ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

「アスクレピアス(唐綿)」 ガガイモ科 

2020-08-16 14:06:13 | 日記
    「アスクレピアス(唐綿)」 ガガイモ科 ☆7月18日の誕生花☆
       花言葉は… 健康な体・心変わり・私を行かせて下さい



 今朝の最低気温は午前4~6時の27.5℃。  最高気温は午後2時の36.1℃。
昨日は和泉山脈方面に雲が有りましたが、今日は北側の六甲方面に雲が有ります。
ですが和泉市上空は雲一つ無い快晴です。 3日連続の “炎熱日” です。


 昨日のカープ… 広島2−10阪神 ケチョンケチョンに負けました 
前日にどんな良い勝ち方をしても、それが翌日の試合に繋がらないのが今のカープ。
守備も乱れっ放し  これじゃぁ勝つわけがない 


 雨乞い(昨日の続き)… 「お前さん、雨降ってないのに、何で傘を差しとるんや?」


「これは雨傘とちゃいますねん。 これ日傘ですねん」 なんだかなぁ(笑。


 今日の花はトロピカルムード一杯の花 「アスクレピアス」 です。





それもそのはず、原産地は熱帯アメリカ、西インド諸島です。 
初夏の頃から秋まで長~く咲いています。


「アスクレピアス」の名は、ギリシャ神話に登場する神様(人間を治療するだけでなく、
死者をも蘇らせる事が出来たという医神だそうです)の名前だそうです。  
和名は 「トウワタ(唐綿)」 と云います。
“唐” は中国という訳ではなく、単に外国から来たと云う意味だそうです。


花の後に細長い実を付け(上の写真の奥に見える舟型の実)、時期が来ると中から
シルクの光沢を持つ綿がモワ~っと出て来て、 種を付けた綿毛が風に運ばれます。 
「…綿」 の名の由来です。


花言葉の “私を行かせて下さい” はこの種を付けた綿毛が、風と共に旅立つ
イメージからでしょうね。 日本には江戸時代末期に渡来したそうです。




黄色一色の花は 「アスクレピアス・ツベロサ」 です。


〖母の思い出〗… お盆、終わりましたね。 お母さん、もう極楽に帰った?
今年はコロナの影響で、家族全員が集まる事は出来ませんでしたが、子供たち(母にとっては孫)が
お供えを持って拝みに来てくれました。 3年前、母が亡くなった直後の日記です。

2017-07-30   母は28日午前6時20分、入院先の病院で長い眠りにつきました。 満97歳でした。
棺に納められ、眠っているような穏やかな顔を見ていると、
お母さんが生前、口癖のように言っていた
“よっちゃん(私の事)、うちゃぁこれからどうなるんじゃろうか…”
“よっちゃん、うちゃぁ人に迷惑かけんと上手に死ねるんじゃろうか…”
の言葉が蘇ったよ。 どんどん進む痴呆への恐れもあったんじゃろうねぇ。

お母さん、こうなったんよ~。
お母さん、上手に死ねたよ~、立派じゃったよ~。
お母さん、よう頑張ったね~、お母さん、ありがとう。
結局最後まで家で看れんかった… 帰りたかったのにねぇ、お母さんごめんねぇ。

昨年3月、お母さんの心臓が弱り、96歳でペースメーカーを入れる手術をしたよねぇ。
あの時、もう高齢じゃけぇ、そうまでせんでも、とも思うたんじゃけど…
心臓さえ元気になったら家に帰って、また元のようにワシらと一緒に暮らせると思うとったんよ。
ほいじゃが手術の負担が思った以上に大きくて、あれからずっと病院暮らし…
「よっちゃん、頼むけぇ家に連れて帰ってぇやぁ」 
ワシの手を握り、拝むように言われた言葉が耳から離れんのよ。
お母さん、ごめんね。

ワシがお母さんを散歩に誘うた時 「今日はえらいけぇ止めとくわぁ」 と言っても、
2度3度誘うと 「それほど言うてくれるんなら行こうかぁ」 と言って付き合ってくれたねぇ。


ワシはお母さんの脚が弱らんようにと思うたんじゃけど、本当に辛かったんじゃねぇ。 
そんな事も心臓を弱めた一因かも知れん…    お母さん、ごめんね。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

お通夜、告別式には沢山に方に来ていただきました。
お通夜の日は自治会の盆踊りの準備の日、告別式の日は盆踊りの当日でした。
そんな忙しい日でしたが、式場に入り切れず廊下で見送って下さる方まで…
今さらながらに母の友人の多さに驚きました。 多くの人に愛されていた母でした。
お母さん、いっぱいお母さんとのお別れに来てくれちゃったよ。 良かったねぇ、お母さん。

30数年前、私の転勤に伴い、両親共々広島から大阪に引っ越して来ました。
広島で生まれ育ち、他の土地で暮らした事の無い母にとっては、親戚や友人と別れ、
知らない土地での生活は心細く、不安で一杯だった事でしょう。
父はこちらに来て間もなく亡くなったので尚更です。
定年後は広島に帰る予定にしていましたが、こちらで子供たちが結婚し、孫が出来ると…(汗。
ですが、妻の支えも有り、よくこちらの生活に馴染んでくれました。
母を病院や買い物に連れて行くと、母に寄り添う妻を見て、皆さんに
本当の母娘と思われていました。
母はなにかにつけて妻(むっちゃん)を頼りにしていました。
「むっちゃ~ん、むっちゃ~ん、ちょっと来て」 と妻を呼ぶ母の声を思い出します。

明るく人と話すのが好きな母でした。 
手芸や編み物が得意で、家族のためにセーターなどを手編みしてくれました。
刺し子や毛糸の靴下を友人に配って、喜んでもらえるのも嬉しかったようです。
また歌謡曲が好きでテレビで歌謡番組を見ながら、時折口ずさんでいました。
曾孫が来ると知れば 「うちの財布になんぼか入れといてや。 小遣いをやらにぁイケンけぇ」
自分の財布から何百円かの硬貨を取り出し、ひ孫にあげている姿は誇らしげでした(笑。
 

今日の歩数   0歩。 
コメント (8)
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