
■マグダラのマリアとはだれなのか?■
毎年、7月22日はマグダラの聖マリアを記念する日となっている。
一般に知られているマグダラのマリアは、その淫蕩な生活をイエスに赦され回心をとげて後、イエスへの純粋な愛に生きた、とされる。また、「女使徒」とも「女司教」とも称せられて、南フランス、プロバンス地方にキリスト教の礎を築いたとされる。
果たして世に伝えられるままに、彼女は生きたのか?
確かに、「このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」(『マルコによる福音書』第16章9節)、「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」(『ルカによる福音書』第8章2節)と説明されるこの婦人は、イエスの最初の小さな教団を支えていた有力な婦人のひとりだった。
この「マグダラのマリア」を「新約聖書」の他の箇所に出てくるさまざまな「マリア」と結びつけるよすがは、実は何もない。であるのに、カトリック教会は、なぜか、さまざまなマリアを、マグダラのマリアに同一化させてきた。
◆ベタニアのラザロとマルタの姉妹マリアの福音書記事◆
最も結びつけられて、同一人物とされているのは、エルサレムからそれほど遠くないベタニアという地のラザロの姉妹、マリアである。マリアはマルタの姉妹でもあった。
①マルタの妹マリア 『ルカによる福音書』第10章38節~42節
忙しくイエスとその一行のために立ち働くマルタ。それをよそに、イエスの足もとに座ってその話に聞き入り、片時もイエスから離れようとしないマリア。マルタが不平を鳴らす。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
主はお答えになった。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
②ベタニアのラザロの死と復活のエピソードにおけるマリア
『ヨハネによる福音書』第11章1節~44節
この冒頭の1節~5節にはこう書かれている。
ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロと言った。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです。」と言わせた。イエスはそれを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
③「主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった」出来事のマリア
『ヨハネによる福音書』第12章1節~3節
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意された。マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
②の記述と③の記述とで、時間の前後関係が相互に入れ違っている点に気をつけると、ここには『ヨハネによる福音書』の一つの「?」がつけられる。
と言うのも、「ひとりの女」(その名は書かれていない)が、イエスに香油を塗るシーンはほかにもあるのだが、その場面設定が違うのだ。
それは三つある。
そのうち、『マルコによる福音書』と『マタイによる福音書』とは、ほぼ同じ設定、ほぼ同じ内容。『マタイ』が『マルコ』を下敷きにしていたことが、ここにも現れる。だが、三つ目にあげる『ルカによる福音書』の記述は、他の二つの福音書とは少し異なっている。
④ベタニアの重い皮膚病の人、シモンの家での出来事。
『マルコによる福音書』第14章3節~9節
イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオ以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときには良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
⑤マルコの記述とほぼ同じことがマタイによっても語られる。
『マタイによる福音書』第26章6節~13節
さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨していった。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えら得るだろう。」
引用をマルコ⇒マタイの順序にした。「新共同訳聖書」では、カトリック側の強い意向で、「福音書」はマタイが最初に置かれているが、成立順序で言えば、マルコが最も早い。もっとも、書かれた順序を言い出せば、実はパウロの書簡類が最も早いものとなる(『テサロニケの信徒への第一の手紙』が紀元50年ころと言われていて、『マルコによる福音書』の成立より10年以上早い)。
⑥ファリサイ派の人の家で、「罪深い女」がイエスの足に香油を塗る出来事。長いので途中を省略して引用しよう。
『ルカによる福音書』第7章38節~50節
さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
<中略>
そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入ってきてから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
『ルカによる福音書』では、この出来事のすぐ後に、冒頭であげたイエスの教団についての説明が現れる。第七章はこの罪深い女の出来事で終わっている。そして、第八章の冒頭にやってきて、マグダラのマリアの名がはじめて知られる。
すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人にも一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。(『ルカによる福音書』第8章1節~3節)
ここからは、「マグダラの女と呼ばれるマリア」たち、つまり病を癒された婦人たちは、イエスの教団を支える最初の有力なパトロンたちだったと見ることができる。
その説明の最初に、「マグダラの女と呼ばれるマリア」があげられていることは、彼女がそのような婦人たちの筆頭格、あるいは代表的な存在であったことをうかがわせる。実際、その後のマグダラのマリアの伝承を見ても、彼女が「女司教」とでも言える権威と指導力とをもって、布教の先頭に当たっていたことがうかがわれる。
◆イエスの死と復活に立ち会うマグダラのマリア◆
マグダラのマリアは、福音書の中では、イエスの十字架の刑死に、イエスの母マリアと共に立ち会い婦人の一人とされる。また復活したイエスが最初に現れるのも、マグダラのマリアとされる。次に、その箇所を引用しておこう。
①『マルコによる福音書』の記述から
(イエスの十字架上の死を)また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上ってきた婦人たちが大勢いた。(『マルコによる福音書』第15章40節・41節)
(アリマタヤ出身の)ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入口には石を転がしておいた。マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。 (同上15章46節・47節)
もう一人のマリア、「小ヤコブとヨセの母マリア」とは、イエスの母マリアのことである。イエスの兄弟である小ヤコブは後に、エルサレム教会の指導者となって、厳しい律法主義を原始キリスト教団に課す人物。
安息日が終わって、マグダラのマリア、イエスの母マリア、サロメの三人は、イエスに香油を塗るために、墓を訪れると、墓には「白い長い衣を着た青年」がいて、イエスが復活したことを告げた。さらに、マグダラのマリアには特別な出来事が与えられる。
イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアにご自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。(同上第16章9節)
『マルコによる福音書』では、ここにはじめて「七つの悪霊を追い出していただいた婦人」であることが説明される。つまり、「福音書」では、この箇所と、先にあげた『ルカによる福音書』第8章第2節とに、マグダラのマリアの説明がごく簡単になされていて、やはり、ベタニアのマリアとのつながりは記されていない。もし、このマリアが、ラザロの姉妹、ベタニアのマリアであるなら、そのように書くはずではないだろうか?
