鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【AI時代】近未来における個人の幸福について

2018-05-15 20:19:12 | 考察

『朝生〜激論!AI時代の幸せな生き方とは?!〜』を動画サイトにて今更視聴。

俺は個人的に堀江貴文と落合陽一をかなりリスペクトしている。加えて西村博之のことも同様にリスペクトしている

なぜその3人なのか?その答えは「彼らが発言の場においてポジショントークをしないから」である。彼らが議論をしている動画は他にも沢山あって、全て網羅しているわけではないが、やはりどこにおいても彼らは合理的であり、保守的ではないことが素晴らしい。その要因がなぜ重要なのかといえば、極端に言えばステマのような発信を行わないからである。つまり、そこには(例えばだが)購買意欲を促す誘導的恣意的な情報発信がないということ。もっと簡単に言えば嘘がないということ。

これは非常に貴重な価値である。「コカコーラを500ml飲むことによって引き起こされる不健康は存在しません」いやそれデータを出した研究機関とグルでしょ?というのがあるからである。高度情報社会である現代では、確かな情報を発信している存在はとても貴重なのである。

さて本題。

「鋼鉄のアームが雇用を"奪う"」や「シンギュラリティ」を筆頭に、AI問題は現代におけるホットな話題。

遺伝子の目的と快楽の目的を、ダーウィンやドーキンスの言葉からある程度の理解を固めた俺からすれば、ひろゆきの「あらゆるものは思い込みである可能性」を簡単に理解できる。このブログで再三執筆しているように、快楽は所詮「生存にとって正の結果を、肉体に反復させるための舵」でしかない。チョコレート、チーズ、ラーメン、セックス、ニコチン、アルコール、ギャンブル、etc。朝生では幸せな生き方について熱い議論が行われたようだが、貧困=不幸はおかしいと言う堀江と落合は極めて正しいと思う。幸福度はやはり環境によって変動するし、思い込みによっても変動する。年収4桁でも不幸な人がいれば、年収200万で幸せな人もいる。そりゃあ年収200万の人の目の前に年収1億の人がいれば前者は「すごいなあ」とか「羨ましいなぁ」とか思うかもしれないが、年収1億の人が通った艱難辛苦の歩みを同じように体験してまで欲しいかと言われれば「いやそこまでするよりかは今のままで十分幸せだからいいかな」と思うかもしれない。ビルゲイツを羨んでもしょうがないと言い放った堀江のまさに言う通りである。科学的な実験結果があって、一定の年収以上になると金額に比例した幸福度の上昇は殆ど無いらしい。個人的な体験では、かっこいいスポーツカーに乗りたいと思ったことが何度もあるのだが、それに乗っていて満たせるものはせいぜい所有欲とちやほやという承認欲求だけなので「あ、やっぱいらないや」となるのが常である。貧しいというのは結局のところ富豪に対しての差でしかないので、生活保護を受理できる以上は餓死がほぼありえない現代の日本において自身のことを貧しいと訴えるのはただの贅沢になる。そういう意味では日本は素晴らしい国である。

朝生の中では、堀江と落合が現実的で合理的な""アイディア""を発信しているのに対し他の人達は、
「じゃあ教育は一切不要ということですか?」
「じゃあ国語の勉強や識字は一切不要ということですか?」
「じゃあ〇〇は無駄だというのですか?」
「じゃあ弱者は救われなくていいというのですか?」
といったように、強引に敵対しようとしている印象を受けた。二人が説きたいのは、「効率的で合理的な方法がありますよ」と言いたいのであって、他参加者の主張を叩きのめしたいわけではない。例を挙げるとすれば豊田が言う「我々は実際に対象者と面会して相手(社会的弱者等)に寄り添って云々」
に対し落合が「ツール(インターネットやAI)を活用すればわざわざ物理的に陸を移動して会いに行く時間を省けます(面会することによる利点を否定しているわけではない)。わざわざ会いに行くための労力や時間やお金を、他の必要な部分へ回せたら社会はもっと良くなると思います」(※原文ままではない)と言うようなことを言っている。堀江と落合は一貫して合理主義なので、人間への感情的な配慮を排除した言い方をする。おそらくそれが他参加者の多くに受け入れられないのだろうと感じた。動画へのコメント蘭に至極同意できるものがあったので紹介したい。

