ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-4》

2021-09-30 10:40:26 | 日記
          《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-4》



 今朝の最低気温は午前6時の21.5℃。  最高気温は午後1時の28.8℃。
晴れているのか、曇っているのか… やっと物の影が出来る位の雲と日差しです。


〖自民党総裁選 岸田氏 決選投票で新総裁に選出〗  2021年9月29日
自民党総裁選挙は、1回目の投票でいずれの候補者も過半数に届かず、決選投票の結果、
岸田前政務調査会長が、河野規制改革担当大臣を抑えて、新しい総裁に選出されました。

 雑感… まぁ数日前から “一回目の投票では河野氏が有利だが過半数は取れない。
河野氏、岸田氏の決戦投票になれば、高市氏の票が岸田氏に流れ、岸田氏が有利”
 と
盛んにマスコミが言っていましたからねぇ。
どう云う選挙力学が働いたのかは知りませんが、勝者が分っていれば乗らない手は有りません。
主義主張とは別に勝ち馬に乗るという保身が働いたのでしょうね。
後で何か良い事が有るかも知れませんからね  
 ひげは岸田氏の人となりを知らないので、政治的な力量を知りません(汗・笑。
ただひげと同じ広島出身、大のカープファン、お好み焼きが大好き… 期待しましょう? (笑。

 
 だんじり祭りは見守っている小学生も楽しみにしているお祭りです。



                  小さな子も走ります(笑)

今日は 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-4》 です。
 まず最初は… 「信長熱田神宮戦勝祈願」 です。

戦国時代、織田信長が今川義元との決戦(桶狭間の戦い)を前に必勝を祈願した場面です。
〖西野神社・社務日誌〗によると… 【熱田神宮に着いた信長は、右筆(ゆうひつ)の武井夕庵に
“この戦いは多勢に無勢、苦しい戦いとなる。熱田大神の力を借りて、是非勝利したい” という趣旨の
願文を作らせ、御神前に跪いて、集結した兵達の前でこの願文を読み上げ戦勝を祈願しました。
この時、本殿の奥から甲冑の触れ合う音が聞こえ、一羽の白鷺が舞い立つという吉兆が顕れたそうで、
信長は「これぞ、熱田の大神が我々を護り、勝利に導くしるしである!」と兵達を激励しました】

 2枚目は… 「多聞丸射術修行」 です。 多聞丸とは “楠正成” の幼名です。


 3枚目は… 「林軍太・多聞丸に降参」 

多聞丸(後の楠正成)の父と敵対していた林軍太。
その息子多聞丸の武勇が優れている事を聞き、のちの災いになると思い、力量を試す場面です。
歯が立たなかったようですね(笑。 この時、多聞丸は弱冠11歳だったそうです。

 4枚目は… 「後醍醐天皇御夢」 です。

後醍醐天皇が楠正成の存在を知ったのは夢のお告げ… 
ウィキによると… 【元弘の乱が発生し、天皇が笠置山に籠り、ある夢を見た。
その夢の中では、庭に南向きに枝が伸びた大きな木があり、その下には官人が位の順に座っていたが
南に設けられていた上座にはまだ誰も座っておらず、その席は誰のために設けられたものなのかと
疑問に思っていた。すると童子が来て「その席はあなたのために設けられたものだ」と言って
空に上って行っていなくなってしまった。

夢から覚めて、天皇は夢の意味を考えていると「木」に「南」と書くと「楠」という字に
なることに気付き、寺の衆徒にこの近辺に楠という武士はいるかと尋ねたところ、
河内国石川郡金剛山(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)に橘諸兄の子孫とされる
楠木正成(楠正成)という者がいるというので、後醍醐帝はその夢に納得し、
すぐさま楠木正成を笠置山に呼び寄せる事にした】

