●フェミニズムは女性をだめにしたのではないか?●
長く、ぼくはフェミニストだったつもりだ。女権伸張主義としての「フェミニズム」だ。不当な女性差別に、義憤を感じたものだ。けれども、今は少し違う。不当な女性差別なのかどうか検討を要するものもありそうだと、考えている。それは、女性不浄という考え方だ。女性は不浄である、と最近感じるようになった。いや、もっと下世話な言い方をするなら、「女はきちゃない。不潔」という感じを強く受けるようになったと言うことだ。
<電車の中で>
女性についてよく見かけるもののひとつに、髪の毛をいじっている女性がある。一心に枝毛を抜いている。その枝毛を平気で、電車の中に捨てている。
あるいは、自分の服についている小さなほこりを一生懸命ひとつひとつ取っては、電車の床に捨てている。
あるいは、これは夕方から夜のことだが、チョコレートやクッキーを指でつまんで食べている。そこまではいいのだが、そのチョコレートなどで汚れた指を、くいくいっとつり革の輪の部分にこすりつけている。あるいはドアのそばのつかみ棒に。きちゃない。ほんとにきちゃない。クッキーのかすは電車の床にそっとばらまかれる。
よく、渋谷などでたむろしている女子高生まがいの女たち。やたらに濃くけばい化粧。ぷんぷんとにおう香水。この子たちは、1週間も1週間も風呂に入らずに平気でいるのだ。
あまりに不潔なのは、女がもともと不浄な生物だからだ、と思いたくなる。
『旧約聖書』や仏典の教えるところでは、女性には不浄な期間があり、その間は触れてはならない、とする。仏典はもっとひどくて、女性は成仏できないとまで、断言する。
<日本のサンクチュアリの思想における女性観>
またぎや山窩と呼ばれる人たちが、山を神聖視したように、山の森は神の領域だった。東京近郊では奥多摩や奥武蔵の山々に入ると、しばらく登ったところに必ず小さなほこらがある。そのほこらにまつられているのが「山の神」。女神だ。このほこらより上部の山はすべて、この女神なる「山の神」の領域とされて、特別なルール、特別なタブーが支配した。それを破れば、狩猟はまったくできないだけでなく、そのルールを破った者の里への帰還も保証されなかった。
「山の神」が女神であるところに、神聖視される山のタブーのひとつが現れる。それはそのほこらより上には女性は一切入ってはいけないということだった。女神は女性に焼きもちを焼くというのだ。
ところで、修験道による山岳信仰の地、たとえば北アルプスの立山、東北の鳥海山や月山では、女人の立ち入りは長く禁止されてきたが、その修験道による女人禁制と、「山の神」による女人禁制とでは、質的に異なっていることには、注意が肝要だ。
修験道では、仏教が教えるとことの女人の不浄をその理由とする。仏教では、女人は男性の悟りの妨げとなる欲望の誘い手、不浄の存在とされてきた。男は往生を遂げることができるが、女性はけっして解脱することはない、それゆえ必ず男性の解脱の妨げとなる、と言うのが仏教の教えるところだったからだ。さらには、仏教伝来の前、日本人がずっと持ち続けてきた、女性への不浄観も、それに重なった。
<女性を不浄とする見方は伝統的かつ世界的>
女性を不浄と見なす考え方は原始世界では、世界共通のもので、それは女性の生理と関係がある。子供を産む行為さえ不浄とされた。明治以前の古い伝統を維持する集落では、女性は生理のたびに、そのために特にしつらえられたぼろ小屋をあてがわれ、生理が終わって、体を清らかな水で洗い流すまで、母屋に入ることを禁じられていた。それは悲惨な檻のような小屋で、食事はその小屋の外にそっと置いておかれた。生理の時の女性の体に触れることも不浄とされたからだ。
それだけではない。女性の産褥もまた不浄とされ、産小屋が別にしつらえられた。『古事記』と『日本書紀』にある産褥小屋の記述が、その事実を如実に現している。妊娠していた豊玉姫(海神の娘)の産褥のため、海岸に鵜の羽をもって産小屋を建て始めたが、それが完成しないうちに、豊玉姫は産気を訴えた。あわててその未完成の小屋のかべの部分だけをしっかりおおって、だれにも見せぬようにして、一人の皇子を産んだ。それが「ウガヤフキアエズノミコト(鵜葺草葺不合命)」だった。そのまんまの命名だ。
