●北京オリンピックはボイコットすべきか?●
中国の対チベット政策に不快感を感じる欧米人は多い。チベット民族に対する中国の政策は、どうみても抑圧的である。チベットの中国からの独立を恐れるあまり、その自立への要求を抑圧する傾向にある。いや、このような言い方はあまりに穏やかにすぎるかもしれない。
弾圧している、と見てもよかろう。
だから、詳細な報道は行われない。
他国の報道陣が入ることを非常に警戒している。そのため、実態はいまだにつかめない。中国当局の控えめに見た死者や負傷者の数とダライ・ラマの亡命政府側の発表との落差の大きさを、さてどうみるか。日本でもよく経験されることだが、デモのデモ主催者の動員数と警察発表とはかなり食い違うのと、その狙いは同じである。死傷者や暴動の規模を、中国当局はできうる限り小さく、チベット亡命政府側はできるだけ大きく見せようとする。
◆「疑心暗鬼」◆
「疑心暗鬼」
中国政府にとって、最も避けなければならないのはこれである。世界各国が中国政府の対チベット政策について、あるいはチベット暴動の実態について、中国政府にとって不都合なことを隠しているんじゃないか、ひどい事態を隠蔽しているのではないか。そう勘ぐられるのは最も怖いことである。
にもかかわらず、もし中国政府が事態の全体を明らかにしようとしない、あるいはその一部を隠そうとするのだとしたら、それは「疑心暗鬼」よりもさらにいっそう不都合な事態を招くことを推測させる。
「北京オリンピックボイコット」である。
中国にはすでに問題がある。
一つは大気汚染のひどさ、である。
一つは食の安全への不安である。
一つは水などの衛生面の不安である。
大気汚染については、IOCも声明を出している。
大気汚染の影響が大きな、マラソンなどについて、日程変更をする場合があることを発表している。たぶん、競歩などのロードレースが意識されているのであろう。真夏の北京では日中の気温は40度近くになる。そのとき、北京市内の大気汚染がかなり激烈な「光化学スモッグ」を発生させるに違いない。選手は軒並みダウンするだろう。
金メダルよりも選手生命である。よい記録も期待できない。
◆北京オリンピックボイコットのシナリオ◆
「北京オリンピックボイコット」には二つのシナリオがある。
一つは、最初から、参加しない。選手団全体が北京に行かないのである。
もう一つは、選手団は北京までは行くが、日程途中で競技参加をボイコットする。
北京に行かないとすれば、それはそれぞれの政府の決定となる場合が多かろう。この場合は、中国の対チベット弾圧政策への反発である。その実態をつまびらかにしないことへの、秘密主義への反感である。
あるいは、モスクワオリンピックのときのように、アメリカ合衆国がボイコットを呼びかけることがあるとすれば、その呼びかけに応じて、日本や韓国などの、世界のいくつかの国がボイコットを決めるというような経過をたどるかもしれない。
けれども、現在の米中関係を見れば、アメリカ合衆国がボイコットを決めることはありえまい。ボイコットすれば、中国との関係を極度に悪化させるリスクがある。米中両国とも、そのようなリスクを望んでいない。それは避けたい。アメリカ合衆国としては口先だけで、人道主義の面子のために、中国の対チベット政策の転換を求めるに止まろう。それを中国が拒否しても、アメリカ合衆国にはなんらの有効な方策があるわけではない。
実際は、北京オリンピックに参加する各国選手団は、それぞれの国の政府の監督・管理下にあるものではない。各国のオリンピック委員会は政府機関ではない。建前上は民間のスポーツ機関である。そして、各国オリンピック委員会には、各国の政府から独立して、オリンピックに関するすべての権限がある。それぞれの国のオリンピック委員会が、国の政府の方針がどのようなものであっても、独自に大会への参加のいかんを決めることができるのである。選手団を送り込む主体も各国のオリンピック委員会である。政府が不参加を決めても、その国のオリンピック委員会が参加を決定すれば、参加することができる。ただし、その場合、往復の渡航費、備品。器具代なとについて、国からの助成措置が得られないというハンディを伴う。
モスクワオリンピックのとき、不参加を決めた多くの国のオリンピック委員会は、その助成金がそれぞれの国から得られずに不参加を決めざるを得なかったのである。それは、日本においても同様である。アメリカ合衆国追随の政府方針に、日本オリンピック委員会は逆らうことができなかったのである。何から何まで、その運営資金を日本政府の助成金に頼っていたからである。政府からの費用支出がなければ、選手団を派遣することができなかったのである。
