●イスラエルのレバノン・ガザ攻撃に警告しよう●
イスラエルの横暴が続いている。ガザへの無差別攻撃に続いて、今度はレバノン南部だ。監視を避けたいという理由で、意識的に「国連監視団」の本部を砲撃をしておきながら、偶発的な事故だと、強弁する。言えばその言葉が真実になるとでも信じているかのような口調だ。邪魔者は取り除け、それがイスラエルの思想だ。そして、その思想こそが、彼らのバビロン捕囚を招いた最大の原因だった。その思想こそが、世界中で嫌われる彼ら自身の最大の罪だ。
戦闘に従事しないふつうの人々に無差別攻撃に加えて、さらにその上、「国連監視団」まで壊滅させようというイスラエルには、もう、ひとつの独立国家である資格はない。国家を維持する権利はない。
もう一度イスラエルの全領域を含めたパレスチナ全体を、「国連監理」のもとに戻したらどうだろう? かつて、英国の国連委任統治のもとにあったのだから、再び、国連監理の下に置けばよい。彼らには独立国をなす資格はないのだから、再び、世界に離散し、世界を流浪する民となるしかないのだろう。
その昔、イスラエルの悪を怒り、嘆き、イスラエルの民のバビロン捕囚を予告し、警告した預言者がいた。その名を「アモス」と言う。その「アモス書」から、現代の彼らに、再びの警告を発することにしよう。
『アモス書』第5章1節~20節
イスラエルの家よ、この言葉を聞け。
わたしがお前たちについてうたう悲しみの歌を。
「おとめイスラエルは倒れて
再び起き上がらず
地に捨てられて
助け起こす者はいない。」
まことに、主なる神はこう言われる。
「イスラエルの家では、
千人の兵を出した町に、生き残るのは百人
百人の兵を出した町に、生き残るの住人。」
まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。
しかし、ベテルに助けを求めるな
ギルガルに行くな
ベエル・シェバに赴くな。
ギルガルは必ず捕らえ移され
ベテルは無に帰するから。
主を求めよ、そして生きよ。
さもないと主は火のように
ヨセフの家に襲いかかり
火が燃えさかっても
ベテルのためにその日を消す者はいない。
裁きを苦よもぎに変え
正しいことを地に投げ捨てる者よ。
すばるとオリオンを造り
闇を朝に変え
昼を暗い夜にし
海の水を呼び集めて地の面に注がれる方。
その御名は主。
主が突如として砦に破滅をもたらされると
その堅固な守りは破滅する。
彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み
真実を語る者を嫌う。
お前たちは弱い者を踏みつけ
彼らから穀物の貢納を取り立てるゆえ
切り石の家を建てても
そこに住むことはできない。
見事なぶどう畑を作っても
その酒を飲むことはできない。
お前たちの咎がどれほど重いか、わたしは知っている。
お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り
町の門で貧しい者の訴えを退けている。
それゆえ、知恵ある者はこの時代に沈黙する。
まことに、これは悪い時代だ。
善を求めよ、悪を求めるな
お前たちが生きることができるために。
そうすれば、お前たちが言うように
万軍の主なる神は、
お前たちと共にいてくださるだろう。
悪を憎み、善を愛せよ
また、町の門で正義を貫け。
あるいは、万軍の神なる主が
ヨセフの残りの者を
憐れんでくださることもあろう。
それゆえ、万軍の神なる主はこう言われる。
どの広場にも嘆きが起こり
どの通りにも泣き声があがる。
悲しむために農夫が
嘆くために泣き男が呼ばれる。
どのぶどう畑にも嘆きが起こる。
わたしがお前たちの中を通るからだと
主は言われる。
災いだ、主の日を待ち望む者は。
主の日はお前たちにとって何か。
それは闇であって、光ではない。
人が獅子の前から逃れても熊に会い
家にたどりついても
壁に寄りかかると
その手を蛇にかまれるようなものだ。
主の日は闇であって、輝きではない。
(『新共同訳聖書』から引用。)
イスラエルよ、耳を傾けよ。自らの罪にふるえよ!
もう、やめなければならない。その傲岸な悪の始末を。