 5枚目は… 「桜井の驛」 父、楠木正成と子の正行(まさつら)の今生の別れの場面ですね。

【建武3年(1335)5月21日、楠木正成公、湊川の決戦に向かうにあたり桜井の駅で、
長男楠正行と今生の別れを告げる。 正行は父に従わんと願ったが、正成曰く
「後に残り忠孝を励め」と短刀一振りを与えて河内へ帰す。 時に正行11才である。
ひげは歌で知っています ⇒  ♪桜井の別れ
 ♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に駒とめて  
         世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に  散るは涙かはた露か

 6枚目は… 「楠正成、包近八幡宮へ戦勝祈願」 です。

楠正成は包近にも来ていたんですね。 包近八幡宮は楠本神社のようです。

 7枚目は… 「正行如意輪堂」 です。 正行は楠正成の嫡男です。

四条畷の決戦へ出発に当たり、鏃を以って如意輪堂の扉に辞世の歌を残したそうです。
“かゑらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る名をぞとゞむる”
(今度の戦いは生きて再びかえれぬ身。 故に、亡き人の仲間入りをする名前を残して
出発します… と言う意味だそうです)  23歳だったそうです。

 8枚目は… 「義貞 龍神に宝剣を献ず」  これも歌で知っています ⇒  ♪鎌倉 

 ♪七里ヶ浜のいそ伝い稲村ヶ崎 名将の剣 投ぜし古戦場

 9枚目は… 「神武天皇東征」 です。

日向(高千穂)を治めていた神武天皇(死後の命名)が東に進軍し、大和朝廷を建国。
八咫烏(やたがらす)が、神武天皇勢を大和へと道案内しました。
建国記念の日(2月11日)は、神武天皇の即位日である旧暦の紀元前660年1月1日にあたり、
明治に入って新暦に換算した日付だそうです。 
神武天皇は紀元前711年2月13日生まれ、紀元前585年127歳で没。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-3》

2021-09-29 10:15:52 | 日記
           《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-3》



 今朝の最低気温は午前5時の22.4℃。  最高気温は午前11時の27.7℃。

今朝は青空と雲の部分が7:3。 雲は一部がうろこ雲。 少し秋めいた空になって来ました。
部屋でテレビを見ている分には過ごしやすい気温です(笑。


ワイドショーのトップは 『小室圭さん 米国から帰国 宮内庁 近く眞子さまとの結婚発表へ』
なんかえらい騒がれとるけど、二人の問題じゃけぇ、もうええんじゃないん? 
真子さんも、国からの1億数千万円の一時金を辞退し “とにかく結婚させて” と言っとるんじゃし、
そんなに反対するような問題なんじゃろか? なんか駆け落ちみたいで可哀そうじゃ
庶民のように、母親が裏からこっそり援助なんかする事は出来んのじゃろうしね 
もう二人とも30歳、立派な大人じゃ、そっと見守ってあげてたらええんちゃうん?

二人はなんも悪くない。 だいたい事の発端は小室さんのお母さんの問題ですよね。 
相手の男性もしっつこいよなぁ   こんなにモメさせてなんの得が有るんやろ?
やった金か貸した金か知らんけど、400万円に利子つけて、500万円もらって
もう許してやったらどないだぁ 


 『菅首相会見 宣言・重点措置 すべて解除決定』 2021年9月28日 20時28分
19都道府県の緊急事態宣言と8県のまん延防止等重点措置が、10月からすべて解除。

 雑感… 昨夜の菅首相の会見 「ワクチンと治療薬の供給にめどがつきつつある中で
『新型コロナとの長い闘いにもはっきりとした明かりが見えてきている』と申し上げた。
この言葉には数々の批判もあったが、今や効果は明らかであり、明かりは日々輝きを増している
と実感している」
 これを言った時の菅首相は誇らしげでした (笑。
もし、この急激な感染者数の減少が1ヵ月早かったら… 菅さん、どうしてたでしょうねぇ。
次期首相への立候補を止める事とはなかったかも。 そう思うと人生の機微を感じます 
ひげも “どこに灯りが見えるんじゃ?” と批判しましたが、結果的にひげの負け? (汗。
菅さん、少しふっくらし、あの虚ろな目にも少し輝きが戻ったような気がするのはひげだけ? (笑。


