アメリカはオバマに至るまで尖閣の施政権は日本にある、しかし領有権については「特定の立場を取らない」と言ってきた
日本は無条件降伏をする時昭和天皇がポツダム宣言を受け入れた、その中に
八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
とある、吾等の中に中国(沖縄返還時は中華民国)も入っている、アメリカははっきりさせず、中国は自分のものと言っている以上、50年100年たっても返ってこない。戦国時代から領土は戦争の勝ち負けで決まる。負けなければよいのだ
いつまでも争っているより田中角栄のように「棚上げ」で中国を経済的に利用したほうが国益にかなっている、まだ10億人が貧しい
日本はユネスコに中国が申請した「南京事件」はけしからんと言いながら、ロシアに対し同じことをしていた
ユネスコから見たらこの国はどうなっているのだと理解不能だろう
日本はいつからこんな醜い国になったのか、ロシアもユネスコに金を出すのを止めるなんて言ってるか?
NHK: http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151015/k10010270361000.html
同感です
この公約で農協票を獲得したはずなのに、自民党からは農協解体の仕打ち、責任を取って新潟県出身の万歳会長辞任
http://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar889715
樋口陽一東大名誉教授【憲法】、「日本は独立後も準占領体制が継続」。日米安保体制はどのように「準占領体制」か
A事実関係
『天皇と軍隊』という映画が上映されている。製作:2009年,フランス、日本公開:2015年8月8日
この中、樋口陽一東京大学名誉教授の発言が引用されている(注:専攻憲法学、比較憲法学。「近代立憲主義と現代国家」によって、41歳で日本学士院賞を受賞)。
・ひとことで言えば、この条約(日米安保条約)締結後62年間(映画製作時までをいう)の準占領体制の継続。
準という言葉は、いうまでもなく平和条約発効後の日本は法的には主権国家ですから、単純な占領という意味ではなく、準。しかし事実上の占領状態、ということの意味は、何よりも日本外交がいまだにその独自性を見定めることが出来ないでいるという状況。
B本件については『戦後史の正体』に記述しているので、その部分を摘出。
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ダレスの考え:「われわれ(米国)が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する、それが米国の目標である」
トルーマン大統領は一九五〇年九月十四日、新聞記者との会見で「『対日講和条約のため、関係諸国と予備交渉を開始するように』という指示を出した」と発表します。
翌九月十五日、ニューヨーク・タイムズ紙は責任ある人からの情報として、対日講和の次のような方針を報道しました。
〇再軍備に制限を設けない。経済と通商の自由を最大限認める。国連加盟などの参加を促進する〇米軍が日本に駐留する許可を得る。
ここで米軍が日本に駐留することが独立の条件になってきます。
こうして米国側も用意ができ、日本側も用意ができたところで、一九五一年一月二五日、ダレス国務省政策顧問が訪日し、日米交渉が開始されます。
ここでダレスがどのような姿勢で日本との交渉にのぞんだか、この点はきわめて重要です。豊下楢彦著『安保条約の成立』は次のように書いています。
「一九五一年一月二六日、日本との交渉に先立ち、ダレスは最初のスタッフ会議において『われわれは日本に、われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるだろうか、これが根本問題である』と指摘した」
歴史学者のシャラーも『「日米関係」とは何だったのか』のなかで同じことを書いています。そしてダレスのスタッフたちは「つづく二週間半をこの回答を得るためについやした」と。つまり一九五一年二月の段階で、米国は日本から「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」を勝ちとったということです。
私たちはいま、過去の歴史をふり返っています。しかし、先にE・H・カーの言葉を引用したとおり、過去の歴史を学ぶのは現在を理解するためです。
そこで質問です。
ダレスが日本との講和条約を結ぶときにもっとも重要な条件とした「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」という米国の方針は、その後どうなったでしょうか。
いまでも変わっていないのです。
その後、日本側から「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」ことを変えようとする動きが出ると、そうした動きはかならずつぶされてきたのです。
一九五一年からもう六〇年以上経過しています。しかし米軍とそれを支える日本側の関係者は、六〇年も前にダレスが決めたこの方針から、どうしても抜け」だせないようです。
二〇〇九年九月から二〇一〇年五月まで、鳩山由起夫首相が普天間基地問題で「最低でも県外」とし、「国外移転」に含みをもたせた主張をしました。これは日本の首相として、歴史的に見るときわめて異例な発言でした。日本側から米軍基地の縮小計画をもちだしたケースは、これまでほとんどないからです。ですから鳩山由紀夫首相のこの主張は、米軍側とその日本側関係者から見れば、六〇年つづいてきた基本路線への根本的な挑戦でした。それだけに、鳩山首相の主張をつぶすための大きな動きが生まれ、その工作は見事に成功したのです。
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アメリカ軍には米国の基地に勤務していて、朝子供に「行ってくるよー」と家を出て
勤務先ではディスプレー画面を見てアフガンの指示された目標を無人爆撃機で空爆し
夕方勤務を終え家に帰り、子供と遊んでいる女性兵士もいる。
もちろん 空爆された中に普通の人、子供やお年寄りも含まれる、これも任務、誰も非難などしない
2106.2.12 追記: http://globe.asahi.com/feature/100111/side/01_02.html
彼らは毎朝、基地郊外にある自宅で家族との食事をすませ、マイカーで出勤、フライトスーツに着替えて屋内にある操縦席に乗り込む。数時間のアフガンの戦場で偵察や戦闘を繰り広げ、勤務が終われば、そのまま子供のサッカーの試合観戦に出かけたりする。そんな起伏の大きな日常生活が昨年5月、米国のテレビ局CBSの人気番組「60ミニッツ」の特集で紹介された。
江川昭子さんのブログより南京虐殺のNNNドキュメント、Youtubeで探してみます
https://www.youtube.com/watch?v=QsGC7Qi7Y-8
2016.9.27 削除されましたね。探してみます:https://www.youtube.com/watch?v=gyIcJOZmUYg
南京陥落、南京中心部は城壁がめぐらされている
この写真の対岸の山の稜線と取材班の見ている揚子江の対岸の山の稜線がほとんど同じ、この位置に間違いないだろう
南京虐殺は無かったなどと言っている国会議員もいる日本、恥ずかしい
なるほど一日10,000人以上も殺害する方法、機関銃を発砲するだけ、後は揚子江へ流す
20~30万人殺害もあり得る、生き証人もいた、誰が考え出したのだろう
追記:11/12 読売 世界の笑いものになるでしょうね、
10/21追記
私がYoutube最初に見た時1.000人台だったのに今日は17.000人になろうとしている。1日1.000人が見ている
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「もう1つ、質問が有る。あなたはシリアの難民問題で支援を表明したが、なぜ難民を受け入れないのか?」
ロイター通信の記者がこう質問すると、通訳を通して質問を理解した安倍首相の表情が強張った。実は、その質問に慌てたのは安倍首相だけではなかった。会見場にいた日本人記者全員が「予定外」の質問にざわめきたったのだ。
日本時間の9月30日朝に行われたニューヨークでの安倍首相の会見。「予定外」の質問とはどういうことなのか。アイ・アジアが入手した首相官邸の資料や取材に応じたアメリカ人記者の話によると、この会見では、質問者も質問内容も予め決められていたのだ。つまり、出来レース会見だったのである。
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http://npo-iasia.org/archive/2015/10/abe-conference.html
なるほど、国内の首相記者会見も質問順序や内容は決まっていたのか
テレビで見る会見時、司会者が50~100人はいるかと思われる記者の中から素早く社名と名前を指名する光景を不思議に思っていたところだ、納得