goo blog サービス終了のお知らせ 

フランシスコの花束

 詩・韻文(短歌、俳句)

ジャスコPB商品の「遺伝子組み換え」食品群

2010-04-28 19:53:24 | 社会・経済

Img_0573

 ジャスコを初めとするイオングループのPB食品には、「遺伝子組み換え」とうもろこしや大豆、なたね由来の食材の含まれている可能性のあるものがかなりある。冒頭の写真がその一つ。「トップバリュ」ブランドのジンジャーエールである。売り場の棚に値段の表示があるだけで、「遺伝子組み換え」については、棚とその周辺のどこにも一言も書かれてはいない。

 イオングループのPBには2種類ある。

 ひとつはメインラインの「トップバリュ」。もう一つは安物ラインの「ベストプライス」である。

 先日、試しに「トップバリュ」ブランドのジンジャーエールを買ってみた。コカ・コーラ社の正規品であるカナディアン・ジンジャーエールとくらべると、いかにも味が安っぽく、しごくつまらない薄っぺらな味だったので、二度とと飲むまいと思ったのだが、ラベルの一つに小さく書かれてある表示を見て、びっくりした。全部吐き出してしまいたかったが、もう後の祭りである。けれど、そのようなことは、棚も含めて売り場には何一つ書かれていない。商品を子細にチェックしなければ、見逃してしまうほどにごくごくひかえめな表示であった。

 「ぶどう糖液糖(とうもろこし):遺伝子組み換えとうもろこしが含まれている可能性があります。」とある。小さな字で書かれている。つまり、これで「ちゃんと表示しました」というアリバイ証明になっているというわけである。ペットボトルの形態も色具合もコカコーラ社正規品とそっくりであるというのも、いかにもジャスコらしい。消費者が間違って買うことも狙っているのである。間違って消費者が「遺伝子組み換え食品」を口にするのもジャスコは平気なのである。
 同じ棚の隣で売られているコカコーラ社のジンジャーエールは同じ容量で158円である。「トップバリュ」ブランのものは、写真にもあるように、148円であるから、たった10円で、「『遺伝子組み換え食品』のリスクを負え」、というのである。

Img_0572

 最初は、ジンジャーエールばかりのことだと思っていた。この製品の最終責任は、おそらくこの商品を提供しているコカコーラ社にあるのだろう、ぐらいに思っていた。要はコカコーラ社の製品はどれも注意してかからないといけない。必ず、あの小さなラベルを読んでからでないと、買うことはできない。厳しい注意が肝要であると。

 ところがである。
 一昨日である。「トップバリュ」ブランドのマーマレードを買ってみた。一緒に売られているアオハタブランドのマーマレードと瓶の形も大きさもそっくりだったので、それほど不安を感じないで買った。そして、家に帰ってきて、ふと後ろの小さなラベルを見て、たまげた。

Img_0565

 なんと、これもまた「遺伝子組み換えとうもろこしを分別していません。遺伝子組み換えとうもろこしが含まれている可能性があります。」とある。

 隣で売っていたアオハタブランドのマーマレードは、298円。こちらは258円であった。その差たった40円で、消費者が「遺伝子組み換え食品を口に入れるリスクを負え」というのである。たとえ半値にしたって、そんなリスクを負いたくない、というのが消費者の大方の思いであろう。ましてや、子供にはけっして口に入れさせたくない。
 マーマレードは子供も口に入れるはずである。トーストにつけたり、バゲットにつけたりすると、まことにおいしい。子供のほうは、子供ながらに大人の味を感じるのである。イギリスの童話の主人公、パディントン・ベアは確か、マーマレードが大好物であった。そんなに大切な食べ物に、遺伝子組み換え食品とは、けっして許せない。絶対に願い下げである。