今日は 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-3》 です。
“だんじり” と云えば女の子の “だんじりヘアー” を見るのも楽しみの一つです(笑。





ハート形・稲妻形・流れ星… 痛いでしょうねぇ。
女の子のだんじりヘアーは別名 “地獄編み” と言うそうです(笑。
美容院で編んでもらうと1万円は下らないそうですが、大抵はお母さんが
見よう見真似で結うようですね。

 今日は豊臣秀吉に関係する彫り物を集めてみました。 まずは “日吉誕生” の場面です。

ウィキによると… 【誕生日は1月1日、幼名は「日吉丸」となっているが、これは
『絵本太閤記』の創作で、実際の生誕日は『天正記』や家臣・伊藤秀盛の願文の記載から
天文6年2月6日とする説が有力であり、幼名についても疑問視されている】 …そうです。

 “秀吉・小六との出会い” です。

放浪して宿もなく矢作橋(愛知県岡崎市)のたもとで寝ていると、盗賊の一団が通りかかり、
野盗の蜂須賀小六が秀吉の頭を蹴ったという話です。
しかし、矢矧川に橋が架かったのは江戸時代初期の元禄年間であり、天正年間には
渡し船で渡河していたことがわかっており、この逸話は後世の創作である… だそうです(笑。

 次は “藤吉郎初見参” です。

信長に仕えた木下藤吉郎(秀吉)は草履取りになり、有る寒い朝…
藤吉郎は織田信長の足が冷たく無いようにと思い、懐で温めた草履を差し出します。
すると信長は 「主人の履物に腰をかけておったな」 と… その場面ですね。

 “藤吉郎・富士川之初陣” です。

“⑥ 富士川の初陣(西山建設)” より…
【藤吉郎の役目は糧食係でしたが、密かに抜け出て戦いの様子を伺っていました。
そこへ敵の大将、日向守が深い傷を負って追われてきました。
藤吉郎は躍り出て大きな声で「勝負、勝負」と叫び続けましたが、日向守は
藤吉郎を小僧扱いしてしばらく渡り合っていました。
藤吉郎はとてもかなわないと思い馬の横腹を目がけて槍を突き出しました。
馬は驚き、日向守はモンドリ打って、まっさかさまに川の中へ落ちました。
藤吉郎はすぐさま躍りこんで見事に日向守の首を落し、今川勢の大勝利の元となりました。
これが藤吉郎初陣の手柄となり広く名を挙げました】

 次は “本能寺の変” です。

ウィキによると… 【天正10年6月2日早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、
家臣明智光秀の謀反によって襲撃された事件である。
信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた】

 “石川五右衛門 秀吉の命を狙う”

秀吉暗殺を依頼され秀吉の寝室に忍び込みますが、千鳥の香炉が鳴いたため気づかれ、
捕らわれてしまいます。 その後、配下の一人に悪事や部下などをすべて暴かれ、
文禄3年8月24日(1594年10月8日)、石川五右衛門は京都三条河原で釜茹での刑に
処せられた… という物語です。

 次は “大阪城完成” です。

1598年(慶長3年)完成した大阪城を眺める豊臣秀吉が彫られています。
しかし、この時の大阪城は大坂夏の陣(1615年)で焼失してしまいました。
後に徳川により大阪城は再建(1629年)されましたが、1665年、天守閣が落雷により消失。 
現在の天守閣は1931年(昭和6年)に再建された3代目なのだそうです。