②『マタイによる福音書』の記述を見てみよう。
イエスの十字架の死に、遠くから立ち会っていた婦人たちの中にマグダラのマリアがいる。
またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。(『マタイによる福音書』第27章55節・56節)
ここでも、婦人たちの筆頭にマグダラのマリアが記される。
イエスの葬られた墓を見守るのもマグダラのマリアだった。
マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。(同上第27章61節)
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。(同上第28章1節~3節)
このとき現れた天使は、イエスが復活したこと、ガリラヤで待っておられることを、この二人に告げる。二人は、喜んで、使徒たちのところに知らせに行こうと走り出す。
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。(同上第28章8節・9節)
③『ルカによる福音書』では、マグダラのマリアは婦人たちの中に紛れ込む
『ルカによる福音書』のイエスの死と復活の場面では、マグダラのマリアの特別な恩恵は示されない。
(イエスが十字架上で亡くなったとき)イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは、遠くに立って、これらのことを見ていた。(『ルカによる福音書』第23章49節)
イエスの死の場面では、「婦人たち」と一括される。イエスの葬られた墓で、二人の天使が「イエスが復活したこと」を告げたが、その相手は、かなりの人数の婦人たちだった。また、『マルコ』や『マタイ』に記されているような、マグダラのマリアに与えられた、あの特権的な出会いは見られない。『ルカによる福音書』の意図はどこにあったか。この頃には、あるいはマグダラのマリアの突出した指導力、あるいはカリスマ性のようなものを否定する動きが、原始キリスト教団の中に現れていたのではないかと、推定することができる。
そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。(同上第24章8節~10節)
◆マグダラのマリアとは、おとしめられた聖女だったのか?◆
『ルカ』の書かれた頃には、原始キリスト教団の中で、マグダラのマリアの影響力を排除する動きがあった、と見ることもできる。それは、『ルカ』以降、エルサレムやエフェソ、アンティオキアなど、父権社会が構成されているギリシア、小アジア地域では成功した。
けれども、辺境の地では、原始キリスト教団の意志も及ばなかったのだろう。今でも、南フランス、プロバンスの守護の聖人として大きな尊崇を受けていることが、その一つの証拠である。あるいは、彼女の在世中から、ユダヤ教の男尊女卑の思想や慣習によって、マグダラのマリアは煙たがられていたのかも知れない。南仏への布教に全力を尽くしたのは、あるいはエルサレムでも、エフェソでもアンティオキアでも、そしてローマでも、彼女はその指導力を封じられたと考える方が妥当だ。
その封じ手のひとつが、淫蕩の女として彼女に別人格を付与する動きだったのかも知れない。
そこに、このような人格高潔な女性が、人の上に立つことのできる強いリーダーシップを持った女性が、なぜ淫蕩な生活を送ったとされるのか?という疑問へのひとつの回答があるように思われる。
こうしてつくられた伝承は、その回心が決定的なものだったと説明する。あるいはパウロの回心に匹敵するほど、徹底的なものだったと。それによって、婦人たちの教化にも利用されるようになったのは、あるいは世の男たちにはけがの功名だったのかもしれない。
その伝承はいつか一人歩きし、キリスト教にまつわる一つの美談となった。たしかに、そのような大回心の例は、たとえば聖アウグスチヌスやアシジの聖フランシスコなど、数は多くないが、ないわけではない。
マグダラの聖マリアが、そのような大回心をとげた聖人の一人として、認識されるようになると、そのテーマは画家たちの恰好のテーマとなっていく。ルネサンス前後から多数描かれるようになった彼女の絵は、妖艶な美しい容姿とともに、この世の快楽のむなしさを象徴するどくろと、高価なナルドの香油の入った石膏の壺をあしらって、その回心を暗示する。
イタリアでは売春婦たちのための矯正施設や保護施設はいずれも、マグダラのマリアをその守護聖人として、回心した彼女の絵が飾られていたという。
あるいは男にとって、マグダラのマリアはその二重性のゆえに、女たちの模範とさせたかったのだろうか? よく言うではないか。「夫に対して女は、売春婦のように淫蕩であり、かつ聖処女のように純粋、貞淑でなければならない」と。
まったくもって都合の良い女性像のモデルが、マグダラのマリアだったのかも知れない。美しく気高く、その肉の快楽にも、霊の愛にも真剣で真っ直ぐだった一人の女性。そのひたむきさ、その徹底の仕方に、人は憧れるのかも知れない。一人の人生でありながら、二つの生を生きたかのような姿もまた。
①「石打ちの刑」を赦された姦通女のエピソード
これに、もうひとつ、次のエピソードがマグダラのマリアに結びつけられれば、原始キリスト教団の、そして男たちの目論見は見事に完成する。それは『ヨハネによる福音書』第八章にある。