 売り場に再三行って探し回ったが、消費者に確実にはっきりと分かるように、「『遺伝子組み換え製品』が含まれている可能性があります」という表示はなされていなかった。かなりしつこく見て回ったがどこにもなかった。
 あるいは、ジャスコのことであるから、どこかにアリバイ証明のように、小さく、ごくごく小さく、だれの目にも少しも目立たぬよう、ひっそりと表示がなされているのかも知れない。だが、ぼくはあちこち目を皿のようにして探し回ったのである。

 「なんの表示も売り場にはない」

 これが結論である。

 そのついでに、そのほかの「トップバリュ」ブランド、「ベストプライス」ブランドの食品をチェックしてみた。

 同じジャムの棚には、「トップバリュ」ブランドのイチゴ(ストロベリー)ジャムもあったが、これもやはり「遺伝子組み換えとうもろこし」が含まれている可能性があるという表示である。

Img_0578

 値札の表示を見てもらえば分かるだろう。「遺伝子組み換え食品」について、一言も書かれていない。むしろ「JAS特級」という表示で、この製品が優れた品質をもっていることを主張している。「遺伝子組み換え食品」が含まれている可能性があって、どこが「特級」の品質というのだろうか?

 ジャスコは、つねにこの手である。この手で、消費者をだまそうとする。あるいはごまかそうとする。

Img_0597

Img_0585

Img_0604

 写真を並べてみたが、いずれも「遺伝子組み換え食品」のリスクがあることが裏のラベルに小さく書かれているものである。

 キャノーラ油まで。こちらは「なたね油」にそのリスクのあることが記載されている。こうなると、どれがそうでないのか、そっちを探すことのほうが骨が折れる。もうあれもこれも、なのである。

Img_0602

 おもしろいことに、これまでぼくの見たところでは、全部が全部「トップバリュ」ブランド食品ばかりで、より安価な「ベストプライス」ブランド食品には、このような「遺伝子組み換え食品」のリスクは書かれていない。「書かれていない」ことが「遺伝子組み換え食品が含まれている可能性」がないことになるのかどうか、それは不明である。

 とにかく、「トップバリュ」ブランド食品はその多くが要注意である。
 あるいは、「ベストプライス」ブランド食品にも大きな注意を払って厳し目で選択する必要ががある。
 値段が少し安くても、「遺伝子組み換え食品」を口にするリスクを負わねばならぬのでは、消費者は何を信じればよいのか? 食品の安全という観点からは、このような食品の販売は基本的に、ジャスコの消費者に対する背信行為と言わざるを得ない。

 ジャスコを初めとするイオングループは、値段さえ安ければ、遺伝子組み換え食品を、そのリスクにもかかわらず、消費者が口にするのは許されるというのであろうか?

 理不尽にもこれでは、消費者をあんまりにも馬鹿にしていると言うほかない。このような裏切り行為を許していいものだろうか?

 もし、ジャスコがこのような食品を店頭で今後も販売し続けたいのなら、店頭および、販売する棚に大きな字でだれにもわかるように、

 「遺伝子組み換え食品が含まれている可能性があります。」

 という表示を正々堂々と掲げることを求める。それはだが、消費者への挑戦である。そのような挑戦をしたいのなら、どうぞお勝手に。

 ぼくは、そのようなイオングループをけっして支持ない。いや、何よりもそのような企業精神を、けっして許さないであろう。


ジャスコの裏切り!

2008-09-25 04:54:58 | 社会・経済

●ジャスコは客の要望の逆をする●

 ある日、突然、ジャスコの食品売り場で、見切り売りの値引き表示が変わった。主に生の和菓子売り場でのことである。
 それまで、賞味期限の2日前の午後7時頃には「10%引き」。
 賞味期限の1日前の夕方には「20%引き」。
 おなじ1日前の午後7時半から8時頃以降には「50%引き」と表示されていた。

 ところが、主に和菓子に限って、その表示の仕方が、「割引き後の値段表示」になったのである。つまり、割引率は一切表示されなくなった。だから、いくら値引きしているのか、その商品に小さく書かれている値札を見て比べるほかなくなった。目の悪い人には、ほとんど値引きされたのがどれほどであるのか分からなくなったのである。