けれども、本来の考え方からすれば、もし、国からの助成金がない場合には、国民一人ひとりの寄付や、企業の協賛金が得られれば、参加も不可能ではない。そのために必要なのは、オリンピック選手団を派遣する費用を国民、いや市民自らがまかなおうとする国際スポーツに関する精神の成熟が求められる。その国の市民の一人ひとりの精神の内部に、スポーツの国際性、あるいは国際的な観念が浸透している必要があるのである。つまり、市民において国際性の成熟が求められるのである。
それができた国は、モスクワオリンピックのときには、たった一国のみであった。それはイギリスである。イギリス政府は、アメリカ合衆国の呼びかけに追随することを決定していたが、イギリスオリンピック委員会は独自の判断で、選手団を送り込んだ。けれども、イギリス政府の賛助がなかったため、優勝者に与えられるはずの国旗掲揚と国歌演奏は許されなかった。それはそれで参加したイギリス選手団には悲しい仕打ちであった。
現代では、そのようなことは起こるまい。なぜなら、一人ひとりの市民が国際的な成熟を得るよりもはるか以前に、国際スポーツのグローバリゼーションほうがずっとずっと進んでしまっているのである。
もう一つのシナリオは、現地、北京での選手のストライキである。選手が個人的にボイコットすることは、かなりの確率であり得ることである。問題はそのひろがり。一国の選手団全体に及んだ場合には、大きなトラブルとなる。同調する選手団も現れるに違いない。そのきっかけは何になるか? チベット問題か? あるいは大気汚染や衛生面などの環境の問題であるか? こちらのほうは組織的ではないケースが多いと見られるし、あるいは散発的であるかもしれない。
中国と各国とのあいだにある種のしこりを残すかもしれない。
あるいは、そのようなトラブルを通じて、なおいっそう、中国の国際化、開放化が進むのであれば、そのトラブルは「よいトラブル」である。そして、もしそのような散発的あるいはゲリラ的ボイコットが起こったときには、それらはどれも「よいトラブル」にする努力が望まれる。中国にも、各国にも。そして国際オリンピック委員会にも。
◆スポーツのグローバリゼーション◆
中国の対チベット政策に抗議する、という名目での北京オリンピック不参加の決定は、どの国でも行われまい。それは、オリンピックから政治を全く排除することはできないにしても、オリンピックという国際行事はできうる限り政治からは独立して運営されなければならない、という意思が広く受け容れられているということにある。
しかも、それを保障するのは、各スポーツへの商業主義の深い浸透である。商業主義にまみれたスポーツは、国家の援助を必要としないほど、陰になり日向になって行われ続ける企業の援助・協賛に全く依存しているからである。それは、援助などと言うより、丸抱えと言ったほうがいい場合もある。
その企業群による援助・協賛が、オリンピック委員会のあるいは、オリンピック大会そのものの各国政府からの独立を促進してきたのである。それは、近代オリンピックがはじまったころに比べるとよくわかるであろう。近代オリンピックは最初、ほとんど手作りのような状態で始まり、徐々に国家パワーの自己顕示の場となっていった。その最たるものが、戦前のベルリンオリンピック大会である。このオリンピック大会は、ナチスという全体主義国家の権力の発揚とパワーのデモンストレーションのためのものであった。
その転換点が、じつはモスクワオリンピックである。
国家が運営するオリンピックという実態が、政治からのスポーツの独立を許さなかった事態こそ、モスクワオリンピックボイコットの真相である。建前としての政治の不介入は、建前としてのオリンピック大会を自己否定したのである。
そして、それにかわって、オリンピック大会は政府からの自立を模索することになった。その先蹤がロスアンジェルスオリンピックであった。このときから、スポーツの、また、オリンピック大会の各国政府からの独立性を保障するようになったのが、グローバル企業群である。国際企業群が、その豊富な資金力とネットワークとを駆使して、オリンピックに積極的に関与してきた事態は、国際スポーツと国際スポーツの大会とに、どれほど深くグローバリズムが絡んでいるかということを雄弁に物語っている。そして、このようなスポーツのグローバリズムは、現代の国際的なスポーツの新しい局面と言えるであろう。
国家・政府の関与が、国際商業主義というグローバリズムによって、拒否される現象が、あるいは、モスクワオリンピックボイコットの時代とは、全く異なる事態をもたらすことになるのであろう。だが、それはどのような事態であるのか?
