再掲 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-1》



今朝の最低気温は午前6時の18.0℃。 最高気温は午後1時の25.8℃。
今日も良く晴れましたが秋の雲ではなく、青い空に白い綿雲がぷかりぷかり… まるで夏空のようです。
9月30日と10月1日… 1日違いですが、10月と聞くと秋だなぁと思います(笑。
秋と言えば、例年ならここ泉州は “だんじり祭り” の真っ最中ですが、今年はコロナで中止です。
ひげたちよそ者は、だんじりにそれほどの思い入れはないのですが、それでもここに住んで
はや40年近くなり、秋の風物詩としてなくてはならない祭りになっています。
毎年9月10月の夕方になると、遠くから “だんじり囃子” の練習の音が聞こえて来るのですが、
今年は虫の音だけ… 少し寂しい秋です。
そこで、過去に載せた “だんじり” のページを再掲し、祭り気分だけでも…(笑。

NHK朝ドラの “カーネーション” で全国的に有名になった “岸和田(海辺)だんじり祭り”
の規模とは比べるべくもないのですが、それでもこの地区の一番大きなお祭りです。
この時期、良く雨が降るんですよねぇ。 “下駄祭り” とも呼ばれているくらいです。
また、遠来のお客さんをもてなすために “カニ(渡り蟹)” が振る舞われるので
“カニ祭り” とも呼ばれる祭りです。
「岸和田だんじり祭り」 は元禄16年(1703年)と云いますから300年以上も前、
岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を岸和田城の三の丸に
勧請(神仏の来臨を願うこと)して、城下の五穀豊穣を祈願した事が始まりだそうです。
“だんじり祭り” と云えば、何と言っても数々の彫刻が施された “山車(だし)” ですね。
高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンも有り、総欅(けやき)造りで、
すべて釘を使わずに組み立てられているそうです。
ウィキペディアによると… 【欅には女神が宿るなどと言われ、
女性がだんじりに乗ることは出来ないが、女児はその限りではない。
成人女性も曳き手として参加することは可能だが、18歳程度で止めて、
後は男性をサポートする立場にまわる者が圧倒的に多い】 …だそうです。
「だんじり祭り」 の一番の見どころは疾走したままスピードを緩めず角を曲がる
“やりまわし” です。 4トン以上ある 「だんじり」 がどうやって角を曲がるか…
もちろん丸いハンドルなんて付いていません(笑。
方向を変えるのは“後ろ梃子(てこ)”と呼ばれる、だんじりの後方に付いている一本の棒です。

この棒に30本ほどの綱を付け、右に曲がる時は左に、左に曲がる時は右に引っ張って
方向を変えるのです。 後部の “車輪(コマ)” を無理やり引きずる訳です。



上の3枚の写真は右に曲がろうと、後ろ梃子(てこ)を左に振っていますね。

後には路上に “コマ(木製の車輪)” の削れた木屑が残ります。
方向を変えるにはだんじり前方の “前梃子(まえてこ)” も重要な役割を果たします。

あの前に突き出した2本の棒を前車輪の下に咬ませて速度を緩めたり、
左右の棒を抑えつける力を加減して “だんじり” の進む方向を変えているんです。
安全対策としてブレーキも付いているんですよ。
写真の中央の人が右足をかけているのがブレーキです。
事故を防止するために昭和の中頃に装着が義務付けられたのだそうです。
前振りはこのくらいにして 《だんじり彫り物・物語》 です。

まず最初の彫り物は皆さんも良くご存じの 「天岩戸伝説」 の一こまです。
事の発端は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、須佐之男命(すさのをのみこと)の乱行でした。
田を荒らしたり、御殿に糞をまき散らしたりとやりたい放題。
それまで “何か考えが有っての事” と弟を庇って来た天照大御神でしたが、
あまりの所業についに庇い切れなくなり、天照大御神は岩に隠れてしまいました。
天の岩戸にお隠れになった天照大御神に再び出て来て、世の中を照らしてもらおうと、
八百万の神が集まって相談します。 尾長鳥(鶏)に朝を告げさせますが失敗に終わります。
次の作戦は岩の前で飲めや歌えの大騒ぎ。
ウィキペディアには… 【天宇受賣命(アメノウズメ)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、
神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。 すると、
高天原(たかまがはら)が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った】 …と書かれています。

“外は暗い筈なのに何を騒いでいるんだろう…”
天照大御神は楽しそうな様子を不審に思い、岩を少しお開けになりました。
そこで “あなた様より美しく立派な神がおいでになり、喜んでいるのです” と言い、
鏡で天照大御神様の顔を写しました。 天照大御神様は鏡に写った自分の姿だとは思わず
“もっとよく見てみよう” と更に岩を開き、身を乗り出したところを力自慢の
天手力男命(アメノタヂカラオ)が天照大御神を引きずり出し…
そして、また天照大神が岩戸にお入りになってはたいへんと、岩戸を持ち上げ
下界へ投げ捨てて仕舞われました。 岩戸は宙を飛んで戸隠山(長野県)へ…