Img_0155

ジャスコの食品売り場の従来からの値引き表示。賞味期限や消費期限によって「10%引き」でちくわが売られている。

 売り場の店員に聞いてみた。
 和菓子の売り場でよく見かけるパートのおばさんである。このおばさんが値引きシールを貼っていた。
 次はその会話の再現である。

 ぼく――「ねぇ、最近、値引率の表示をしなくなったね。どうして?」
 おばさん――「上からの命令ですから」
 ぼく――「上からって、でもこれじゃいくら割り引いているのかすぐには分からないじゃない。目の悪い人にはほとんどわからないよね」
 おばさん――「マネージャーの判断で決めたことですから、わたしはその命令に従うほかありません」

 やけに「命令」を強調する言い方である。自分はただ、マネージャーからの「命令」にロボットのごとく従う意志のない存在です、とでも言いたげである。

 ぼく――「でも、どうしてなの? これじゃあわかりにくよねぇ」
 おばさん――「お客さんからもっと早い時間に半額にして欲しい、って言われたからです」
 ぼく――「客がそう言ったから、値引きの%表示止めたの?」
 おばさん――「そうです。マネージャーの命令ですから」
 ぼく――「客に言われたからって、半額値引きもやめたんだね」
 おばさん――「いえ、半額にはなりますよ。でも、午後九時以降か、明日の朝に半額にします。マネージャーの命令ですから」
 ぼく――「えっ? どういうこと? 値引きする時間を遅くしたってこと?」
 おばさん――「はい、マネージャーの判断で、半額値引きを遅くすることにしたんです」
 ぼく――「へぇ、客が早くしてくれって要望したら、ジャスコはその逆をやるんだ!」
 おばさん――「わたしはマネージャーの命令に従っているだけですから」
 
ぼく――「それに、明日半額にするってことは、賞味期限が来たその日に半額にするんだ。そりゃひどいよねぇ」
 おばさん――「でも、それがマネージャーの命令ですから」

 ぼく――「それはよくわかった。その話ブログに書いていいよね」
 おばさん――「いえ、それは何とも言えませんけれど」
 ぼく――「これは書かなきゃ。ジャスコがどれだけ消費者を裏切るか、平気で裏切るか、ちゃんとみんなに知らせておかなければ。そうでしょ?」
 おばさん――「いえ、わたしはわかりまりません。マネージャーに命令されているだけですから」
 ぼく――「あなたに責任がないことはよくわかった。この値引き、写真に撮っていいね」
 おばさん――「いやぁ、わたしは……」

 ぼくは写真を撮った。
 それがこの写真である。
 何と、もともとの値段表示を隠すように、値引きシールが貼られている!

Img_0179

ジャスコの生和菓子売り場の見切りの値引き。「金額表示」になって、何%引きなのか、値札表示も隠された状態で、消費者にはそれがどれだけ徳なのかわからないようにしてある。

Img_0154
 ジャスコはどうやら売れ残りやすい商品はどれもこの表示に変えているようである。けれどもそれが不徹底。――さぁ、どっちが徳なんでしょう???

 見切り売りの時間を遅くするということは、つまり、売れ残りをそれだけたくさん作ると言うことである。その売れ残りは・・・・結局捨てるのであるから、ジャスコは二重に消費者を裏切っているのである。
 一方で「木を植えています」と言いながら、その一方で、地球環境に対するこういう裏切りを平気でやっている。それがジャスコである。


不良品回収再生機構

2008-07-27 17:01:00 | 社会・経済

★「誰でもよかった」と無差別殺人に走った男たち!!★

 「不良品」とはこの「だめ男」たちのことである。

 秋葉原では7人も殺し、はたまた八王子では卒業を来年に控えた若き有為な女性を殺した男がいる。仙台でも、茨城でも、岡山でも「だめ男」が人を殺す。許せない。こいつらはただの「甘ったれ」でしかないではないか。不満だけため込んだ「だめ男の甘ったれ」である。

