フランシスコの花束

 詩・韻文(短歌、俳句)

クジラのお腹で

2013-01-21 14:35:36 | POEMS(詩)

   クジラのお腹で

 クジラのお腹で考えた
 冷たい塩水でぐしょぬれになって
 暗黒世界に鼓動がする
 坐り込んだ大きな空洞には
 ほどよい温度の血が通い
 ほとんど眠らんとするそのとき
 悲しい人生を振り返る
 つらき人生のすべてを
 否定しつつそれでもなお
 まだ生きたいと願う心のざわめき
 そうよ 案ずるなかれ
 そう簡単に死にやせぬと
 頭の上のオキアミの飛び跳ねるごとく
 ひとの世のならいそこにありて

 命のすでに果てぬる時
 下天のうちを比ぶれば
 夢幻のごとくなり この五十年
 濁らぬ天は化天か
 はたまた化転の日々か
 うたた転々 わくら葉なれば
 風にまろび 星に打たれて
 朽ちてゆくのは命のならい
 暗黒はちっとさびしいが
 それでも神はわが骨を拾ってくださる
 手向けのほどよい熱が
 さあいよいよ眠りを誘う
 永遠への眠り 従容として
 我もまたヨブに倣わん


干し柿

2013-01-15 17:32:28 | POEMS(詩)

   干し柿

 干し柿なんて
 干し柿なんて あんな
 あんな古くさいもの
 田舎くさいだけのもの って
 思ってたんだ
 きみが好物だからと
 つきあいで食べてたんだ
 あんなものは どう考えたって
 きみの思い出の一部だって
 いつか年月の奥に 消え去るんだって
 ずっと信じていた
 けれども 不思議
 きみと会わなくなって十年
 ぼくも歳をとったせいだろうか
 干し柿が食べたくって仕方なくなった
 そして知ったんだよ
 干し柿にも種類があって
 干し柿はどれも遠慮深いって
 干し柿のほのかな甘さは
 ぼくの口にちょうどいいんだ
 どんな高級菓子店の
 素敵なケーキよりも ぼくには好み
 素朴なふるさとの味を
 どれだけぼくが望んでいたか
 そしてきみが
 どれほど素朴な愛に満ちていたか
 もう 還らない日々
 もう 二度とやってこない日々
 ただひとり 冬のひなたぼこの中で
 胸一杯に抱えて買ってきた干し柿を
 貪るように 愛しむように
 ぼそぼそ食べてるんだ
 愛に飢(う)えながら 愛に餓(かつ)えながら
 涙ぼろぼろ 涙ぼろぼろ


佃煮

2013-01-13 01:10:39 | POEMS(詩)

   佃煮

 秋のある夜のこと
 佃煮が 突然 食べたくなった
 ぼくの鼻のまわりで
 甘辛い 砂糖醤油のにおいが
 香ばしくあふれた
 はぜがはじけ こうなごがはねる
 あさりも はまぐりも
 真っ白なご飯の上で
 媚態をつくる
 ああ ひっそりと 横に置かれた
 真っ黒な海苔の佃煮からは
 身をよじるような秋波
 おいらは 江戸っ子
 江戸前の 江戸前の
 佃の生まれよ
 いとしい古い時代の女が
 透明な燗酒を一口 ぐびり
 秋の長夜の入口で
 ぼくは今
 幸福な夢を見る
 幸福な 幸福な 思い出を見る


さくらんぼの季節/ナナ・ムスクーリ

2013-01-10 19:09:12 | non category

  

 ここに掲げるのは、シャンソン。歌うのは、ナナ・ムスクーリ。ギリシアの素敵な歌声。
 その歌声で、『さくらんぼの季節』(「さくらんぼの実る頃」とも)、Le Temps des Cerisesを、初めてきいたのは、ぼくの挫折の頃。
 ああ、なつかしい挫折だ。
 夢に破れていたぼく。
 あの時までぼくは、この日本に本物の無政府組合主義(アナルコ・サンディカリズム)にもとづく労働組合がつくれると信じていた。当時日本にあった「アナルコ・サンディカリズム」を標榜する集団は、いわば、アナーキストたちの一弱小団体にしか見られていなかった。破産寸前のイデオロギーを抱えて、もうこの世から消え去るほかない微小な運動。それは、ただ主義を主張するだけで、どこにも具体的実践がなかったせいであった。実践と言えば、暴力しか目に入らない、あるいは暴力革命だけがすべてであるような連中とは違って、ぼくは組合そのものを実践的にそのようにつくろうと考えていた。
 組合はたしかでに作れた。百名にも満たない小さな会社で、ぼくは組合を作った。
 だが、現実はぼくの理想からも、夢からもほど遠いものだった。そのときぼくの目の前にあったのは、全くと言っていいほどお粗末な「賃上げ団体」だった。社員のほとんど全員が参加したその組合にいたのは、賃上げと職場環境アップとを求める烏合の衆であった。それをただまとめ上げるだけで、ぼくのエネルギーは費やされ、ぼく自身は会社側に目を付けられ身動きがかなり不自由になっていた。ぼくは経営者側に期待されてしまったのである。ばらばらの労働者を一つの組合にまとめあげた手腕を経営陣が見逃すはずがなかった。

