院に連れて行かねばならないので、今日行ってブロック注射をうってもらいました。
これで明日、明後日は快調に過ごせます
(笑。
1階のテレビはBS放送が入りません。 という事で、お昼になったら2階のひげの部屋に上がって来て、
韓国ドラマ “伝説の心医 ホ・ジュン” を見ています。
ひげはもう一度見ているのですが、面白くなって一緒に見ていました。
今日が最終回だったのですが、妻曰く
「ホ・ジュン先生じゃったら、お父さんの病気も薬草と鍼で治してもらえるんじゃろうにねぇ」(笑。
「そんとな事あるかい、そりゃぁ現代医学の方が発達しとるじゃろう」(笑。
「ほいでも、ホ・ジュン先生は胃がんや心筋梗塞まで薬草と鍼で治しちゃったよ」(笑。
そのホ・ジュン先生も自分のお母さんの認知症は治せなかったですねぇ。
今日は 再掲 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》 です。
まずは 「大江山頼光の木渡り」… 大江山は京都府丹後半島に有る標高832mの山です。
平安中期、京の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。

そこで同行していた力自慢の一人が、傍の松の大木を根っこから引っこ抜き橋を掛け、
源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。
その力自慢の男こそ “坂田金時” だったそうです。

♪まさかりかついで きんたろうくまにまたがり おうまのけいこ ハイシドウドウ ハイ ドウドウ…
“坂田金時”… 幼名を “金太郎” と言い、あの童謡に歌われている “金太郎” です。
大江山の羅生門に鬼退治に行った渡辺綱ら4人。 そこへ道に迷った若い娘が現れます。


渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は正体を現し、鬼に変身し綱に襲い掛かります。

しかし綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落としてしまいます。
「茨木童子、腕を取り返す」 鬼(茨木童子)の腕を切り落した渡辺綱でしたが、
鬼の復讐を恐れ、門を閉じて舘に籠り、綱は仁王経の読経を続けていました。
そこへ叔母が訪ねて来るが綱は鬼に怯えて会おうとしません。
叔母は 「何という薄情なことを言うのか。 お前は幼い時、夏の暑い日は扇の風で凌がせ、
厳冬の寒い夜は衾を重ねて暖めた。 あれ程 可愛がって育ててやったのに」 と情を説きます。
ついに綱は情にほだされ叔母を屋敷に招き入れます。

しかし、その叔母は鬼(茨木童子)の化けた姿だったのです。
本性を現した叔母はまんまと切り落とされた腕を奪い返した。 …と云う伝説です。
次は皆さんご存じの “忠臣蔵” から 「刀傷松の廊下」 です。
元禄年間(江戸時代)に、江戸城は松の廊下で吉良上野介に斬りつけたとして、
赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹に処せられた事件。
さらには、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入りし、仇を討つ物語ですね。

彫り物は赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
閑話休題… “刃傷” と書いて “にんじょう” と読むのですね。
続いては 「箱根詫び證文」 です。
赤穂浪士四十七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、馬子の丑五郎と馬に乗れ、
乗らない、で口論になり、丑五郎は馬に乗らないなら詫び證文を書けと迫ります。
神崎与五郎は “大事(討ち入り)の前の小事” と我慢して、詫び証文を書きました。

その後、赤穂浪士の討ち入りが有り、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。
最後は “赤穂浪士討ち入り” の時に亡くなった清水一学(しみずいちがく)です。
二刀流の名手として、吉良側で最も奮戦した剣客として描かれているそうです。

ひげたちが子供の頃のチャンバラごっこには、必ず “清水一学” が出て来たもんですが、
今の子供らは知らないだろうぅなぁぁ(笑。
“赤穂浪士討ち入り” の場面もどこかのだんじりに描かれている筈ですが、まだ出会っていません。




今日はほぼ快晴。 10月と言えども日差しは強いですね。 湿度50%前後の爽やかな暑さです。

明日は妻を病院に連れて行かねばならないので、今日行ってブロック注射をうってもらいました。
これで明日、明後日は快調に過ごせます


韓国ドラマ “伝説の心医 ホ・ジュン” を見ています。
ひげはもう一度見ているのですが、面白くなって一緒に見ていました。
今日が最終回だったのですが、妻曰く
「ホ・ジュン先生じゃったら、お父さんの病気も薬草と鍼で治してもらえるんじゃろうにねぇ」(笑。
「そんとな事あるかい、そりゃぁ現代医学の方が発達しとるじゃろう」(笑。
「ほいでも、ホ・ジュン先生は胃がんや心筋梗塞まで薬草と鍼で治しちゃったよ」(笑。
そのホ・ジュン先生も自分のお母さんの認知症は治せなかったですねぇ。
今日は 再掲 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》 です。

平安中期、京の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。

そこで同行していた力自慢の一人が、傍の松の大木を根っこから引っこ抜き橋を掛け、
源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。


♪まさかりかついで きんたろうくまにまたがり おうまのけいこ ハイシドウドウ ハイ ドウドウ…
“坂田金時”… 幼名を “金太郎” と言い、あの童謡に歌われている “金太郎” です。



渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は正体を現し、鬼に変身し綱に襲い掛かります。

しかし綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落としてしまいます。

鬼の復讐を恐れ、門を閉じて舘に籠り、綱は仁王経の読経を続けていました。
そこへ叔母が訪ねて来るが綱は鬼に怯えて会おうとしません。
叔母は 「何という薄情なことを言うのか。 お前は幼い時、夏の暑い日は扇の風で凌がせ、
厳冬の寒い夜は衾を重ねて暖めた。 あれ程 可愛がって育ててやったのに」 と情を説きます。
ついに綱は情にほだされ叔母を屋敷に招き入れます。

しかし、その叔母は鬼(茨木童子)の化けた姿だったのです。
本性を現した叔母はまんまと切り落とされた腕を奪い返した。 …と云う伝説です。


赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹に処せられた事件。
さらには、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入りし、仇を討つ物語ですね。

彫り物は赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
閑話休題… “刃傷” と書いて “にんじょう” と読むのですね。

赤穂浪士四十七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、馬子の丑五郎と馬に乗れ、
乗らない、で口論になり、丑五郎は馬に乗らないなら詫び證文を書けと迫ります。
神崎与五郎は “大事(討ち入り)の前の小事” と我慢して、詫び証文を書きました。

その後、赤穂浪士の討ち入りが有り、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。

二刀流の名手として、吉良側で最も奮戦した剣客として描かれているそうです。

ひげたちが子供の頃のチャンバラごっこには、必ず “清水一学” が出て来たもんですが、
今の子供らは知らないだろうぅなぁぁ(笑。
“赤穂浪士討ち入り” の場面もどこかのだんじりに描かれている筈ですが、まだ出会っていません。