 ●「甘ったれだめ男」を」つくる母親社会●

 「甘ったれだめ男」をつくったのは、この「甘ったれ社会」を牛耳る母親たちである。自分の子供だけが大事な、社会に対してなんの教育責任も感じていない母親が、あんなくだらない男たちを産み育てたのである。

 ●甘ったれの「だめ男の殺人」である。●

 自分のことしか考えられない男とは、つまり母親社会が産んだ自己中男の最も極端な姿である。その上、やくだたずのだめ男が、自分に失望しても、世の中は「自殺するな」と押しとどめる。まさか、こいつらが自ら命を絶つとは考えられないが、これからは、こう言おうではないか。

 ●「自分に失望したら、自殺しなさい」と叫ぼう●

 けっして他人の命を奪うなんて考えないで、自分の命を奪いなさい、と。
 そうでなければ、こんなくだらん男に殺されることの理不尽をどうやってなくすことができるというのか?

 ●これは「無差別テロ」ではない●

 このような殺人を「無差別テロ」と呼んではならない。

 なぜなら、「無差別テロ」は、その是非はともかくとして、目的を持った殺人行為であるからだ。政治的主張を、民族的主張を、あるいは宗教的主張を背景に、それらの「無差別テロ」は起こされている。それらのほとんどが「自爆テロ」である。その「自爆テロリスト」のなかには前途有為なはずの女子大生もいた。目的のために死を賭した人たちのテロ。その心情や無残である。その思いやせつなすぎる。

 ●憂さ晴らし殺人はぜったいに許せない●

 「自爆テロ」は、明らかに、まったくの自己の鬱憤晴らしのような「甘ったれのだめ男の無差別殺人」とはわけが違う。

 どうして、こんな「だめ男」たちに、前途有為な優秀な女たちや、家族を抱えて日々の恒産に励む男たちが殺されなければならないのか?

 そのような理不尽を、日本社会は許していていいのだろうか?

 ●「教育不良青年回収再生機構」の設立を●

 このような「だめ男」は、いわば「教育不良」の人間たちである。母親の自己中心主義を移植され、母親の欲望中心主義を受け継いで、自分のことしか考えられない甘ったれ人間に育てられてしまったからである。
 このような「教育不良人間」たちは、全員国家設営の所定の施設に収容して、そこで徹底的な再教育が必要である。戦前なら、「軍隊に入れろ」ということになるが、日本には、建前として「疑似軍隊」はあるが、「真正軍隊」はないということになっているから、「疑似軍隊に入れろ」はない。それに、この平和な時代の「教育不良青年」の再教育にやはり軍隊はなかろう。 

 どだい、不祥事相次ぐ今の「疑似軍隊」つまり、日本国自衛隊では再教育のできようもあるまいし。

 そこで、新たな青年再教育機関の設置である。それが、ここに言う「不良教育青年回収再生機構」である。

 ●お手本はアメリカのCCCである●

 見本は、戦前に、アメリカ合衆国のニュー・ディール政策の一環として設立された、「CCC]である。これは、Civilian Conservation Corps (シビリアン・コンサベーション・コーズ)の略称である。日本語には「市民保全部隊」と訳されることが多い言葉だが、わずかに9年間ほど戦争前の米国に存在して、本国でももうすっかり忘れ去られた歴史上の存在である。

 けれども、世界不況のなかで就任したフランクリン・ローズヴェルト大統領が行った「ニュー・ディール政策」のなかでも、とくに高く評価されるもののひとつである。現在に至るアメリカ合衆国森林政策は、このときのCCCの活動を基盤にしているからである。

 ●CCCの設立と概要●

 アメリカ合衆国における「市民保全部隊」(CCC)は、1933年3月に設立され、直ちに活動を開始した。それは、18歳から25歳までの失業中の男性を、主に連邦国立公園局及び森林局管理下の自然公園や国有林などに派遣しようというもくろみであった。合衆国内各地にキャンプを設営して、そこで国土保全活動のための隊員として雇用しつつ、再教育しようというものであった。このような実質から、日本では「国土保全部隊」と訳されることもある。

