フランシスコの花束

 詩・韻文(短歌、俳句)

眠りの底に落ちるとき

2008-03-31 09:19:26 | POEMS(詩)

   眠りの底に落ちるとき

  眠りの底に落ちるとき、
  夢の帖(とばり)にくるまれるとき、
  絨毯の上の子猫のように夢がはしゃぐとき、
  心は一人で、ちんまり、にんまり笑っている?
  心はきっぱり、さっぱり、英雄気取りで笑っている?

  眠りの底に落ちるとき、
  悲しい心が楽しい夢を食べるとき、
  眠りの精が「時間よ来たぞ」と金砂をまきちらすとき、、
  どこかでだれかが、ぼくの心を食べている?
  「うまいぜ、うまいよ」とがつがつ食べている?

  眠りの底に落ちるとき、
  眠りが夢を遠くへ遠くへさらってゆくとき、
  眠りの魔女が楽しい想い出隠してしまうとき、
  悲しい想い出、寂しい想い出あふれている?
  涙の海でゆりかごのように揺れている?

  眠りの底に落ちるとき、
  ケルプの海の森にゆっくり沈むとき、
  ゆうらり、ゆうらり、抱かれるように眠るとき、 
  栄養豊かな慰め、静かな憩いがやってくる?
  やさしいイルカの群れに癒されている?

  だからね、だから、悲しい夢ならもう見ません。
  寂しい夢も、苦しい夢もあっちへ置いて。
  天使の心で、天の奏でる音楽聞きながら、
  サンゴの海の色とりどりに、心躍らせ歌いましょう。
  きっときっと愛して、うんと大事にしてねと。

  だからね、だから、逆巻く海の嵐さん、
  残さず、もらさず、みんなみんな持っていってね。
  いやな思い出、悔しい思い出、つらかった日のこと。
  それから楽しい心、愉快な心をほんの少し分けてください。
  南の島の椰子の木陰で拾った踊りをほんのすこーし。

  さあさ、子どもよ。こわい魔女さんどこかへ消えました。
  楽しい嵐に吹き飛ばされて、やさしいイルカにつつかれて、
  天使の心にどんな悪さもいたずらも通じません。
  みんなで、みんなで、あなたのいとしい夢を守るから。
  子どもの心に、安らかな、幸せな祈りが届くようにと。

  それから、それからね。
  みんなの夢がもっとすてきな夢になりますように。
  いろとりどりのかわいい夢になりますように。
  たくさんの眠り姫、たくさんの眠り王子に、
  心やさしい眠りの精が金の砂をまいてくれますように。
  きらきら、きらきら、眠りの砂をまいてくれますように。


光の花

2008-03-28 00:06:50 | 

   光の花

  光の花、金の花、白蓮(びゃくれん)に映え。
  光の花、銀の花、白楊(はくよう)に揺れ。
  ああ。わが心 風に行き、風に舞い、
  春日遅々として歩めど。
  わが心いまだその花々に行かず。

  愛の花、咲かせられるなら。
  心の花 咲き出(いだ)すのなら、
  ああ。風に触れて、風に巻かれて、
  春日を一人遊ぼう。
  わが心けっして明日をば思わず。

  夢の花、愛憐(あいれん)のとき、この胸に抱(だ)いて。
  夢の花、可憐の面影、この目をおおいて。
  ああ。花に酔い、花に溺れて、
  春日を走るがごとく。
  わが心清河(せいが)に浮かぶ孤舟(こしゅう)なり。

  光の花、輝きの中に、金色(こんじき)に映え。
  光の花 きらめきの中に、銀(しろかね)の色。
  ああ。わが心、夢に奪われ、夢に痴れて、
  春日の危うきをまとう。
  しかして、しかして、
  わが心一人静かに眠るなり。
  一人静かに、静かに眠るなり。


キク科の植物

2008-03-25 18:41:21 | インポート

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●人間に寄り添うものたち(2)●
-キク科の植物-

 レタス、ゴボウ、フキ、ツワブキ、アーティチョーク、チコリー。これらはすべて同じファミリーです。これにシュンギクを加えれば、そのファミリーがキク科であることはすぐにわかることでしょう。