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パネラーの多くが、自分の思考のベースや自分の存在意義(だと信じているもの)となっていること自体が全く「真理」ではなく作り上げた「虚構」であり、変化し得るものだということを理解できない、または受け入れることができていない。だから全く話が進まず、堀江さんと落合さんをまるで人でなしのように感じているように見受けられる。堀江さんと落合さんは自分の正義や心情をベースに話していない。現実に起こり得ること、現状を踏まえて最適解を生み出せるような仮説を述べている。パネラーたちも色々成し遂げてきた人たちだと思うけど、だからこそこの大規模なパラダイムシフトを受容できていないのかもしれない。仮に堀江さんや落合さんが既存の価値観に合わせればこの人たちは安心するのかもしれないけれど、容赦無く世界はどんどん変わっていくと思う。

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コメント蘭に関して他にも追求するのであれば、田原総一朗へのヘイトが目立っている件に関して感想をば。俺も彼について熟知しているわけではないが、へっぽこタレントやちょっとした作家や記者はともかく第一線の政治家や実業家を相手に一歩も恐れずに切り掛かっていくことができる存在は唯一無二である。天皇制についてを筆頭に、放送中に首相を名指しで批判したり、彼の言動にタブーは無いようである。彼の行っていることがどれだけ凄いかということを、コメント蘭で「田原のくちゃくちゃ云々、司会失格云々」と言っているお子ちゃま達は一生理解しないだろう。余談だが、議論中に論点の迂回をしまくる田原に対し落合が「面白いな!えーとそれは…」と言ったところは盛大にコーヒー吹いた。

この動画に関わらず、議論というのは非常に難しい。プライドや保身のない堀江・落合・田原は非常に強いというのが第一印象である。池澤と雨宮あたりは遺伝子ビークル説についてお勉強したら貧困=不幸という考えが変わると思う。牧野がAI議論の経験が豊富らしく、堀江落合が語る「AI技術発展将来なんでも可能説」を否定するが、期待や希望を持って実際に努力と活動を行う最前線の二人の言うことなので、俺も期待を含めて二人のほうを支持したいと思った。豊田と小西が明らかに一歩引いていて政治家のプライドだかなんだか知らないけど見ているこっちも冷めるしポジショントークが多いし炎上の可能性が極めて低い発言ばかりで正直気に入らないなと思った。

AI技術の進歩が結果的に雇用を奪うという点については、全く問題がないというのが俺の意見である。年金制度はすでに破綻していて現状どうにかしなくてはならないものなのでBI導入の検討以前の話である。過酷な環境での肉体労働は鋼鉄の体を持った人工知能が代行する。大いに結構。全日本人が行う労働の全体量は減って、過労による死亡、高所などの危険な場所で起きる事故による死亡なども減る。素晴らしいじゃないか。仕事が減って給料が減った?じゃあ贅沢をやめればいいじゃん。豪華な住まいなんていらないはず。明らかに栄養過多な食事もいらないはず。ブランド物のバッグや衣服もいらないはず。パチンコやタバコやお酒もいらないはず。高い車もいらないはず。欲しいなら多く働けばいいだけ。でもその結果体を壊しても自己責任。現代人はとにかく贅沢、つまり欲張りなだけで不幸でもないし貧乏でもない。糞みたいなプライドを捨てて活動すればいい。承認欲求に惑わされるべきではない。

あかんな。集中力が切れてきた。一応これにて投稿しますが推敲加筆修正または削除して書き直します。

おーわりっ
コメント
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