 CCC設立後半年にもならない、1933年8月には、CCC配下の労働者は30万人に膨らみ、合衆国国有林ではたらく若者はその40%を数えたという。1933年初めの合衆国失業者数は1300万人であったから、その数パーセントがわずか半年で吸収されたことになる。

 実際には、CCCの活動は10年を待たずに、1942年に終了する。それはヨーロッパでの世界大戦にも合衆国が参戦することになったことを受けて、CCC予算が打ち切られたからである。また、1941年には太平洋戦争が開戦しており、それまでCCCによって吸収されていた若者のほとんどが、兵役へとシフトされることになったからである(軍隊のほうが給与水準が高いのは「死」を賭している以上当然であるが、やはり愛国の大義とともに給与のいいほうに惹かれるようである)。

 ●CCC活動の実際と効果●

 しかし、この10年近いCCC活動は見るべきものがあったようである。

 次に、『アメリカ国有林管理の史的展開』(大田伊久雄著、京都大学学術出版会2000年)及び『アメリカの国立公園』(神岡克己著、築地書館2002年)を参考にして、少し拾ってみることにしよう。

 ◆一つは合衆国の森林再生の基盤ができあがったこと。

 植林、間伐などの営林活動だけでなく、林道建設、ダム建設、リクリエーション施設建設のほか、野生生物保護や魚の孵卵場の整備なども行われ、国家による自然保護の基本も形成されたのである。森林がレジャーの対象として大きく注目されることにもなったのはこの活動の成果の一つでもある(それゆえの森林破壊も行われることとなり、功罪相半ばするとも言われる)。世界不況で崩壊寸前であった林業が辛うじて生き残ることができたのもこの活動の効果である(それもまた森林保全にとってマイナスにもなった指摘される)。

 ◆もう一つは青年男子の再教育の成功であった

 失業と未来への希望のなさは、青年男子のモラルの低下をも招いていたから、きびしいキャンプによって律されたCCC活動は、彼らを鍛え直すに余りある効果を発揮した。

 CCCキャンプでは、日々の業務を終えた後、基礎教育訓練や、職業訓練が施され、優秀な者には大学の専門課程に相当する高度な教育も施された。

 『アメリカ国有林管理の史的展開』によると、CCC開始から最初の4年間で、「読み書きのできなかった3万5千人が識字クラスを受け、1000人以上がキャンプにおいて高校卒業の資格を、39人が大学卒業資格を取った」とある(P186)。CCCが若者にとって魅力ある雇用先であったことの一因である。

 ●CCCの活動の終焉●

 CCC活動の9年間の間に、およそ300万人の青年男子が雇用され、教育を受けたと言われている(250万人から350万人ともいう)。CCC経験者からは、林業従事者や森林学研究者が多数輩出したこともあって、その後の合衆国の森林保全、自然環境保全のための素地をつくったという功績も挙げられる。

 けれども「軍隊」(Corps)と名づけられただけあって、そのキャンプ生活は非常にきびしいものがあったようである。ある年の統計によると、CCCを辞めた者の2割が「キャンプ脱走者」だったという。この数値には、キャンプ生活のきびしさに堪えられない者がかなりの程度出たということがよく表れている。CCCが、一名「木の軍隊The Tree Army」とも「ローズヴェルトの森林軍Roosevelt's Forest Army」とも呼ばれたということにも(前掲書P176注11)、やはり「軍隊」のイメージが強かったことがうかがわれる。

 ●さて、日本ではどうするか?●

 まず、高校中退者のリストアップと、条件設定である。

 高校中退者で、定常的な勤めを持たず、社会的な活動にほとんど参加しないなど、一定の基準に達しない者は、すべて「青年回収再生機構」に登録される。当然、「ニート」、「引きこもり」は全員回収されるはずである。「フリーター」などの非正規雇用者の多くもまた回収対象となるであろう。