 最後は “醍醐の花見” です。

慶長3年(1598)の春、場所は醍醐寺。 秀吉は息子の秀頼や正室・北政所、側室の淀、
三の丸など近親の者は元より、諸大名からその配下の女房女中衆女房衆1300人を集め、
盛大な花見の宴を催しました。
それまで、醍醐寺には確かに桜の花は咲いていましたが、今ほどの規模ではなく、
秀吉が数か月をかけて、近隣諸国からなんと約700本もの桜を移植させたのだそうです。
この半年後に秀吉は亡くなります。  栄華を極めた瞬間だったのですね。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》

2021-09-28 10:15:08 | 日記
         《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》



 今朝の最低気温は午前3時の20.5℃。  最高気温は午後2時の27.0℃。
今日は薄曇りの一日。 時折り雲を透して弱い日差しが届きます。 気温的には過ごしやすい日です。


 昨日はたまたま朝5時にオシッコに起きたので、大リーグ “オオタニさ~ん” を見ました。
103年ぶりとなる “二桁勝利、二桁ホームラン” を懸けて、この日は投手に挑戦の大谷翔平です。
前日は14点も取ったエンジェルスですが、大谷が投げたこの試合は3安打1得点 
結局…『7回10奪三振5安打1失点と好投したものの、打線の援護なく10勝目はお預けとなった』
もう少し大谷を援護してやれぇや 


 昨日は朝一でブロック注射を打ちに行きました。
10日間打ってないので身体はもうカキンコキンです。 
打った後、1~2時間もするとス~っと楽になっていきました。
しばらく家で休んだ後、冷蔵庫が空っぽという事で、スーパーへ食材の調達に。
スイカやメロンや桃が姿を消し、梨や柿やイチジク、葡萄、蜜柑… 秋の果物が出回り始めました。
ひげの朝の主食は “ヨーグルトのフルーツ盛り” です。 
定番のバナナや林檎やキウイに加えて、これらでてんこ盛り… この時期が一番豪華になります 
これに  イチゴが出て来れば完璧だ 


と、まぁここまでは爽やかそうな話?ですが… ここからは非常にお下劣、下品な話です 
やばいよ、やばいよ… 下(しも)の話が苦手な人は読まない方がいいですよ 
今回の入院中の話ですが… 手術に当り、前日の食事は抜きで、手術後2日間は絶食です。
ひげの場合は熱が出た(炎症)ので3日間(計4日間)の絶食になりました 
それでも点滴をしているので、そんなに空腹感は有りません。
それより水が飲めないのが辛いですね。 

 で、話は変わりますが、ひげは元々便秘気味という事で “新ビオフェルミンS錠” や
クリニックで処方して貰った “酸化マグネシウム錠” を飲んでいます 
当然のように “絶食中は入る物が無いんだから出る物も無い” ので(多分そうでしょう)、
便秘の薬は飲んでいませんでした。 お粥の食事が始まってから薬を飲み始めました 

そしてその翌朝、お便りの兆しを感じ、トイレに屈みましたが… 硬い! 
10分…20分…30分… ただただ硬い! 出ん 
トイレの外から(待っている人が)独り言 「まだかいな」 が聞こえます 
 力みに力んで額は玉の汗、シャツもグッショリです  
45分、やっとお便りが届き、トイレから出た姿はサウナから出てきたように汗ビッショリでした 
以上 “入院中にこんな事も有りました” という話です  
どうかひげを嫌いにならないで下さい (笑。
便秘の薬は絶食中もずっと飲み続けていなければいけなかったのかなぁ  


今日は 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》 です。
 まずは 「大江山頼光の木渡り」… 大江山は京都府丹後半島に有る標高832mの山です。
平安中期、京の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。

そこで同行していた力自慢の一人が、傍の松の大木を根っこから引っこ抜き橋を掛け、
源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。

 その力自慢の男こそ “坂田金時” だったそうです。

♪まさかりかついで きんたろうくまにまたがり おうまのけいこ ハイシドウドウ ハイ ドウドウ…
“坂田金時”… 幼名を “金太郎” と言い、あの童謡に歌われている “金太郎” です。