 目の前方に餌をほしがる何も考えようとしないひな鳥たちを抱え、背後から経営者に抱きすくめられて、ぼくは活動の自由を失っていった。切り抜けるための妥協はかえってぼくを追いつめる。にっちもさっちも行かなくなって、ぼく描いた夢どころの騒ぎではなく、、それ故にこそぼくは挫折したのである。

 ぼくの頭の中では、権力を一手に集中する中央集権は、民衆の敵であった。敵であることには、日本の中央政府も、ローマのバチカンも同じである。ぼくらの目指さなければならないのは、権力分散型の「無政府組合主義」である。ここでいう「政府」とは中央集権政府の謂である。中央集権政府を否定して、なるたけ小さな社会集団に分解し、そこで地域主権を確立すること、それがぼくが描いた「無政府組合主義の社会」である。小さくなった地域主権の中の真の主人公は「民衆」ではない。そのように集合名詞で示される人間の複合ではない。真の主人公は、一人一人の「人」である。
 そこにぼくらのこの世における最終目標の第一歩がある。
 「主の祈り」にあるではないか。「神の国がこの世に来ますように」と。それはこの世に「福祉国家」を超えたところに、「福音国家」をつくるというイメージを喚起する。
 「無政府組合主義」の終着点は「福音国家」なのである。

 そして地上の「神の国」である「福音国家」を神は支配されない。この地上の国を未来へと運ぶのは、その心に神の国を持つ一人一人である。
 見はてぬ夢である。だが、この日本でそんな夢が果たして可能かどうかなんて、よく足もとを見れば分かるではないか。この日本はキリスト教国家でさえない。人口の一パーセントにも満たない信徒数の国で、それはあまりの無謀である。なぜ、ぼくがそんな夢を見てしまったのか。本気でそんな夢を描いてしまったぼくの挫折が来るのは時間の問題だった。
 二年に及ぶ組合結成活動が形式的には成功して、ぼくの挫折感は深まった。組合活動から手を引き、その会社も辞めたのである。
 その直後に聞いたのが、ギリシアの歌声、ナ・ムスクウーりの歌である。
 ギリシアもまた社会主義運動は挫折しかかっていた。ギリシア民衆にはぼくはある種の親近感を抱いていた。そこでこの歌である。

 この『さくらんぼの季節』は、パリ・コンミューンの直後から、その挫折を失恋の悲しみに重ねて歌われるようになった。わずか五十六日間の昂揚であっが、パリの市民たちがこぞって立ちあがり、パリ市を占拠して、そこで自治を行ったのである。1871年のことである。ちょうどさくらんぼの実る頃であった。真っ赤なさくらんぼを籠いっぱいに摘んで戦う市民のもとに届けてくれた勇敢で愛らしい娘も、そのたたかいの中で命をとした。その娘の思い出に寄せて、彼らの夢の挫折がパリ市民の間で歌われたのである。それはその時フランスを統治していた政府の弾圧の監視を逃れることが可能であったからである。
 さくらんぼの真っ赤な色ニは、流された市民の血の思い出が重なる。
 それを届けてくれた若い娘のやさしい心が重なる。
 そして、それを歌うぼくらの心をくるんで甘いせつなさに運んでくれる。

 ナナ・ムスクーリの歌をもう一つ。“愛の喜び”(Plaisir d'amour)である。「愛の喜びははかないが、愛の悲しみは一生続く」と歌う。クライスラーのバイオリンのための小曲とは異なる。




思い出の刻印

2013-01-03 18:34:17 | POEMS(詩)

   思い出の刻印

 思い出は 思い出は
 心の世界を 自由に浮遊する
 現実のきみが どこにいようと
 どこでどんな難儀をしていようと
 きみとの思い出は この心を飛び交う
 きらきらときらめきながら
 忘れたりしないわ
 けっして けっして と
 幸せそうに 空を舞う
 思い出には 思い出だけの
 遊びの場があると
 歌い踊る場があると
 きみは知っているだろう?

 だからね だから
 きみに言おう
 思い出は 燃えさかる 熱球
 触れれば 必ず苦しみが走る
 思い出を じっとつかんでいようなんて
 悲しく 寂しい願いを
 持ってはなるまいよ
 思い出は 遠くへと
 うんと遠くへと
 投げ上げるもの
 その一瞬に触れる手には
 手ひどいあざができるだろう
 そうか きみはそのあざが
 あざの刻印が狙いだったか
 永遠に消えない愛の思い出に
 そんな酷い傷がほしいだなんて