イエスはオリーブ山に行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆がみな、御自分のところにやってきたので、座って教えられ始めた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」というと、イエスは言われた。わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」(第8章1節~11節)
②福音史家ヨハネとマグダラのマリアの特別な縁
姦淫の罰を赦された女こそが、マグダラのマリアだというのだ。けれども、それを示す何のよすがも、ここにはない。けれども、それとは裏腹にも、あまりにもまことしやかに、マグダラのマリアの淫蕩な生活の理由までがひとつの「聖人伝」として伝承される。
ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によれば、その心理的理由として、こんなことが語られていたと言う。
マグダラのマリアは福音史家聖ヨハネの花嫁であったと主張する人たちがいる。その説によると、二人が結婚式をあげようとしていたとき、主は婚礼の席からヨハネを使徒として召された。そこで、マリアは、良人をうばわれたことを恨みに思い、その場を去って、あらゆる快楽に身をもちくずすようになった。しかし、ヨハネの召命が堕地獄の一つの原因になるというようなことがあってはならない。キリストがマグダラのマリアをたいへん憐れまれて、彼女に悔悛の秘跡をさずけられたのは、そのためである。そして、彼女を最高の肉の快楽から引きはなされたから、かわりにほかのすべての愛にまさる最高の霊の愛、神の愛でもって彼女をみたされた、というのである。(『黄金伝説』第2巻P490L3~10/平凡社ライブラリー)
さて、これらのことをすべて結びつけて、カトリック教会のように、マグダラのマリアを、忌むべき淫蕩な生活からの悔悛を遂げた、たぐいまれな女性、高潔な女性と見るのか?
それとも、『ルカによる福音書』第8章1節~3節にあるように、その説明を素直に受け取り、むしろ、いくつも悪霊によって、その体をむしばまれ、苦しみ続けてきた女性が、イエスによって救われた、その恩恵の大きさに生きた教会の指導者の一人と見るのか?
あるいは、福音史家ヨハネとマグダラのマリアは因縁浅からぬ関係にあったのか? それゆえ、『ヨハネによる福音書』に描かれるいくつものマリアが、あれほどにマグダラのマリアと結びつけられてしまうのだろうか?
③『ヨハネによる福音書』におけるイエスの死と復活の場面
『ルカ』では多数の婦人たちの一人にされたマグダラのマリアだったが、『ヨハネによる福音書』では、再び彼女の特権的地位が復活する。
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロバの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。(『ヨハネによる福音書』第19章25節)
(マグダラの)マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだと分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしがあの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなた方の父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。(同上第20章11節~18節)
この記述の詳しさは、マグダラのマリアがいかにイエスに愛されていたかを示すものだが、この『ヨハネによる福音書』記者のマグダラのマリアへの関心の並々ならぬことをも、また同時に現していると見ることができる。
一説によれば、『ヨハネによる福音書』第2章に現れる「カナでの婚姻」は、実は使徒ヨハネとマグダラのマリアとの結婚式だったとも言う。そこでは、水がぶどう酒に変えられるという奇跡が描かれているが、その背景には、そのような事実が隠されていたというのだろうか? 今となってはだれも確かめようがない。
◆「福音書」には書かれざる物語がいくつも隠れている◆
『ヨハネによる福音書』が、あの十二使徒の一人、福音史家と呼ばれるヨハネによって書かれたものでないことは、最近の研究で明らかになっていると言う。だとすると、ヨハネの直系の弟子たち、ヨハネの身近にいたエフェソの教会の長老たちが、ヨハネの言行録を編集してまとめたか、あるいはヨハネの口伝をもとに「神であるイエス」を描こうと、新たに書き起こした、というようなことだったのだろう。
だとすると、老いた使徒ヨハネが、その弟子たちに、若き日の想い出を語ったのが、あの「カナの婚姻」だったと考えてみることもできる。あるいは、使徒ヨハネはマグダラのマリアとの思い出を、彼女も自分もイエスに特別に愛されたことも含めて、時折、弟子たちに語って聞かせていたかも知れない。
福音書もまた、人知れぬ愛や、人知れぬ悲しみ、人知れぬ痛み、それらの隠れたエピソード、隠れたヒストリーを担っているのだろう。
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