  大江山の羅生門に鬼退治に行った渡辺綱ら4人。 そこへ道に迷った若い娘が現れます。



渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は正体を現し、鬼に変身し綱に襲い掛かります。


しかし綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落としてしまいます。

 「茨木童子、腕を取り返す」 鬼(茨木童子)の腕を切り落した渡辺綱でしたが、
鬼の復讐を恐れ、門を閉じて舘に籠り、綱は仁王経の読経を続けていました。
そこへ叔母が訪ねて来るが綱は鬼に怯えて会おうとしません。
叔母は 「何という薄情なことを言うのか。 お前は幼い時、夏の暑い日は扇の風で凌がせ、
厳冬の寒い夜は衾を重ねて暖めた。 あれ程 可愛がって育ててやったのに」 と情を説きます。
ついに綱は情にほだされ叔母を屋敷に招き入れます。

しかし、その叔母は鬼(茨木童子)の化けた姿だったのです。
本性を現した叔母はまんまと切り落とされた腕を奪い返した。 …と云う伝説です。
あの御婆が抱えているのは、奪い返した自分の腕です。

 次は皆さんご存じの “忠臣蔵” から 「刀傷松の廊下」 です。

元禄年間(江戸時代)に、江戸城は松の廊下で吉良上野介に斬りつけたとして、
赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹に処せられた事件。
さらには、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入りし、仇を討つ物語ですね。


彫り物は赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
閑話休題… “刃傷” と書いて “にんじょう” と読むのですね。

 続いては 「箱根詫び證文」 です。 
赤穂浪士四十七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、馬子の丑五郎と馬に乗れ、
乗らない、で口論になり、丑五郎は馬に乗らないなら詫び證文を書けと迫ります。
神崎与五郎は “大事(討ち入り)の前の小事” と我慢して、詫び証文を書きました。

その後、赤穂浪士の討ち入りが有り、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。

  最後は “赤穂浪士討ち入り” の時に亡くなった清水一学(しみずいちがく)です。
二刀流の名手として、吉良側で最も奮戦した剣客として描かれているそうです。

ひげたちが子供の頃のチャンバラごっこには、必ず “清水一学” が出て来たもんですが、
今の子供らは知らないだろうなぁ(笑。
“赤穂浪士討ち入り” の場面もどこかのだんじりに彫られている筈ですが、まだ出会っていません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-1》

2021-09-27 09:48:51 | 日記
        《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-1》



 今朝の最低気温は午前3~6時の20.0℃。   最高気温は午後1時の27.1℃。
今日も良く晴れましたが秋の雲ではなく、青い空に白い綿雲がぷかりぷかり… まるで夏空のようです。 


         
           ありがとうございました~ 


    昨日、昼前に無事退院しました。  
5月に入院した時と同じ病室で、看護婦さんに 「ひげさんお久し振り~」 なんて迎えられ…
退院時、迎えに来た息子にその事を話すと 「退院する時 “またね” って言われんかった?」
「言われるかっ!」 まさかそれは言われませんでしたが…(車中で息子や妻と共に大笑。

 今回は緊急事態宣言下の入院という事で、家族の付き添いは一切なしです(手術の日も。
今回の手術は辛かった。 前回のように “寝ている(麻酔)間にすべてが終わり” と云う訳にいかず、
痛みは感じませんでしたが、半分起きているような寝ているような状態での手術でした 
手術後も身体を捩るたび、唾を飲むたびに喉元が痛みました。
その晩は38.6度まで熱が出て、抗生物質の点滴、氷まくらをしてフ~フ~言っていました (大汗。
手術が終わった事を家族に知らせたくても(メール・電話)身体が動かず無理 (汗。
翌朝には36.9度まで下がって、なんとか歩けるようになり、連絡できました。
皆んなずい分心配していたようでした (申し訳ない・謝。

