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フランシスコの花束

 詩・韻文(短歌、俳句)

マリアとは何か? その2

2006-07-07 08:48:39 | キリスト教問題

●イエスの母マリアは崇敬の対象たるべきか?●

 カトリック教会では、聖母マリアとして、その聖性を強調する。そのため、マリアに関するさまざまな信仰箇条がカトリック教徒に強制される。その最初が西暦431年にエフェソで行われた公会議だ。このとき、マリアは「神の母マリア」として公式に宣言された。
 「神の母」か? 単に香油をぬられた者=王たる者=キリストの母か? という論争が続いていたのだが、さかのぼること百年、西暦325年に行われたニカイア(ニケーア)公会議の席で、「三位一体の神」という教義が確定した。つまり、神は「父と子と聖霊」という三つの位格(ペルソナ)をもって、なおひとつに統合された超越存在であることが、このとき宣言されたのだ。
 「三位一体」にはギリシアに根強く存在した「聖数=三」という信仰が背景にあると考えてよい。たとえば直角三角形における「ピタゴラスの定義」で名高いピタゴラスは、「三」を至上の聖数と崇めるピタゴラス教団を形成していた。ピタゴラスらにとっては、正三角形は最も完全な形だった。世界の基底にこの三角形があるとされた。
 このようなギリシア思想を背景にして、キリスト教の教義は固められていった。マリアについても同じだ。
 

 ◆「神の母」マリアの教義はエフェソで決まった◆

 エフェソの公会議で決まったことに、何かを感じないだろうか? エフェソはパウロがアルテミス女神の信者たちによってリンチを受けかけた都市だ。そのことは前回に書いた。繰り返すが、その事実は『使徒言行録』第19章23節~40節に明らかに記されている。
 小アジアに位置するエフェソは、当時最も崇敬を集めたアルテミスの大神殿のある町だったのだ。この大神殿の跡に、エフェソのバジリカがつくられていることを考えれば、マリアを「神の母」と規定することによって、人々の心に残るアルテミス信仰を吸収する目的があったと推定される。

 実はエフェソの公会議のときまで、二つの定義が互いに火花を散らしていた。ひとつは、このとき定義として採択された「神の母マリア」、もうひとつは「キリストの母マリア」というものだった。どう違うか? イエスが神であることを前提にするのが「神の母マリア」という定義。イエスは神ではなく、人間界に遣わされた最も高貴な人、つまり人間の王(キリストは「香油を注がれた者」の意味で、つまり「人々の上に立つ者」、「指導者」、「王」)ということになる。
 
 エフェソの公会議では、こうなった。
 「『神の母』にして、『キリストの母』でもある聖マリア」。
 これは何を意味するか。マリアは肉によるイエスの母ではない、と言う意味を表す。マリアはたしかに人である「王たるイエス」(つまりキリスト)の母ではあるが、けっして人の肉の営みによって受肉したのではない、と言うことである。聖霊の力で人の肉体を得た。そして受肉したのは「三位一体の位格のひとつ、御子なる神」であった、と言うのだ。
 このことが、マリアの「処女懐胎」の論拠となる。
 このことが、「汚れなきマリア」の論拠となる。「汚れなきマリア」とはつまり、人間がすべからくその魂と肉に負っていた「原罪」を、ただひとり免れているという意味だ。

 マリアの「処女懐胎」の根拠は、『ルカによる福音書』ただひとつ。その第1章26節から38節に記されている記事だけだ。この記事は、大天使ガブリエルによる「受胎告知」としてよく知られている。この場面はルネサンス以降の画家に好んで取り上げられたテーマでもある。その「受胎告知」の最初は「天使祝詞」として名高い。
 「めでたし 聖寵満ち満てるマリア! 主御身とともにまします!」
「共同訳聖書」ではこうだ。
 「おめでとう、恵まれた方、主があなたともにおられる」(第1章28節)
この部分を冒頭に置いた歌が名高い「アヴェ・マリア(Ave Maria)」だ。多くの作曲家によって曲をつけられたこの「天使祝詞」は、キリスト教にとって、「聖母マリア」あるいは「清浄なマリア」あるいは「処女マリア」というイメージは、天上の女性のイメージとなったことを証明する。プラトン流に言えば、それは女の「イデア」だった。古来、人間が女神に仮託してきた、女がもたらすすべての「善きもの」の理想となった。

 ちなみに、このとき、けっして「神の母」という称号をあたえてはならないと頑強に主張したのが、ネストリウス派で、異端とされた後も宗派を形成している。中国で漢の代に伝わった「景教」と呼ばれるキリスト教がこれだった。

 ◆史実に目をつぶろうとするカトリック神学◆

 けれども、先に挙げた『マリア』にはこう書かれている。

「イエスが真に人、真に神である救い主という長い論争を経たキリスト論的真理をまったく疑いのないものにするために、その母マリアを神の母と呼ぶことにしたのである。」(P88L14~16)
「キリストが正しく認められたことを表徴するために、マリアを神の母と呼んだのであるから、したがって、教会がこの公会議をもとにマリアを神格化したというのは大きな誤りである。」(P89L1・2)
「現代のマリア信心研究家や、また、プロテスタントの中に、これをマリアの神格化の始まりのように誤った解釈をするものがあるが、教会史の客観的な研究からはそのような解釈は起こりえない。」(P89L5~7)