産むところを見ないでくれと頼んだにもかかわらず、夫の火遠理命(ほおりのみこと=「海幸・山幸」の弟のほうの「山幸」、つまり天津日高日子穂穂手見命=あまつひこひこほほでみのみこと)は、こっそりと産褥の姿を見てしまう。海神の娘は鰐(「鰐」とあるが、いわゆるワニではない。たぶん「サメ」のことであろうと言われている)の姿をしてのたうっていた。見られたことを知った豊玉姫は、子を産み終えるとさっさと海の国へと帰っていった。残された子は、豊玉姫の妹、玉依姫(たまよりひめ)に養育させた。この子供の子が神武天皇というわけで、『紀記』にあっては、天と地を結ぶせ結節点となったできごとだ。この解釈については、また別の機会に書こう。なおこの部分の多くは『古事記』の記述に負う。
思わず、『紀記』の世界に踏み込んだが、これは日本の伝統的な文化的タブー。仏教にも女性不浄の考えがあったから、日本では、二重三重に女性は不浄視された。
<ユダヤ教における女性の不浄観>
けれども、女性不浄の考え方は、南アジアや東アジアににとどまらない。ユダヤ教が厳しく女性の不浄を規定していて、その不浄排除の思想はもっと徹底的だった。『旧約聖書』のうち、『レビ記』には細かい不浄と清めの規定が書かれているが、その第12章に「出産についての規定」というのがあり、「妊娠して男児を出産したとき、妊婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。……産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所に詣でてはならない。」とあり、さらに「女児を出産したとき、妊婦は月経による汚れの場合に準じて、十四日間汚れている。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な六十六日の間、家にとどまる。」と規定されている。
さらには、女性の月経による汚れについては、第15章に細かく規定されていて、月経期間中の女性に着た衣服、ベッド、それらに触れた人もまた汚れる、とされていた。
<なぜ、これほどまでに不浄とされたか>
なぜ、これほどまでに女性の生理が不浄のものとされたかは、それが「血の漏出」という問題にかかわるからだ。体外に流れ出た「血」は汚れのもととされた。「血」の漏出が人間の命を奪うこと、あるいは体力を奪うことになることが、まず、体外に出る「血」を汚れたものとすることの最初にある。それに、血は腐る。血は傷跡にかさぶたをつくり、それは肉体を汚れたと感じさせる。
にもかかわらず、定期的に月経という形で「血」を漏出させることは、不浄そのものと映ったのだろう。現代のようにナプキンもない時代。その処理の仕方は困難を極めただろう。ぼくの母親の時代でも、まだ月経のための特別なものをはき、脱脂綿を使っていたと記憶する。いわば、月経のたびにおむつをあてているようなものだった。現在のナプキンも、そう考えれば、小型軽量おむつというわけだろう。おむつメーカーがナプキン開発の先頭を走るのも、逆にナプキンメーカーがよいおむつを開発できるのも、どちらも同じ技術、同じ思想でつくられているからにほかならない。
けれども、女性が生物的にそうして漏出物を抱え込んでいることは、見方を変えると、女性は自分の漏出物による汚れに対して、鈍感ということをも意味する。神経質にしていては生活できないからだが、潔癖な女性の苦悩もここにあった。
潔癖であればあるほど、自分が女性であること、あるいは生理があることを憎んだに違いない。それは生活の破綻、あるいはもっと進んで性格の破綻さえ生みかねない危険な性癖だった。鈍感にならざるを得ないのだ。
それゆえ、その鈍感さに歯止めをかけるために、『旧約聖書』では月経を不浄のものとし、その後には必ず清めを求めたのではなかったか。鈍感が鈍感を生めば、果てしなく不潔な存在に落ちてしまう。そして、現代の女性のなかに、そうして不潔さが蔓延しているように思われてならない。
電車の中での最近の若い女性の「きちゃない」ふるまいを見るたび、日本の古い月経への不浄観は行き過ぎであるとしても、ユダヤ教の「月経不浄観」は、あるいは女性自身のためにある程度の合理性があったのではないかと考えてしまうのだ。女性は自分では自分を清潔に保つことができない。その不潔性にブレーキをかける必要があったのだろう。