 と、いう事で手術後の絶食は通常2日間ですが、炎症・発熱で3日間の絶食になりました。
これで入院期間が伸びるかと覚悟したのですが、その後の経過が良く、
予定通り丸1週間で退院出来ました (喜。
本来なら今日からいつものブログに戻りたいのですが、花の写真が有りません。
身体も万全ではなく、しばらくのんびりしようと思います  

この時期、いつもの年ならここ泉州は “だんじり祭り” の真っ最中ですが、わが街(和泉市)は
緊急事態宣言下という事で、昨年に続き今年も中止です(岸和田の一部では、17.18日に行われました。
もう何度もアップしている 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語》ですが、
今年も再掲載して(ズルをして・大汗)しばらく療養につとめます 



NHK朝ドラの “カーネーション” で全国的に有名になった “岸和田(海辺)だんじり祭り” 
の規模とは比べるべくもないのですが、それでもこの地区の一番大きなお祭りです。
この時期、良く雨が降るんですよねぇ。 “下駄祭り” とも呼ばれているくらいです。
また、遠来のお客さんをもてなすために “カニ(渡り蟹)” が振る舞われるので
“カニ祭り” とも呼ばれる祭りです。

 「岸和田だんじり祭り」 は元禄16年(1703年)と云いますから300年以上も前、
岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を岸和田城の三の丸に
勧請(神仏の来臨を願うこと)して、城下の五穀豊穣を祈願した事が始まりだそうです。
“だんじり祭り” と云えば、何と言っても数々の彫刻が施された “山車(だし)” ですね。
高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンも有り、総欅(けやき)造りで、
すべて釘を使わずに組み立てられているそうです。
ウィキペディアによると… 【欅には女神が宿るなどと言われ、
女性がだんじりに乗ることは出来ないが、女児はその限りではない。
成人女性も曳き手として参加することは可能だが、18歳程度で止めて、
後は男性をサポートする立場にまわる者が圧倒的に多い】 …だそうです。

「だんじり祭り」 の一番の見どころは疾走したままスピードを緩めず角を曲がる
“やりまわし” です。 4トン以上ある 「だんじり」 がどうやって角を曲がるか…
もちろん丸いハンドルなんて付いていません(笑。
方向を変えるのは “後ろ梃子(てこ)” と呼ばれる、だんじりの後方に付いている一本の棒です。


この棒に30本ほどの綱を付け、右に曲がる時は左に、左に曲がる時は右に引っ張って
方向を変えるのです。 後部の “車輪(コマ)” を無理やり引きずる訳です。






上の3枚の写真は右に曲がろうと、後ろ梃子(てこ)を左に振っていますね。


後には路上に “コマ(木製の車輪)” の削れた木屑が残ります。

方向を変えるにはだんじり前方の “前梃子(まえてこ)” も重要な役割を果たします。

あの前に突き出した2本の棒を前車輪の下に咬ませて速度を緩めたり、
左右の棒を抑えつける力を加減して “だんじり” の進む方向を変えているんです。 
安全対策としてブレーキも付いているんですよ。
写真の中央の人が右足をかけているのがブレーキです。  
事故を防止するために昭和の中頃に装着が義務付けられたのだそうです。

 前振りはこのくらいにして 《だんじり彫り物・物語》 です。

まず最初の彫り物は皆さんも良くご存じの 「天岩戸伝説」 の一こまです。
事の発端は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、須佐之男命(すさのをのみこと)の乱行でした。 
田を荒らしたり、御殿に糞をまき散らしたりとやりたい放題。
それまで “何か考えが有っての事” と弟を庇って来た天照大御神でしたが、
あまりの所業についに庇い切れなくなり、天照大御神は岩に隠れてしまいました。
天の岩戸にお隠れになった天照大御神に再び出て来て、世の中を照らしてもらおうと、
八百万の神が集まって相談します。 尾長鳥(鶏)に朝を告げさせますが失敗に終わります。
次の作戦は岩の前で飲めや歌えの大騒ぎ。