 ここで言われる「教会史」とは何だろう? 「教会史」とは「教会というものの歴史的変遷」を言うのではないのだろうか? 「歴史的変遷」であれば、「公会議」の決定にも歴史的バックグラウンドが考慮されなければなるまい。「三位一体」という神の定義も、それに基づく「神の母マリア」という定義も、実はこれらの歴史的背景、歴史環境の中に置き直してはじめてその真の姿が見えてくるのではないか。
 ここで言う「教会史」とは、まったく歴史的環境から「教会」だけをくくりだし、ぬき出して、時代背景、時代の風潮、時代の人々の心情をまるで無視して、「教会、我一人孤高を行く」とでも言わんばかりの「教会史」だ。どこに「客観的な研究」があるというのだろう。
 「カトリックによる主観的な教会史」と呼ぶべきだろう。

 さらにこの著者は続けて、こう書く。

「神の母マリアの呼び名によるマリア崇敬は、このように古代教会のキリスト論に基づいたものであり、後の教会はこのマリア崇敬をさらに深めていくことになった。それは、例えば、イエスの受肉の神秘をさらに深く信仰することから起こっていくマリア崇敬である。」(P89L11~13)
「しかし、キリスト論的真理がマリア崇敬に反映するということは、教会そのものがいかにマリアと深い関係にあったかということをも裏付けている。それはすでにヨハネの福音書が明らかにしている。共観福音書には十字架の下におけるイエスの母マリアの姿は明らかにされていないが、二世紀の初めに書かれたと推測されているヨハネの福音書には、十字架に掛けられているイエスの言葉をもって、マリアと教会の関係が明らかにされている。」(P89L14・15)

 ここで引用されるのが、『ヨハネによる福音書』の19章だ。引用は「新共同訳聖書」に基づいているので、そちらから引用しておこう。

「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(19章26節・27節)

 ここにマリアと教会との関係が明らかにされていると、著者は言う。けれども、ここにもひとつ、著者が口をぬぐって言わない事実がある。ここに現れるのは、十二使徒のひとりのヨハネだが、このヨハネは、実はマリアとともに、エフェソに渡って、そこで亡くなったとされていることだ。ここにもエフェソが顔を出す。マリアとエフェソは、あるいはエフェソの教会とマリアは切っても切れない関係にあるのだ。
 2世紀初頭のキリスト教の様子を見てみると、各地の有力な教会がそれぞれ司教座を持って分立していたことが知られる。イスラエルはイエスの兄弟の小ヤコブによる律法主義的キリスト教を受け継ぐ原始共産制のキリスト教団として、頑迷なユダヤ主義をもっていた。また、エフェソはヨハネが教団をもったところで、独立していた。さらに、アレキサンドリア、アンティオキア、さらにはローマがそれぞれ「司教」あるいは「主教」を置いて、それぞれが教勢拡大をはかりまた全キリスト教会の中での教権のイニシャティブを争った。
 いわば、ニケーア公会議、エフェソの公会議というのは、この教権の闘争とも言うべきもので、ここで互いを異端呼ばわりして、それぞれが主張する教義をたたかわせたのだ。

 ◆マリアの両親について語るジェームスの「原初福音書」?◆

 著者はこのように書く(P92L1)。ジェームスの「原初福音書」とは、日本では通常、「ヤコブ原福音書」と呼ばれているものだ。「マリアの両親について語る」と書くが、実際はマリアのおいたちの記とでも言うべきものだ。
 ここではマリアがどのように清浄無垢に育てられたかが克明に語られ、なおかつ、マリアの「処女懐胎」だけでなく、イエスの出産直後にもなお「処女」であったことが語られる。そのための証人として、サロメという女性まで登場させるのだ。

 著者は、日本で、「新約聖書外典」の」ひとつとして知られているこの「ヤコブ原福音書」を、「ジェームスの」と呼ぶ。確かに英語読みでは「ジェームス」だが、日本ではプロテスタントの研究者に「ヤコブ原福音書」と呼ばれているものを、わざわざ別の呼び名にしてしまう。プロテスタントの言い方は避けるのだ。
 それはともかく、この外典のひとつは、「ヤコブ」という名は立てられているが、書かれたのは2世紀末とされているから、聖書に現れるヤコブではあり得ない。イエスの兄弟、小ヤコブになぞらえているらしいのだが、この著者はユダヤ教の習慣を知らない。実際、幼い女性が、神殿に預けられ、そこで養われるという習慣は、ユダヤにはあり得ないものだという。ユダヤにおける女性の地位の低さを思えばよい。想像を絶するほど地位が低い。今のイスラム原理主義のなかの女性たちは、社会的に、人間的に男尊女卑の被抑圧状態にあるが、それに近いものと考えればよい。
 それらの事実を言わないで、こうした事例をもって、原始キリスト教会がマリア崇敬を強め、深めていったという。そして、これらのいわば物語とも伝説とでも言えるようなものについて、こう書くのだ。

 「ただし、聖書の教えに反することがないかぎり、教会は信徒のマリア崇敬を豊かなものにするものとしてこれらの文書を保ち、マリアの母アンナ、父ヨワキムを聖人として尊び、その祝日も認めている。」(P92L4~6)

 このような不確かな伝説に基づくものでも、カトリック教会はそれを認めて、聖人にまでしてしまう。となると、カトリック教会の認める正典「新約聖書」がどれほど信憑性のあるものか、帰って疑わしくなると言うものだ。
 不誠実かつ無責任な言というほかない。

<この項続く>

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