 ◆対象者の年齢幅は広くなる。

 対象は15歳以上、35歳以下と範囲を広げる必要がある。30過ぎた男が「親を困らせたかった」などという児童か少年のような精神でいる以上、母親の甘ったれ自己中心主義が奥深くその人間性をむしばんでいるからである。

 ◆社会に有効な活動グループを編制する。

 リストアップした彼らを、いくつかの社会的に意義のある活動セクションに振り分ける。

 たとえばこうである。

 森林保全隊=植林、間伐、下草刈りなど森林保護活動
 集落営繕隊=過疎地集落にキャンプし、集落を支える活動
 営農救援隊=水田・畑における有機栽培の支援活動
 環境保全隊=主に都市の市街地環境の改善活動
 自然公園保全隊=国立・国定公園、および地方の自然公園の自然保護活動。有害外来種の駆除活動
 災害復旧隊=災害を受けた地域の復旧及び復興活動

 などなどである。

 ◆規律正しい生活と再教育を施す。

 キャンプとは言うが、全寮制ないし、グループホーム制で、指導者の監督・指導下、消防学校や警察学校などに準じた規律正しい生活を行わせ、なおかつ、職業訓練、高校卒業資格取得などのためのサービスを与える。優秀な者には、所定の大学への入学推薦を行い、また奨学金支給の便宜を与える。
 給与は基本支給額を最低賃金と同額とするが、寮費・食費・作業着・訓練費用・教育受講費用などは無償支給とする。スキルの取得及び向上に伴って、給与水準は給与表に基づき段階的に引き上げられる。

 この一方で、親の教育責任を明確にし、子供犯罪に対しては親も罪に問われるシステムを導入する。つまり「連座制」である。

 ●犯罪に「親子連座制」を適用する●

 子供が犯罪を犯したときは、その子が40歳未満の独身者ならば、その子の年齢に応じて、その両親は、民事責任だけでなく、連座してその刑事責任を問われる。子供の受ける刑罰の何割かに相当する刑に処せられるが、その割合は66%以下、10%以上であり、子供の年齢と情状とによって決定される。
 ただし、子供が未成年である場合には、この責任割合は重くなるが、その割合は80%程度までとする。なぜなら、学校における教育・指導、地域社会による教育の責任も勘案すべきだから、最大でも100%にすることはできないであろう。

 一方、妻帯者ならば、妻にも連帯して刑事責任が生ずる。その割合は両親の場合より小さく、5%以上33%以下で、親と同様に当該犯罪者の年齢及び情状によって量刑が決定される。法律的には、夫婦は一体の者として扱われる場合があるのであるから、刑罰も同様であるが、当該犯罪者の個人責任留分は親子の場合より大きいことを勘案して、最大で3分の1程度とするのである。親には子供の教育、人間的育成に大きな責任があるのであるが、妻にはそのような責任はほとんどないからである。

 ●「不良教育青年回収機構」の強制力●

 「青年回収再生機構」に参加しない男性については、親子連座制をきびしく適用する必要がある。このような男性が犯罪を犯した場合には、罪一等が上乗せされることにするとよい。
 また、一方、「青年回収再生機構」に参加し、一年以上のきびしい再生教育が行われて後、当該人によって犯罪が犯される場合には、親の連座制は一定限度まで適用を免れることとしてもよい。あるいはそこにこそ情状をはたらかせて、罰金刑(再生教育にかかった費用を弁済させる)のみとしてもよいのではないか。

 以上、「だめ男回収再生機構」いや、「不良教育青年回収再生機構」の大まかな見取り図である。? 