 
ウィキペディアには… 【天宇受賣命(アメノウズメ)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、
神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。 すると、
高天原(たかまがはら)が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った】 …と書かれています。


“外は暗い筈なのに何を騒いでいるんだろう…”
天照大御神は楽しそうな様子を不審に思い、岩を少しお開けになりました。 
そこで “あなた様より美しく立派な神がおいでになり、喜んでいるのです” と言い、
鏡で天照大御神様の顔を写しました。 天照大御神様は鏡に写った自分の姿だとは思わず
“もっとよく見てみよう” と更に岩を開き、身を乗り出したところを力自慢の
天手力男命(アメノタヂカラオ)が天照大御神を引きずり出し… 
そして、また天照大神が岩戸にお入りになってはたいへんと、岩戸を持ち上げ
下界へ投げ捨てて仕舞われました。 岩戸は宙を飛んで戸隠山(長野県)へ…
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「リコリス」 ヒガンバナ科 

2021-09-19 12:26:18 | 日記
      「リコリス」 ヒガンバナ科  ☆9月20日の誕生花☆
    彼岸花の花言葉は… 情熱・悲しい思い出・再会・想うはあなた一人



 今朝の最低気温は午前6時の21.5℃。  最高気温は午後3時の28.7℃。
多少雲が多いながらも青空が覗き、日差しも有ります。 まずは台風一過と言って良いのでは。
予報では明日も明後日も マークがずらっと並んでいます。
コロナ禍のシルバーウイーク、絶好のお出掛け日和ですが、ひげに倣って?最後の我慢をお願いします 


 明日入院し、21日手術です  経過が順調なら約1週間で退院できると思います(祈。
しばらくブログの更新を休みます。 コメント欄は閉じています。 
復活したら、またよろしくお願いします
 
それでは元気に入院して来ます??? (笑。


 今日の花は 「リコリス」 です。






「リコリス」 といえば “ヒガンバナ科” の総称です。 
『“ヒガンバナ科” なんだけど、花の名前(品種)は何だろう?』 
という時は 「リコリス」 と言っておけば間違いありません(笑。
例えば 「菓子パン」 は甘味をつけたり、ジャム・チョコレート・あんなどを入れたパンの総称です。
“アンパン” も “メロンパン ”も “カレーパン” も “ジャムパン” も 「菓子パン」 だと言っておけば
間違いないのと同じです? 違うか? (笑。






と、いう事で、今日は品種を特定するのが面倒臭いので、まとめて 「リコリス」 です (笑。
白い花は九州地方に多いらしく、九州地方では彼岸花は白と思っておられる方も多いとか。 
この辺りでも良く見掛けるようになりました。 つい温暖化と結びつけたくなりますね。
真っ赤に燃える情熱的な曼珠沙華とは違い、清楚で清々しい印象です。
名前は 「白花曼珠沙華」 と名付けられています。


中国原産の赤い “支那彼岸花” (日本で見られる彼岸花には種は出来ませんが、
中国には種の出来る品種が有るそうです)と、日本南部に自生する黄色い彼岸花
“ショウキズイセン(鍾馗水仙)” の自然交配種と云われています。 
赤と黄が交雑して白花になる? 赤い色素を黄色の遺伝子が阻害し、黄色の色素を
赤い遺伝子が阻害して…白…なのではないかとの説も有りますが…。


↑ 上の2枚… 黄色い彼岸花 「ショウキズイセン(鍾馗水仙)」 はこの波打った花弁を、
鐘馗様の髭に見立てて名付けられたそうですが、ちょっとイメージが違うような気もしますね。




