台風が埃を洗い流したばかりの澄んだ星空。豪雨と暴風にめげなかった人たちを、労うかのように静かに煌めいている。
星々の地表がとんでもなく高熱だとか、猛烈な砂嵐が吹いているとか、恐ろしく寒いとか色々。俺たち庶民にとってそれは、TV画面の向こう側や、本や雑誌から以外は伝わらない。どう頑張ったところで「そうなのかもしれないね」って。
TVドラマ、映画、アニメ、漫画、小説、都市伝説、噂、妄想。日常には「そうなのかもしれないね」が溢れてる。
俺たちの頭上で瞬いて美しい星空は、確かにそこにあると実感する。絵空ではない星空が、そこには間違いなく存在している。
家の外で台風一過の夜空を見た。綺麗だった。働いた後の一杯目のビールみたいに格別だった。詩は書けないけど、この気持ちを言葉にしようという欲求が湧いてしょうがないので執筆。お洒落に韻とかふめたらイイのにね。
自然を守るのは良いことだ。でもそれが過剰になると何が大事だったのかわからなくなる。長い間俺は、緑の大切さがわからなかった。そびえ立つ高層ビルと蟻が作る蟻塚にどれだけ差があるのかわからなかった。人間も自然から生まれてる。自然から生まれた人間が作るものもまた自然のモノではダメなのだろうかとよく疑問に思っていた。俺は馬鹿なので最近やっと気づけた。植物達は、地球上にあるもののうちで消費しているのは水と土壌の栄養だけなのだということ。それも、自分の根が張ったところにあるものだけで生きていく。それ以外は太陽光だけ。
人間と違うのは、植物が地球内部のエネルギーをむやみやたらに消費しないということだ。植物達は地球の外からエネルギーを得ている。対して人間は、地球内部のエネルギーを枯渇するほどにまで使おうとしている。人類の抱えるエネルギー問題は深刻を極めている。害が少なく利用が容易なエネルギーを求めている。永久機関があれば万々歳だ。そこで植物達、または木々達だ。ソーラーパネルも良いかもしれないが、あれは本来土に降り注ぐはずの光を遮ってしまっている。クリーンで害のない永久機関とは植物達のことだ。管理なんざしなくとも勝手に増殖して巨大化していく。
花が咲き、招かれた虫が集まり、餌にする鳥が集まり、その種が胃袋で運ばれ、果実を食べる獣達も増え、土壌に降りた栄養は川に混ざり、その先の海に流れ出る。
そのシステムを人類のメインに据えるとしよう。おそらく人類が住める場所は半分以下になるよね。
ってそんな話をしようと思ってたわけじゃないんだよぅ!
太陽光をエネルギーに変える植物と、星空に心を打たれてこうして文章を書く人間(俺)とでそんなに違いがないんじゃない?って話をしたかったのよ!!
ろくな日記じゃないね☆
おわりっ