大会以前に、あるいは大会開催中に、中国のチベット弾圧が国際的な批判の的になったとき、オリンピックはどのように動くことになるか? あるいは大会中に、大気汚染や衛生上の問題が深刻化したとき、グローバル企業群がどのような行動を選択するか、けだし見ものである。そして、そのとき、これらのグローバル企業群がどのように反応し、どのようなことをオリンピックに求めるのか、これからのためにもよく見極めておく必要がある。
<参考>
○モスクワオリンピック
一九八〇年七月十九日~八月三日開催。参加国・地域数八十一カ国、参加人員五二一七人(男子四〇九三人、女子一一二四人)。開会宣言はレオニード・ブレジネフ。もちろん、当時はソビエト連邦。
○オリンピックボイコットの経緯
ソビエトは、一九七九年十二月、アフガニスタンに侵攻。
これに対して、一九八〇年一月、アメリカ合衆国カーター大統領が「モスクワ大会ボイコット」の方針を、アメリカ合衆国オリンピック委員会に伝え、西側諸国にも同調を求めた。
一九八〇年二月、日本政府も大会ボイコットの方針を示す。日本オリンピック委員会(JOC)は、参加の道を探った。
一九八〇年六月十一日不参加を正式決定。
<ボイコット国・非ボイコット国>
○ボイコットした国は、日本のほか、西ドイツ、韓国、中国、ユーゴスラビアなど五十カ国。
○一方、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。
参加の仕方は、多様であった。
イギリスは、オリンピック委員会独自の方針によって、政府とは独立して選手団を派遣。
また、イギリス、ポルトガルなど三カ国は、入場行進に旗手一人のみが参加。フランス、イタリア、オランダなど七カ国は入場式には不参加。
また、アフリカ諸国は全部が参加した。
<ボイコットの余波>
次の大会は、一九八四年のロスアンジェルスオリンピック(七月二十八日~八月十二日)でであったが、ソビエト連邦以下、ルーマニアとユーゴスラビアを除く東欧諸国は不参加。よって、参加国・地域数は一四〇カ国。参加人員は総数六七九七人(男子五二三〇人、女子一五六七人)。
また、アメリカ合衆国オリンピック委員会は、国の助成金に依存した大会運営を脱する運営を企画し、成功裏に終始した。その運営資金は、次のようなものによった。
一、テレビ放映権料
一、スポンサーの協賛金=一業種一企業に限定して、ロスアンジェルスオリンピックのマークの自由な使用権を賦与。
一、入場料収入。
一、オリンピック記念グッズの売上金。
このロスアンジェルスオリンピックの成功以降、オリンピック大会の商業化が飛躍的に進む結果となった。スポーツのグローバリゼーションと呼んでもよかろう。
なお、参考までに、つづく一九八八年のソウルオリンピックについて記しておくと、参加国・地域数は一五〇カ国、参加人数は八四六五人(男子六二七九人、女子二一八六人)であった。ボイコットがないと、この程度の参加国数となるのであろう。ただし、参加人数は競技種目の増加も反映しているので、単純比較はできない。なお、二〇〇四年アテネ大会の参加国・地域数は202を数えている。
ちなみにモスクワ大会の種目数は203(競技数は21)、ロスアンジェルス大会の種目数は221(競技数は21)。ソウル大会の種目数は237(競技数は23)、アテネ大会の種目数は301(競技数は28)である。スポーツの商業グローバル化とあわせるように、オリンピック大会そのものが大きく膨らんできているのが見える。