 ◆レタスのこと◆

 レタスは、ペルシャ原産の植物とされています。和名「チシャ」。『倭名類聚抄(わめいるいじゅうしょう)』(923~930成立)に、「チサ」として記載されているものがそれのようです。この頃には、絹の道(シルクロード)をたどって、日本にもやってきていたということなのでしょう。けれども、この「チサ」は、ふつうに店にならんでいるレタスとは違って、あんなふうに丸まっていません。今、「カキヂシャ」とか「セルタス」と呼ばれているものにあたります。
 現在、レタスとしてお店に出ているものは、「タマヂシャ」というタイプのもので、日本には幕末にアメリカ合衆国から紹介されたようです。けれども、この「タマヂシャ」が本格的に栽培されるようになるのは太平洋戦争後でした。進駐軍の要求によって、米軍将兵のために栽培されたのが始まりと言われています。その後、日本人の食生活が洋風化するようになって、日本人の食卓にもよく並ぶようになったものです。
 花は一見してキク科とわかるものです。
 白いタンポポのような花、と言えばいいでしょうか。
 タンポポの仲間と同じように、茎を折ったり傷つけたりすれば、茎からは白い乳液状の液体がでます。この花の学名はその白い乳液にちなんで名付けられています。
 Lactuca sativa(ラクツーカ サティウァ)。
 このうちの、Lactucaが「乳液の出る」という意味です。種小名のsativaは、「栽培された」という意味で、この植物に学名がつけられた頃には、すでにヨーロッパ各地で栽培されていたことを意味します(命名者はリンネ)。日本語属名はアキノノゲシ属と言います。
 なお、サラダ菜と呼ばれているものも、レタスの一種で、品種が異なるだけです。

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トネアザミ。関東の山地や高原ではふつうに見られるアザミ。

 ◆ゴボウのこと◆

 ゴボウは、現在もヨーロッパからシベリア、中国東北部にかけて広く自生しているため、その原産地の特定はかなり難しいのですが、現在までのところ、地中海沿岸から西アジアにかけての一帯が原産地として最も有力視されています。けれども、これらの地方で、ゴボウ、つまりキク科のこの植物の根が野菜として利用されたという歴史はまったくなかったようです。
 ゴボウの学名Arctium lappa(アルクティウム ラッパ)の属名の部分のArctiumとは、「熊の」という意味ですから、ゴボウはまったく人間の食用として顧みられることがなかったことがわかります。その一方で、熊がその根を掘って食べることは広く知られていたようです。これも命名者はリンネです。リンネの時代には熊の食べ物として広く認識されていたのでしょう。
 ちなみに、種小名のほうのlappaは、「毬」という意味です。「熊さんの毬」というわけです。

 ヨーロッパでは顧みられなかったゴボウも、日本ではかなり早い時期から、食用として認識されていたようです。『本草和名(ほんぞうわめい)』(898年)にはすでに、栽培種として掲載されているそうですから、日本では中国から渡来してまもなく、食用とされるようになったのでしょう。とはいえ、中国からは薬草として入ったもののようですから、はじめはかなりの高級野菜だったのでしょう。平安時代の日本では、貴族・皇族たちの食べ物であったのではないでしょうか。藤原道長などの摂関家や、紫式部や和泉式部、清少納言がごちそうとして食したのだとすれば、ゴボウにも光り輝く日々があったのかも知れません。

 ゴボウを食用にする、ということについては、日本人はすでに似たような植物の根を、かなり古い時代、縄文時代以前から、食用にしていた経験によると思われます。それは、アザミやヤマボクチの仲間の根です。アザミ、ヤマボクチの仲間はこのゴボウと属は異なりますが、同じキク科の中でも、かなり近縁の仲間です。特に、アザミ属のモリアザミの根は「ヤマゴボウ」の味噌漬けなどのようにして、地方の名産として知られています。また、富士箱根火山帯から南アルプスにかけて分布するフジアザミは、日本で最も大きいアザミですが、その根もゴボウのように香ばしい香りがして、ゴボウと同じように食べることができます。葉も花もおいしいらしく、日本の鹿さん(ホンドジカ)は葉や花を好物にしています。
 ヤマボクチの仲間、オヤマボクチ、ハバヤマボクチはなどは、花もアザミに似ていますが、その根は深く、またかなり太いのです。実際に掘ってみるとその形状はゴボウそっくりです。また、その名の「ボクチ」は、漢字で書くと「火口」。つまり火をつけるとき、この花の総苞片の白い綿毛を使って、そこに火が移るようにしたことから、このように呼ばれるようになったと言われているのです。縄文時代、弥生時代から、種火の火付けのための利用されてきたという、なじみの深い植物だったのです。春先の若い葉はさっとゆがいて食べますから、ヤマボクチの仲間は本当に日本人には重宝な植物だったと言うことができます。