今日も良く晴れましたが秋の雲ではなく、青い空に白い綿雲がぷかりぷかり… まるで夏空のようです。

秋と言えば、例年ならここ泉州は “だんじり祭り” の真っ最中ですが、今年はコロナで中止です。
ひげたちよそ者は、だんじりにそれほどの思い入れはないのですが、それでもここに住んで
はや40年近くなり、秋の風物詩としてなくてはならない祭りになっています。
毎年9月10月の夕方になると、遠くから “だんじり囃子” の練習の音が聞こえて来るのですが、
今年は虫の音だけ… 少し寂しい秋です。
そこで、過去に載せた “だんじり” のページを再掲し、祭り気分だけでも…(笑。

NHK朝ドラの “カーネーション” で全国的に有名になった “岸和田(海辺)だんじり祭り”
の規模とは比べるべくもないのですが、それでもこの地区の一番大きなお祭りです。
この時期、良く雨が降るんですよねぇ。 “下駄祭り” とも呼ばれているくらいです。
また、遠来のお客さんをもてなすために “カニ(渡り蟹)” が振る舞われるので
“カニ祭り” とも呼ばれる祭りです。

岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を岸和田城の三の丸に
勧請(神仏の来臨を願うこと)して、城下の五穀豊穣を祈願した事が始まりだそうです。
“だんじり祭り” と云えば、何と言っても数々の彫刻が施された “山車(だし)” ですね。
高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンも有り、総欅(けやき)造りで、
すべて釘を使わずに組み立てられているそうです。
ウィキペディアによると… 【欅には女神が宿るなどと言われ、
女性がだんじりに乗ることは出来ないが、女児はその限りではない。
成人女性も曳き手として参加することは可能だが、18歳程度で止めて、
後は男性をサポートする立場にまわる者が圧倒的に多い】 …だそうです。
「だんじり祭り」 の一番の見どころは疾走したままスピードを緩めず角を曲がる
“やりまわし” です。 4トン以上ある 「だんじり」 がどうやって角を曲がるか…
もちろん丸いハンドルなんて付いていません(笑。
方向を変えるのは“後ろ梃子(てこ)”と呼ばれる、だんじりの後方に付いている一本の棒です。

この棒に30本ほどの綱を付け、右に曲がる時は左に、左に曲がる時は右に引っ張って
方向を変えるのです。 後部の “車輪(コマ)” を無理やり引きずる訳です。



上の3枚の写真は右に曲がろうと、後ろ梃子(てこ)を左に振っていますね。

後には路上に “コマ(木製の車輪)” の削れた木屑が残ります。
方向を変えるにはだんじり前方の “前梃子(まえてこ)” も重要な役割を果たします。

あの前に突き出した2本の棒を前車輪の下に咬ませて速度を緩めたり、
左右の棒を抑えつける力を加減して “だんじり” の進む方向を変えているんです。
安全対策としてブレーキも付いているんですよ。
写真の中央の人が右足をかけているのがブレーキです。
事故を防止するために昭和の中頃に装着が義務付けられたのだそうです。


まず最初の彫り物は皆さんも良くご存じの 「天岩戸伝説」 の一こまです。
事の発端は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、須佐之男命(すさのをのみこと)の乱行でした。
田を荒らしたり、御殿に糞をまき散らしたりとやりたい放題。
それまで “何か考えが有っての事” と弟を庇って来た天照大御神でしたが、
あまりの所業についに庇い切れなくなり、天照大御神は岩に隠れてしまいました。
天の岩戸にお隠れになった天照大御神に再び出て来て、世の中を照らしてもらおうと、
八百万の神が集まって相談します。 尾長鳥(鶏)に朝を告げさせますが失敗に終わります。
次の作戦は岩の前で飲めや歌えの大騒ぎ。


ウィキペディアには… 【天宇受賣命(アメノウズメ)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、
神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。 すると、
高天原(たかまがはら)が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った】 …と書かれています。

“外は暗い筈なのに何を騒いでいるんだろう…”
天照大御神は楽しそうな様子を不審に思い、岩を少しお開けになりました。
そこで “あなた様より美しく立派な神がおいでになり、喜んでいるのです” と言い、
鏡で天照大御神様の顔を写しました。 天照大御神様は鏡に写った自分の姿だとは思わず
“もっとよく見てみよう” と更に岩を開き、身を乗り出したところを力自慢の
天手力男命(アメノタヂカラオ)が天照大御神を引きずり出し…
そして、また天照大神が岩戸にお入りになってはたいへんと、岩戸を持ち上げ
下界へ投げ捨てて仕舞われました。 岩戸は宙を飛んで戸隠山(長野県)へ…