格差と革命

2007-03-20 20:26:44 | 社会・経済

●格差とダブル・スタンダード●

 格差の広がりと固定化が進んでいる。けれども、政財界ともそのような格差の固定化に対して、真剣には取り組もうとしていないようである。それは、スタンダードの二重化に象徴的にあるいは集約的に現れていると見ていいだろう。
 スタンダードの二重化、つまりダブルスタンダードの固定化である。たとえば、雇傭におけるダブルスタンダードの固定化を担っている派遣社員ないし契約社員の制度を見ればよい。正規労働者は賃金、労働条件も一定のレベルを維持している。組合として団体交渉にも応じている。
 けれども、契約社員は非正規雇傭社員としての基準を課して、正規労働者の賃金の半分程度の状態に押さえ込んでいる。ボーナスもない。厚生施設の利用の権利もない。企業経営者にとって、経営のスリム化、景気即応型の経営のために、これほど有利なことはあるまい。こうして、非正規の若い労働者は「使い捨て」標準が適用されて、人間として扱われない状況が鋭く現出することとなった。

 そして、経営者はこのような正規労働者と非正規労働者とのダブルスタンダードを固定化しようとしている。そのための重宝な道具立てが「派遣会社」である。「派遣会社」は社会のダブルスタンダードを固定化するための有力な装置であったというわけである。この装置は、つまり現場で労働者を管理・使役する企業と、雇用者とを分離することで、労働者の労働交渉権を奪うことに最大の効果を発揮している。労働者は「派遣会社」と鋭く交渉するほかないのである。現行法のもとでは、実際の自分たちの労働を管理・使役する企業とは直接交渉する立場にはない。そのような権利が保障されていない。ここにも小泉改革による「自由化」のもたらした悪がある。

●格差の固定化こそは、革命の絶好の要件である●

 けれども、そのような状況に対してまったく理解を示そうとしない、政府、官僚、そして経済界がこのままいっそう労働の格差の固定化を進めていこうとするのであれば、そこには激しい衝突が予測されるであろう。ダブルスタンダードの固定化とは、つまり階層社会の固定化を意味するのであるから、より底辺にある階層は、より上位にある階層と自己を同一化しようと激しくもがき、抗うであろう。それこそが、革命の要件である。
 この日本にも革命のための社会条件が徐々に整いつつあると言うことではないか。
 けれども世の革命政党よ。喜ぶのは早い。なぜなら、現在の革命政党には、このダブルスタンダードをシングルスタンダードに、つまり社会の公平化、平等化を進めるための哲学がない。何よりも方法論をもたない。
 共産党も、社民党も、婦人労働の格差さえ、看過してきたのである(全く意識的に看過したということではないが、結果として)。婦人労働の格差是正さえもほとんど意味あるものとして社会に打ち立てることができなかった、革命政党に、若い労働者の抑圧状況に応える力がないと見るほかない。

 新しい革命政党を日本に!と叫びたくなるのは、ぼく一人だけであろうか?

Just MyShop(ジャストシステム)

ドラフト制度とお金

2007-03-14 17:04:22 | 社会・経済
Just MyShop(ジャストシステム)

◆プロ野球ドラフト制度に金がからむのは当たり前◆

 西武球団がアマチュアの二選手にお金を出していてことで、大きな騒ぎになっているようだ。ドラフト制度を改めよう、というのだろうが、西武球団が裏金を出していたことは、そんなに悪いことなのだろうか?
 本来、プロ野球ドラフト制度は、選手の能力を売買することではないか。
 人間の能力の売買権を十二球団でくじ引きして、契約金や年俸の高騰を回避しようというのが、あのドラフト制度の主眼であったのだろうから、いくらでも金をかけられる球団が選手の将来を値踏みして裏金を出すことに、それほどの問題はないのである。


 ●プロ野球ドラフト制度は奴隷制度の名残であろう●

 今度の事件で、「完全ウェーバー制度」導入を叫ぶ人が少なくないが、それこそが選手の意向を無視した、奴隷制的入札制度ではないか。
 選手が人間である以上、その選手自身には入団する球団を選ぶ権利があるはずである。それを選手から奪ってしまうことになる「ウェーバー制度」は反人権的制度にほかならない。いわば奴隷制度の名残である。
 選手が球団と契約するについても、球団の意向が大きく働くのは、たとえばオリックス球団に在籍していた中村紀洋選手のことを思えばわかるであろう。大リーグとは選手の人権意識がまるで違うのである。プロ野球協約に違背しても、年俸を大幅ダウンさせる権力が球団側にあるということを中村紀洋選手のケースははっきりと示している。