ユダヤ教の発祥の地は砂漠などを背景にした炎暑の地域だった。そこでは、かすかな不潔さも伝染病や腐敗のもととなった。食事や子の養育という役割を預かっている女性に清潔にたもってもらうのでなければ、部族が、あるいはユダヤ民族全体が滅亡する危険にさらされる。そのような合理的な目的をもって、女性の不浄の規定が厳しくなされたのだろう。
<もっときれいにして! お願いだから>
ぼくのような潔癖な男には、だから、女性の不浄が感じられてならない。折口信夫という民俗学の泰斗にして、歌人釈迢空は、潔癖すぎて愛する女性とも結婚できないという人物だったが、潔癖な男性の典型だった。
だからといって、女性のすべてを否定するわけではない。女権伸張、大いに結構。自分で自分を律することができるのなら大いに結構。けれども、電車の中で見る限り、電車を自分の肉体からの廃棄物で汚しているのは明らか。チョコレートのついている指を平気でこすりつける姿は、無責任な心情をそのまま現している。公共道徳のまるでない、こうした女たちが権利を拡張したらどうなるか? いや、どうなっているか。
こうした女たちが母親になって子を育てているから、子供はきちんと自分自身を律することもできない。王様子供ができてしまう。自分はこの世の王様だと錯覚して、世界は自分を中心に回っていると信じようとする。それが現実に否定されると、否定する現実を破壊しようとする。あの京都での塾講師の殺人がまさにそれだった。
女性の権利の伸張が、子供の、特に男の教育に与えている無責任な自己中心主義の元凶であることはまちがいがない。女性がみずからの権利の意味を真っ正面から受けて止めて、権利とは責任とが一体のものであることに気づいてもらいたい。
さもなくば、ユダヤ教社会のように、女は父権のもとに厳しく統制されるべきだという考えが世の中に再びはびこってくることになる。
ぼくは、女性の権利を奪うことは、あってはならないと考える。今のようなえせ男女同権は早急に改善されなければならないと思っている。本当の意味での男女同権とは、女性が女性として、きちんとみずからの存在を把握して、自律的に社会に参画していくことを前提としてる。
<ハンナ・アーレントのような傑出した女性でも>
ハンナ・アーレントは傑出した社会思想家だが、彼女の出自はユダヤ教社会だった。早くに父親を亡くした彼女は、その父親の代わりをかの有名な哲学者マルティン・ハイデッガーに見た。彼女はそしてハイデッガーを愛した。父親、師、そして一人の男として。
彼女のような傑出した人物であっても、このハイデッガーについての評価は曇らされてしまう。ユダヤ教的父権社会の空気を吸った彼女は、師であり父である愛する人を批判しきれない。ハイデッガーは、何と彼女たちの民族、ユダヤ人を根絶やしにしようとしたヒトラーのナチズムの信奉者だったのだ。彼はアーリアン主義を信奉していた。
けれども、あれほど、ナチズムを憎み、あれほど精緻にナチズムの姿を分析、批判したにもかかわらず、ハイデッガーのナチズムを認めることができなかった。
このことは、ぼくには強いショックを与える。
あれほど、冷静で理知的な女性が、これほどまでにユダヤ教的父権性の陥穽に陥ってしまうとは! アーレントは理性ではハイデッガーの犯罪を知っていながら、その感情では彼を弁護し、擁護し続けた。ナチズム協力者として世界的な批判の中にあったハイデッガーを救い出したのは、このアーレントにほかならなかったのだ。
ハイデッガーの哲学は、ぼくの最も尊敬するものだった。若い頃にはその難解な『存在と時間』に何度も何度も食らいついたものだった。そして、ハンナ・アーレント。ぼくの尊敬する女性社会学者のひとり、アーレント。『全体主義の起源』を書き、『人間の条件』を書き、『イスラエルのアイヒマン』を書いたアーレント。
その彼女が父権的社会の情に流されて、ナチスト、ハイデッガーを擁護したこと。そのことは、ぼくに言いしれぬショックを与えている。
女とはこれほどまでに度し難いのか、と。それをハイデッガーに巧みに利用されて。
女性の不浄という思想には、このようなぬぐいがたい根があるのだ。感覚的、感情的に父親やそれに代わる者から自立できないという根。父親の権力の働かなくなった日本では、監督者がいなくなったことをいいことにしたい放題の女たちの無責任。自分の汚れを何とも感じないその不潔さにその一端が現れているのだ。
その非自立性を乗り越えなければ、本来の意味での男女同権もない。本来の意味での女性の自律的自立もない。