 これらの根を食してきた経験から、日本の古代の人は、ゴボウが、薬用としてではなく、食用として利用できるものであることにいち早く気づいたのでしょう。


 『私は貝になりたい』で、太平洋戦争中の捕虜虐待を問われて絞首刑になる主人公は、親切心からこの仲間の根を捕虜のイギリス兵に食べさせたのですが、そのイギリス兵はそれを虐待の証拠として挙げます。「雑草の根を食べさせられた」というのです。悲しい誤解でありました。その誤解を解くことができなかったことの裏には、植物の利用の歴史の違いが厳然として横たわっています。そして、裁く側の文化や価値観がどれほどのあってはならない死を生んでいたかと言うことも。

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フジアザミ。根は深く太い。とってもおいしいのだが、もちろん野生の
ものの根を掘り出すことは禁じられている。


北京オリンピックボイコット

2008-03-25 05:00:54 | コメントor短評

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●北京オリンピックはボイコットすべきか?●

 中国の対チベット政策に不快感を感じる欧米人は多い。チベット民族に対する中国の政策は、どうみても抑圧的である。チベットの中国からの独立を恐れるあまり、その自立への要求を抑圧する傾向にある。いや、このような言い方はあまりに穏やかにすぎるかもしれない。
 弾圧している、と見てもよかろう。
 だから、詳細な報道は行われない。
 他国の報道陣が入ることを非常に警戒している。そのため、実態はいまだにつかめない。中国当局の控えめに見た死者や負傷者の数とダライ・ラマの亡命政府側の発表との落差の大きさを、さてどうみるか。日本でもよく経験されることだが、デモのデモ主催者の動員数と警察発表とはかなり食い違うのと、その狙いは同じである。死傷者や暴動の規模を、中国当局はできうる限り小さく、チベット亡命政府側はできるだけ大きく見せようとする。


 ◆「疑心暗鬼」◆

 「疑心暗鬼」
 中国政府にとって、最も避けなければならないのはこれである。世界各国が中国政府の対チベット政策について、あるいはチベット暴動の実態について、中国政府にとって不都合なことを隠しているんじゃないか、ひどい事態を隠蔽しているのではないか。そう勘ぐられるのは最も怖いことである。
 にもかかわらず、もし中国政府が事態の全体を明らかにしようとしない、あるいはその一部を隠そうとするのだとしたら、それは「疑心暗鬼」よりもさらにいっそう不都合な事態を招くことを推測させる。

 「北京オリンピックボイコット」である。
 中国にはすでに問題がある。
 一つは大気汚染のひどさ、である。
 一つは食の安全への不安である。
 一つは水などの衛生面の不安である。

 大気汚染については、IOCも声明を出している。
 大気汚染の影響が大きな、マラソンなどについて、日程変更をする場合があることを発表している。たぶん、競歩などのロードレースが意識されているのであろう。真夏の北京では日中の気温は40度近くになる。そのとき、北京市内の大気汚染がかなり激烈な「光化学スモッグ」を発生させるに違いない。選手は軒並みダウンするだろう。
 金メダルよりも選手生命である。よい記録も期待できない。


 ◆北京オリンピックボイコットのシナリオ◆

 「北京オリンピックボイコット」には二つのシナリオがある。

 一つは、最初から、参加しない。選手団全体が北京に行かないのである。
 もう一つは、選手団は北京までは行くが、日程途中で競技参加をボイコットする。

 北京に行かないとすれば、それはそれぞれの政府の決定となる場合が多かろう。この場合は、中国の対チベット弾圧政策への反発である。その実態をつまびらかにしないことへの、秘密主義への反感である。
 あるいは、モスクワオリンピックのときのように、アメリカ合衆国がボイコットを呼びかけることがあるとすれば、その呼びかけに応じて、日本や韓国などの、世界のいくつかの国がボイコットを決めるというような経過をたどるかもしれない。
 けれども、現在の米中関係を見れば、アメリカ合衆国がボイコットを決めることはありえまい。ボイコットすれば、中国との関係を極度に悪化させるリスクがある。米中両国とも、そのようなリスクを望んでいない。それは避けたい。アメリカ合衆国としては口先だけで、人道主義の面子のために、中国の対チベット政策の転換を求めるに止まろう。それを中国が拒否しても、アメリカ合衆国にはなんらの有効な方策があるわけではない。