  大リーグの「ポスティングシステム」で、何人もの日本のプロ野球選手がアメリカ大リーグに渡っていったが、どうして日本のプロ野球もマスコミもカタカナ書きのままにして、日本語に訳そうとしないのであろうか? 
 それは、日本語に訳すと、あまりにもあざとい言葉になり、「ポスティングシステム」のもつ権的な面が露わになるからであろう。奴隷制度的な面が一般の日本人にも大きく意識されてしまうからであろう。

 「ポスティングシステム」とは日本語で言うところの「入札制度」である。つまり、当該選手保有球団に、いくら支払って、選手の買い付け権を手に入れるか、という制度である。選手を買う、ための入札制度であるから、そこには選手の意志などみじんも認められていない。選手が大リーグメジャーのどの球団に行きたいかという意向はまったく反映される余地がない。それでもなお、つまり、大リーグのどの球団でもいいから大リーグで蟻さえすればいい、というのは、日本のプロ野球選手の大リーグコンプレックスの裏返しであるから、彼らに大リーグコンプレックスがある限りは、「ポスティングシステム」に抵抗を感じる日本の選手は一人も出ては来るまい。

●球団が選手を金銭で囲い込んで何が悪い?●

 球団と選手とがもともと自由に契約することのできないプロ野球ドラフト制度。高校生には希望球団を指定することすら許されていない。この権的な制度のもとでは、高校生が自分の能力を、自分の望む球団で早くお金に換えたいという意志はまったく踏みにじられている。とすれば、ある球団がそのような選手の事情をくんでお金を出すことがあっても、現行の制度下ではかえって称賛されるべきことではないか?
 西武球団は本来は開き直るべきである。
 彼が西武に入りたいと願っていた。けれども高校生の段階では球団を選ぶ権利は許されていない。高校生の希望に添って入団できる資格を得られるまで、裏金を出して選手の家庭の事情に応えてきたのである。そのどこが、その何が悪い?

 もともと、選手の能力を金で評価し、金で買う、という制度そのものが、ゆがんだ制度なのである。そのゆがみを是正するのは、高校生にも希望球団を指定する権利を付与すべきである。その上で、選手の人権を保護する制度を手厚く構成すべきであろう。
 裏金一つとって、大騒ぎすることの方に本当は問題がある。
 教育上の観点から、あるいはまだ大人として扱うことのできない高校生に希望球団選択権が認められないというのであれば、野球奨学生制度をつくって、希望球団選択権を得られるまで、日本プロ野球組織がその選手の金銭事情に配慮してやればいいのである。 
 西武一球団がこっそりやっていたことを非難するのであれば、プロ野球全体で堂々と高校生を金で囲い込み、プールすればいいのである。プロ野球とはそのような反人権的なスポーツである。
 もともとお金まみれのスポーツである。そのお金をもっとオープンにすればいいだけのことである。そのとき、選手の人権に十分にいや、十分すぎるほどに配慮する。
 これが、現代プロスポーツの宿命である。
 プロ野球などのプロスポーツは、いわばローマ時代のコロッセウムの再現である。そこには死を賭するような凄惨なあるいは残虐な「スポーツ」はないが、闘技場で演じられるゲームをローマ市民の権利を持った観衆が楽しむ、という構図は同じである。

 である以上、十分に配慮されるべきは、個々の選手の人権の手厚い保護である。
 労働協約の対等性の維持である。
 とすれば、なすべきことの何かは、おのずからわかろう。

 
ただし、どのような手段を講じても、このようなプロスポーツがかつての奴隷制度の名残であることには変わりがない。ぼくは、だからプロスポーツ全体を認めないのである。ここに書いたことはだから、かなり妥協的なものである。
 スポーツが得るべき本当の報酬は、その栄誉、その栄冠のみであるから。