生命の尊厳は、地球上の(あるいは全宇宙の)生命との共生、共存という迂回過程を通過して、人間の尊厳と等価のものと見ることができる。
生命の尊厳=人間の尊厳
一方、「人間の生命」だけが重視されている社会では、けっして等号では結ばれず、
人間の尊厳≠生命の尊厳
この「≠」の状態を端的に表現した言葉が、
「人間の命は地球よりも重い」
これは修辞的な表現であって、実際にだれも客観的に「地球より重い命」があるなんて考えていない、と主張する人もいるかも知れない。本当だろうか? 地球なんぞより、人間のほうが大事だ、と本気で考えているのではなかろうか?
日本人は伝統的に生命主義的な感性、心情をもっていると言うが、本当だろうか? 単にご都合主義だったのではないだろうか? ご都合主義でなかったら功利主義的な生命観だったのではないのか?
山でぜんまいを摘むとき、その群落の中でいちばんの親株はけっして摘まずに残した。魚もある程度以下のものはすべて川や池に戻した。などなど。これを生命主義とは言えまい。再生産の保障のために、採取方法や採取量を経験的に制限しているだけではないか。
このご都合主義がよく現れているのが、日本の民話の「猿の婿」話だ。それはこういうものだ。
娘が三人いるお百姓さんがひとりで畑を耕していると、一匹の猿が現れる。その猿が言うには、
「手伝ってやろうか? うんでもな、ひとつ約束してくれんかの?」
「そりゃありがたいけんど、どんな約束すればええんだね?」
「いやぁ、ほかでもねえけんどな。おまんさんとこに三人、娘こがおろうが」
「うんにゃ、娘こは三人おるがな」
「そのうちの一人な、おれにくれんかなぁ。嫁っこになぁ。そしたらなぁ、この畑もあっちの田んぼもみんなやってやるけんどな」
お百姓さんは、急に仕事が楽になると思って、深く考えもせずに、答えた。
「あぁ、娘こ、三人おるでな。そのうちの一人なら、嫁にやってもええよ。そのかわり、たんとたんと働いてくれな。あさってまでにできたらうれしんだけどな」
「約束したで。嫁こな、おれにくれるんだでな。ほたら、今からしゃかしゃかやるだで、鋤も鍬もな貸してくれや」
こうして、この猿は三日間で、畑も田んぼも耕してしまい、三日目の夕方、畑に仕事を見に来たお百姓さんに言った。見事にあれだけ広い畑も田んぼも耕されていて、後は田植えやら、種まきやらが待っているだけだった。田植えなら、お百姓さんの娘三人なら、一日もかからずにできてしまう。それが終わったら、麻だのなすだのきうりだのの種まきだ。けれども、お百姓さんはすっかり忘れていた。
「そんでもってな、約束通り、畑も田んぼもこの通り、全部耕したでな、おまんさんの娘こひとり、おれに嫁御にくれな。だれをくれる? あのほっそりした姉さんかね?」
「ああ、そうだった。そうだった。そんな約束しておったな。ほたら、いちばん上の娘に言うてみるだから、明日の朝まで待ってくれろな」
「おおよ、わかった。保田ら、明日の朝迎えにゆくだでな」
お百姓さんは、猿との約束のことを後悔しながら、我が家に帰ります。いちばん上の娘に「こうこう、しかじか、かくかく」と説明して、
「なぁ、だからよ、嫁に行ってくれんかな。おとうの願い、聞いてくれんかな?」
「いやあじゃ。猿の嫁なんてこん、こん、金輪際いやあじゃ」
いちばん上の娘はこうして、猿なんぞに絶対嫁に行かない、と突っぱねます。
で、仕方ありません、次の娘にも頼みます。
「こうこう、かくかく、しかじかなんだけんども、あんたさぁ、あの猿んとこ、嫁さ、言ってくれんかなぁ? 頼むから、おとうの願い、聞いてくれんかなぁ?」
でも、やっぱり、中の娘もけっして「うん」とは言ってくれません。
お百姓さんは困り果てました。さて、さてどうしたもんやらと一番下の娘に同じように頼もうとしました。すると、一番下の娘が自分から言います。
「おらでよかったら、おら、嫁に行ってやるで。その代わりな、嫁入り道具な、二つこうてほしいんじゃ。ほたら嫁に行ってやってもええ」
お百姓さんは、一番下の娘のことをとても不憫に思いましたが、あまりにも明るくそう言うので、それなら、一番下の娘に嫁に行ってもらおうと考えました。
「おお、すまんな。ほんにすまんな。おとうが馬鹿だったばかりにな。おまんにもいやなこと頼んでな」
「おとうよ、そんなに心配せんでもええ。それよりな、嫁入り道具な、こうてきてほしいんじゃ。それでな、明日はな嫁入り道具をな町でな買わなんならんからな、嫁入りはあさっての朝にしてもらいたいんじゃ」
「おお、わかった。それくらいなら、猿も許してくれるだろうて」
「そんなら、嫁入り道具にな、手鏡とな、それからおっきな水瓶をなひとつこうてきてくれ」
「なんね? 手鏡はわかるけど、水瓶の大きいのはなんでじゃ?」
「ええの、おとうは、何も考えんで。それでみんな幸せになるんじゃから」
「おお、わかった、わかった。ほなら明日町まで行ってこうてくる」
こうして、一番下の娘は、猿が迎えに来ると、猿に頼みました。
手鏡は懐に入れ、空の大きな水瓶は、猿の背中に背負ってもらいました。それから二人で猿の家へ向かいましたが、大きな川にかかった橋の上で、娘は、懐から手鏡を取り出し、自分の髪の毛を直し出しました。
「ちょっと、髪が乱れてたまらんわ。髪を直すからちょっと待ってて」
「うん。けど、髪はそんなに乱れておらんがな」
「いや、そんでも気になってしょうがないじゃもの」
そう言って、手鏡で髪を直し出した。
「あれっ、あれは何?」
と大きな声で、空を指さしました。猿が空を見上げたとたん、娘は手に持った手鏡を川の中に放り投げました。
「ぽちゃん!」
「あれっ、鏡落としてしもたよ。あれ、おかあの形見なんじゃ。あんた、川に落ちたの拾ってくれんか。早く拾ってくれんか。流れていってしまうで」
猿はあわてて、背中に背負っていた水瓶を降ろそうとしましたが、娘はそれを許しません。そして、大きな声で騒ぎます。
「あんた、そんなことしてるひまないよ。はよ拾わんと、どこかへ流れていってしまう。おかあの大事な鏡が流れていってしまうよお!」
猿は水瓶を背中に背負ったまま、川の中に入っていきました。
空の水瓶に、どどっと川の水が流れ込みます。
「うげげ。げげげ。ぐぶぐぶ」
猿は大きな声を出しましたが、背中が重くて、浮かび上がることができません。そのまま猿は川底に沈んでいきました。
娘は、猿が二度と浮かび上がってこないのをじっくりと確かめてから、ひとり、お百姓さんのおとうの家に戻ってきました。
「あのな、あいつな、川に溺れてな死んでしまったで、帰ってきた。」
「ほうほう、それはよかった。よかった」
「うん。それで、明日、おねえたちと田植えしよな」
こうして、お百姓さんと三人の娘は幸せに暮らしました。
ここには、猿を自分の都合のために利用して、邪魔になったらさっさと殺してしまう、日本人の自然観がよくあらわれている。これが、「人の命は地球より重い」の中身だった。