 実際は、北京オリンピックに参加する各国選手団は、それぞれの国の政府の監督・管理下にあるものではない。各国のオリンピック委員会は政府機関ではない。建前上は民間のスポーツ機関である。そして、各国オリンピック委員会には、各国の政府から独立して、オリンピックに関するすべての権限がある。それぞれの国のオリンピック委員会が、国の政府の方針がどのようなものであっても、独自に大会への参加のいかんを決めることができるのである。選手団を送り込む主体も各国のオリンピック委員会である。政府が不参加を決めても、その国のオリンピック委員会が参加を決定すれば、参加することができる。ただし、その場合、往復の渡航費、備品。器具代なとについて、国からの助成措置が得られないというハンディを伴う。
 モスクワオリンピックのとき、不参加を決めた多くの国のオリンピック委員会は、その助成金がそれぞれの国から得られずに不参加を決めざるを得なかったのである。それは、日本においても同様である。アメリカ合衆国追随の政府方針に、日本オリンピック委員会は逆らうことができなかったのである。何から何まで、その運営資金を日本政府の助成金に頼っていたからである。政府からの費用支出がなければ、選手団を派遣することができなかったのである。
  けれども、本来の考え方からすれば、もし、国からの助成金がない場合には、国民一人ひとりの寄付や、企業の協賛金が得られれば、参加も不可能ではない。そのために必要なのは、オリンピック選手団を派遣する費用を国民、いや市民自らがまかなおうとする国際スポーツに関する精神の成熟が求められる。その国の市民の一人ひとりの精神の内部に、スポーツの国際性、あるいは国際的な観念が浸透している必要があるのである。つまり、市民において国際性の成熟が求められるのである。
 それができた国は、モスクワオリンピックのときには、たった一国のみであった。それはイギリスである。イギリス政府は、アメリカ合衆国の呼びかけに追随することを決定していたが、イギリスオリンピック委員会は独自の判断で、選手団を送り込んだ。けれども、イギリス政府の賛助がなかったため、優勝者に与えられるはずの国旗掲揚と国歌演奏は許されなかった。それはそれで参加したイギリス選手団には悲しい仕打ちであった。

 現代では、そのようなことは起こるまい。なぜなら、一人ひとりの市民が国際的な成熟を得るよりもはるか以前に、国際スポーツのグローバリゼーションほうがずっとずっと進んでしまっているのである。

 もう一つのシナリオは、現地、北京での選手のストライキである。選手が個人的にボイコットすることは、かなりの確率であり得ることである。問題はそのひろがり。一国の選手団全体に及んだ場合には、大きなトラブルとなる。同調する選手団も現れるに違いない。そのきっかけは何になるか? チベット問題か? あるいは大気汚染や衛生面などの環境の問題であるか? こちらのほうは組織的ではないケースが多いと見られるし、あるいは散発的であるかもしれない。
 中国と各国とのあいだにある種のしこりを残すかもしれない。
 あるいは、そのようなトラブルを通じて、なおいっそう、中国の国際化、開放化が進むのであれば、そのトラブルは「よいトラブル」である。そして、もしそのような散発的あるいはゲリラ的ボイコットが起こったときには、それらはどれも「よいトラブル」にする努力が望まれる。中国にも、各国にも。そして国際オリンピック委員会にも。


 ◆スポーツのグローバリゼーション◆

 中国の対チベット政策に抗議する、という名目での北京オリンピック不参加の決定は、どの国でも行われまい。それは、オリンピックから政治を全く排除することはできないにしても、オリンピックという国際行事はできうる限り政治からは独立して運営されなければならない、という意思が広く受け容れられているということにある。
 しかも、それを保障するのは、各スポーツへの商業主義の深い浸透である。商業主義にまみれたスポーツは、国家の援助を必要としないほど、陰になり日向になって行われ続ける企業の援助・協賛に全く依存しているからである。それは、援助などと言うより、丸抱えと言ったほうがいい場合もある。
 その企業群による援助・協賛が、オリンピック委員会のあるいは、オリンピック大会そのものの各国政府からの独立を促進してきたのである。それは、近代オリンピックがはじまったころに比べるとよくわかるであろう。近代オリンピックは最初、ほとんど手作りのような状態で始まり、徐々に国家パワーの自己顕示の場となっていった。その最たるものが、戦前のベルリンオリンピック大会である。このオリンピック大会は、ナチスという全体主義国家の権力の発揚とパワーのデモンストレーションのためのものであった。
 その転換点が、じつはモスクワオリンピックである。
 国家が運営するオリンピックという実態が、政治からのスポーツの独立を許さなかった事態こそ、モスクワオリンピックボイコットの真相である。建前としての政治の不介入は、建前としてのオリンピック大会を自己否定したのである。

 そして、それにかわって、オリンピック大会は政府からの自立を模索することになった。その先蹤がロスアンジェルスオリンピックであった。このときから、スポーツの、また、オリンピック大会の各国政府からの独立性を保障するようになったのが、グローバル企業群である。国際企業群が、その豊富な資金力とネットワークとを駆使して、オリンピックに積極的に関与してきた事態は、国際スポーツと国際スポーツの大会とに、どれほど深くグローバリズムが絡んでいるかということを雄弁に物語っている。そして、このようなスポーツのグローバリズムは、現代の国際的なスポーツの新しい局面と言えるであろう。
 国家・政府の関与が、国際商業主義というグローバリズムによって、拒否される現象が、あるいは、モスクワオリンピックボイコットの時代とは、全く異なる事態をもたらすことになるのであろう。だが、それはどのような事態であるのか?

 大会以前に、あるいは大会開催中に、中国のチベット弾圧が国際的な批判の的になったとき、オリンピックはどのように動くことになるか? あるいは大会中に、大気汚染や衛生上の問題が深刻化したとき、グローバル企業群がどのような行動を選択するか、けだし見ものである。そして、そのとき、これらのグローバル企業群がどのように反応し、どのようなことをオリンピックに求めるのか、これからのためにもよく見極めておく必要がある。


<参考>
○モスクワオリンピック 
 一九八〇年七月十九日~八月三日開催。参加国・地域数八十一カ国、参加人員五二一七人(男子四〇九三人、女子一一二四人)。開会宣言はレオニード・ブレジネフ。もちろん、当時はソビエト連邦。

○オリンピックボイコットの経緯
 ソビエトは、一九七九年十二月、アフガニスタンに侵攻。
 これに対して、一九八〇年一月、アメリカ合衆国カーター大統領が「モスクワ大会ボイコット」の方針を、アメリカ合衆国オリンピック委員会に伝え、西側諸国にも同調を求めた。
 一九八〇年二月、日本政府も大会ボイコットの方針を示す。日本オリンピック委員会(JOC)は、参加の道を探った。
 一九八〇年六月十一日不参加を正式決定。

<ボイコット国・非ボイコット国>
 ○ボイコットした国は、日本のほか、西ドイツ、韓国、中国、ユーゴスラビアなど五十カ国。
 ○一方、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。
 参加の仕方は、多様であった。
 イギリスは、オリンピック委員会独自の方針によって、政府とは独立して選手団を派遣。
 また、イギリス、ポルトガルなど三カ国は、入場行進に旗手一人のみが参加。フランス、イタリア、オランダなど七カ国は入場式には不参加。
 また、アフリカ諸国は全部が参加した。

<ボイコットの余波> 
 次の大会は、一九八四年のロスアンジェルスオリンピック(七月二十八日~八月十二日)でであったが、ソビエト連邦以下、ルーマニアとユーゴスラビアを除く東欧諸国は不参加。よって、参加国・地域数は一四〇カ国。参加人員は総数六七九七人(男子五二三〇人、女子一五六七人)。
 また、アメリカ合衆国オリンピック委員会は、国の助成金に依存した大会運営を脱する運営を企画し、成功裏に終始した。その運営資金は、次のようなものによった。
一、テレビ放映権料
一、スポンサーの協賛金=一業種一企業に限定して、ロスアンジェルスオリンピックのマークの自由な使用権を賦与。
一、入場料収入。
一、オリンピック記念グッズの売上金。

 このロスアンジェルスオリンピックの成功以降、オリンピック大会の商業化が飛躍的に進む結果となった。スポーツのグローバリゼーションと呼んでもよかろう。

 なお、参考までに、つづく一九八八年のソウルオリンピックについて記しておくと、参加国・地域数は一五〇カ国、参加人数は八四六五人(男子六二七九人、女子二一八六人)であった。ボイコットがないと、この程度の参加国数となるのであろう。ただし、参加人数は競技種目の増加も反映しているので、単純比較はできない。なお、二〇〇四年アテネ大会の参加国・地域数は202を数えている。
 ちなみにモスクワ大会の種目数は203(競技数は21)、ロスアンジェルス大会の種目数は221(競技数は21)。ソウル大会の種目数は237(競技数は23)、アテネ大会の種目数は301(競技数は28)である。スポーツの商業グローバル化とあわせるように、オリンピック大会そのものが大きく膨らんできているのが見える。


アブラナ科の野菜とモンシロチョウ

2008-03-19 10:59:52 | 植物学・生態学

Plant green webストア(ザ・ノース・フェイス)

●人間に寄り添うものたち(1)●
―アブラナ科とモンシロチョウ―

 菜の花、小松菜、のらぼう、ミズナ、京菜、大根、蕪、キャベツ(甘藍)、白菜、ほうれん草。

 これらの中で、一つだけ仲間はずれがあります。どれでしょう?
 それは、ほうれん草! です。
 ほうれん草はアカザ科。ペルシャ原産の野菜とされています。ほうれん草の缶詰のコマーシャルに出て来た「Popeye the sailorman」、つまりポパイで有名になった植物です。日本に入ったのは室町末期、戦国の時代であったらしい。

 さて、本題。
 タイトルにもあるように、このほうれん草以外はすべてアブラナ科であります。アブラナ科はかつて「十字花科」と呼ばれていました。それは花びらが十字架の形に縦・横に並ぶことによります。もっとも、ラテン語科名は今も“Cruciferae”(クルシフェラーエ=十字架を持つものたち)でありますから、実際はその直訳だったのでしょう。けれども、花びらが縦と横に直角になるように出ている典型的な「十字花」ではないものもあるので、日本ではより親しみやすく、代表的な植物の標準和名を科名としたということのようです。十字架状に開くということですから、どれも四弁花であります。

 アブラナ科は古くから人間に親しまれ、食べられてきた植物です。、たとえばキャベツの栽培起源はローマ時代以前にさかのぼるほど古いものであると考えられています。このキャベツの栽培のひろがりにくっついて、モンシロチョウも全世界に広まったと言われています。チョウの仲間で、これほどの世界的ひろがりを持つ種はほかには見あたりません。いかに、キャベツべったりの生活誌を選択したモンシロチョウの戦略が大成功であったかが、わかります。

 上に挙げなかったものをさらに。
 ブロッコリー、カリフラワー、クレソンもアブラナ科です。クレソンは繁殖力が強く、とんでもないところにも群生します。たとえば八ヶ岳の上智大学のソフィアヒュッテの近くの水場にも群生していたりするのです。だれかがここでクレソンを洗ったときに、こぼれ落ちた株がいつの間にか根づいて繁殖してしまったのでしょう。今では雪解けて間もないころから夏までのあいだの、サラダの具に重宝がられていますけれど、いいのでしょうかねぇ。場所が八ヶ岳ですものね。

 そうそう、「わさび」も「からし菜」もアブラナ科です。
 アブラナ科の葉や茎には、多かれ少なかれ、必ず「カラシ油配糖体」が生成されています。それが「わさび」や「からし菜」の「辛み」のもとなのですが、これは虫に食べられないために、進化の歴史の中でアブラナ科が手に入れた戦術であったのです。キャベツにも「カラシ油配糖体」が含まれていますから、本来虫たちはこれを食草とすることはできません。モンシロチョウの幼虫はそれを解毒する酵素を体内に持つことによって、キャベツを食草にできたのです。これも、やはり進化の妙というところでしょうか。
 モンシロチョウは他のアブラナ科の植物も食草にすることができますが、キャベツの栽培面積と量は圧倒的ですから、いかにもキャベツに特化しているように見えるのです。しかも、他の「カラシ油配糖体」をもつ野生の植物よりも栄養価が高いため、キャベツを食草にするのが繁殖戦略としてもっとも効率的であったのです。

 もっとも人間は「わさび」や「からし菜」など、その辛みそのものを食味として利用するわけですから、さらに上手を行っているということになるのでしょう。

 人間が目をつけて栽培を始めてから、モンシロチョウはそのキャベツの栽培面積と共に繁栄を極めてきました。人間が繁栄する限りにおいて、モンシロチョウは世界に飛び続けるでありましょう。そして、人間が滅亡した後にも、新たな繁殖戦略を見出して、生き延びるのでしょう。今ほどの繁栄は得られないにしても。

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写真はヒロハコンロンソウ。アブラナ科の野草です。