↑この花は 「キルタンサス・エラツス」 の名札が有りました。


↑この花は 「ナツズイセン(夏水仙)」 ですね。




↑この花は 花弁先にブルーが入り 「夏水仙」 に似ていますが、花色が違います。

その他 “花の文化園” や散歩中に ↓下のような 「リコリス」 に出会いました。











      過去の 「ひげ爺の子供見守り隊」 の紹介です 
 2016年05月26日  今日の見守りは2時半と3時半の2回。 3時から見守って来ました。
5年生の女の子が帰って来ました 「おかえり」 「ただいま、おっちゃん良かった~」
「ほ~、何がや?」 「あんなぁ、6年生の騎馬戦の人数が足らんねん」 「おうおう」
「でな~5年生から7人出さんといけんねん。 しかも騎馬やでぇ」
「騎馬云うたら土台かぁ?」 「そうやねん」 「お前、体格がええけぇもしかして…?」
「そうなんよ、ドキドキしたけど選ばれんかった」(笑。 「そりゃ良かった」(笑。

5年生の仲良し2人組も帰って来ました 「おっちゃん、ソーラン、全部覚えた」 「ほう」
「見したろか?」 ランドセルを投げだし、歌を歌いながらて見せてくれました(笑。


「おう、しっかり腰が落ちて上手い上手い。 左足が伸びとったらもっとええけど…」(笑。
  
 2016年05月27日  今日の見守りは2時半と3時半の2回。 3時から見守って来ました。
6年生の男の子が帰って来ました 「おかえり~」 「ただいま~、おっちゃんあんなぁ」
「おう、何や?」 「おれ、運動会の準備係りなんやけど、よう分からんねん」
「よう分からんって何がや?」 「どこから何を持って行くかとか、どんな線を引くかとか…」
「ほうかぁ、ほいじゃが準備係はお前一人じゃないんじゃろう?」
「そうやけど… あいつら頼りにならんねん」(笑。
「まぁ、その時になったらまた先生が指示してくれるよぅ。 何とかなるもんよ」(笑。

また6年生の男の子がが2人帰って来ました 「おかえり」 「ただいま~」
「お前ら、運動会は何係なんや?」 「準備係り」(笑。
はは~ん、こいつ等がさっきの子が “あいつら頼りにならん” と言ってた子か(笑。
「ほ~、お前らどこから何を持って行くか分かっとるんか?」 「分ってるよ~当たり前やん」
心配性と楽天家… 子供たちの性格が出ていますね(笑。

5年生の仲良し女の子が踊りの確認をしながら帰って来ました。

「おかえり~、その踊りはなんや?」 「よさこいソーランの入場の時の踊り」
「ほうか~お前ら熱心なの~」(笑。

 2016年06月01日 5年生の女の子たちが帰って来ました 「おかえり~」 「ただいま~」
「お前はリレーの選手になったんか?」 「そうやで、おっちゃん競争してみようか?」
「おっちゃんは今膝が痛いけぇ」 「いいからいいから…ここの影からあそこの電柱までなっ」(汗。
「ええ~? しょうがないの~」 「ちょっと待って、その棒を貸して…」 「どうするんや?」


「エネルギーを注入するねん」 友達にビ~~~とやってもらって… 「じゃぁ行くでぇ…」
「よっしゃ」 「よ~~~い… ・・・ ドングリ!」 
ひげは “よ~い… ドン!” かと思って走り出しました(汗。 後方から
「おっちゃん、ちゃうでぇ、よ~いドングリやでぇ」(汗。
「ええ~? そんなん有りか? お前ら~汚いの~」(笑。 「ごめんごめん、今度は本番なっ」
「よっしゃ」(汗。 「じゃぁ行くでぇ… よ~~~い… ・・・ ドンベェ!」
またひげは走り出してしまい… 「お前ら、ええ加減にせえよ」(笑。
結局三度目にスタートしてひげの勝ち。 「おっちゃん速いなぁ~」 疲れました(笑。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする