フランシスコの花束

 詩・韻文(短歌、俳句)

テロ対策特別措置法とテロ、戦争

2007-10-18 21:23:24 | エセー・評論・クリティーク
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●「新テロ対策特別措置法」とテロと戦争●

 現行の「テロ対策措置法」に変わって、新しい「テロ対策措置法」がつくられるらしい。衆院でごり押し可決をして、参院で肘鉄食らってすごすご否決されて戻ってきたのを、衆院はどうするのでしょうね? ごり押し、ごり押しで、どすこい、どすこいと、再可決するんでしょうか? 何せ、衆院は3分の2を超える絶対多数ですからね。
 それから、参院で福田首相の問責決議・・・・・・、とうとう年内に解散? かしらね?
 あぁあ、予算の議決もできずに、福田さんバイバイ、バイバイキィン、なのかしらね?

 ◆現行(旧)「テロ対策特措法」の問題点◆

 そこで、現行の「テロ対策特措法」の条文をもう一度読み直してみた。
 そのとき改めて思ったんだが、この法律、こんな長たらしい名称だったんだね。うぅん、政府もあたふたと法律をつくったんだ。

平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法

 その名称には、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国で発生した」とあり、あのニューヨークの「同時多発テロ」事件がはっきりと示されている。しかも、その法律の施行日は「平成十三年十一月二日」とある。法律の国会での成立はほんの少し前の十月二十九日であった。つまり、あの衝撃の「同時多発テロ」からわずかに2ヶ月にも満たない短期間で、この法律が制定され、あわてて施行されたという事実に思い至るのである。
 この事実は、政府の衝撃がどれほど大きかったかを如実に物語るが、それは日本国民でも同じであった。国民が、その受けた衝撃から落ち着きを取り戻し、沈着・冷静な世論を形成する前に、あれよあれよという間に、これほど重大な法律が国会で議決されてしまったのである。かつて湾岸戦争時、かなりの大金を軍事費として拠出したのに、国際的になんらの評価もされなかった苦い経験を背景にして、国民の反対が生ずる前の、どさくさ紛れの法律制定と施行であった。

 ここに「国連決議」として準拠すると明言しているのは、「国連安保理決議1368号」であるが、そこには軍事行使について明言されているわけではない。そこにあるのは、次のような警告文である。

 2001年9月11日のテロ攻撃に対応するため、またあらゆる形態のテロリズムと闘うため、国連憲章の下での同理事会の責任に従い、あらゆる必要な手順をとる用意があることを表明する。

 つまり、「あらゆる必要な手順をとる用意がある」のであって、この「国連決議1368号」に違背したからといって、それがただちに軍事行動に結びつくことは宣言されていないのである。現在のISAF(国際治安支援部隊)の活動は、有志国とアフガニスタン暫定政府との契約に基づいて、支援活動に入ったものである。
 あくまでも「支援活動」であって、いわゆる軍事行動ではなかったが、結局それが、「国連決議1386号」にある軍事行動開始のための「手順」として容認されたのであった。事実が先行するという、なし崩し的な軍事行動開始の手順であった。

 アメリカ合衆国などの多国籍軍のアフガニスタンでの軍事行動については、もともと国連決議に直接基づくものではないのである。そのアフガニスタンの軍事行動支援活動を規定しているのが、現行の「テロ対策特別措置法」である。そこには、直接の軍事行動以外の活動、いわゆる兵站活動のほぼ全体にわたってカバーされている。

 それは、第三条および別表1,2に記されている。その項目は、別表1が「補給」、「輸送」、「修理及び整備」、「医療」、「通信」、「空港及び港湾業務」、「基地業務」となっており、別表2は「補給」、「輸送」、「修理及び整備」、「医療」、「通信」、「宿泊」、「消毒」で、別表1は「協力支援活動」としてのもの、別表2は「被災民救援活動」にかかわるものと思われる。別表1,2のどちらにも備考として、「武器・弾薬の提供、輸送業務は含まない」こと、「戦闘行動のために発進準備中の航空機に対する給油と整備は提供しない」ことが明記されている。

 このような備考があるからといって、油断はできない。なぜなら「戦闘行動のための発進準備中の航空機」だけは給油、整備しないが、たとえば、イラクやアフガニスタンにとりあえず赴く予定の航空機にはいくら給油し、整備しても問題がない。現地に到着してから直ちに戦闘行動に移っても、「我関せず焉」というわけである。

 こんなどさくさまぎれにつくられた危なっかしい法律が、せいて以来6年も効力を発してきたこと自体が驚異である。いかに、自民党の絶対多数に基づく強権政治がつづいてきたか、というのこの証左である。国連決議に準拠しない法律を、よくもまぁ、国連決議に基づくと、強弁してきたものだ。

 ◆新「テロ対策特別措置法」は認められるか?◆

 まず、テロ対策、の概念を規定すべきである。
 そのためには、「テロ」とは何を指すか。国民的合意に基づく「テロ」の定義がなされなければならない。
 その上で、「テロ対策」として取り得る対策を列挙し、選別すべきである。
 費用対効果、対症療法的か、抜本療法的か。
 どのようにすることが、「テロ」の根治を期待できるか。
 「テロ」根治までにどれほどの期間を要するか。
 対症療法的対策は、できうるかぎり最小限にとどめるべきであろう。武力の行使もである。武力で弾圧することが逆効果にしかならないことは、歴史がすべてのケースで教えているところである。
 力と富とを有するものは、必ずその力に頼るというのがこれまでの歴史であった。そして、力をもって抑え込み、力をもって排除し、その結果、富める者にはますます富が集中してきた。それが人間のこれまでの歴史であった。
 そのような過去の過ちをまたぞろくり返しているのが、現在の欧米先進国を機軸とする国際的テロ対策活動である。「テロ対策」とは武力による弾圧である、と呼ばわっているが、そのような武力弾圧が政治的にも、社会的にも成功したためしは一つもない。かえって、武力は人権を強奪し、排除して、ますます人権迫害を強めるばかりであった。

 わが日本は、アフガニスタンの平和的復興、民生再興にこそ、手を尽くすべきである。荒れ果てた耕地。葡萄酒をとるために栽培されていたぶどう畑には、葡萄の木の一本も残されていない。小麦の栽培もほとんど行われなくなった広大な土地。それらを復興することが、日本の役目ではないか。平和憲法をいただき、憲法に盛り込まれた不戦の誓いをもって、アフガニスタンに当たること、それこそが日本の使命である。
 アメリカ合衆国に追随して、軍事活動に手を貸すことは、日本として決してあってはならないことである。アメリカ合衆国の復讐に手を貸し、血塗られた艦艇に給油し、給水することが日本の国際貢献ではない。それはアフガニスタン、あるいはイラクでの国際的な無差別殺戮に手を貸すだけでしかない。
 アフガニスタンの再興のために日本人が死を賭して協力することこそが、世界に対する日本のリーダーシップではないか。平和のために、平和的な活動によって、アフガニスタンの人々の、平和的社会の再興と繁栄のためにこそ、死にもたえ、死をも乗り越えること、それが日本のテロとの戦いではないのだろうか? それが日本の不戦の、平和の信念でなければならないのではなかろうか? 日本の平和の信念が、今、試されているのである。

 今一度確認しておこう。
 現行のアフガニスタンの復興支援活動は国連の期待するところであるが、アフガニスタンの「不朽の自由作戦」(Operation Enduring Freedom=OEF)は、国連決議によって支持されていない。まずそのことが問題である。そこにおける戦闘行動に関与する艦艇への給油・給水活動は、日本の憲法の条文からして、違反である。

 民主党の小沢党首が、現在アフガニスタンで展開中のNATO主導の国際治安維持支援部隊(International Security Assistance Force=ISAF)への参加を示唆したというが、もってのほかである。これこそ、全くの軍事活動である。その目的に反して、実際に行われているのは、アフガニスタンの民衆弾圧活動である。そのような部隊に日本の自衛隊を参加させようとは、無茶苦茶な話である。それなら、まだ福田政権のほうがましである。それが公式には間接的に国連決議1386号に基づくとしても、それは集団的な海外軍事活動(集団安全保障)であって、日本の憲法の容認するところではない。
 さらにまたその問題点の一つは、有志諸国から派遣されたISAF軍に対する承認が、国連安保理の事後承認であるという点で、国連の正規のPKO軍ではないという点である。PKO軍として派遣されたものではないことが、このISAF軍の性格のあいまいさを生んでいる。ISAF軍の作戦行動が、どこか本来の平和維持活動になり得ないのは、そのようなところに起因しているであろう。
 OEF(不朽の自由作戦)ですら、憲法の規定するところに違背しているのである。ISAFがさらにそれを上回って、違反することになるのは、論をまたない。

 アフガニスタン復興機構を設立して、日本は官民を挙げて全面的にアフガニスタンの社会再建に協力するための法律を作成すること。アフガニスタンの復興に命がけで取り組むことこそが、平和をうたう日本の、不戦日本の最もなすべきことではないだろうか?
 平和のためにこそ、平和的に死を賭すことが、求められるのである。

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NHK『小さな旅』の山岳破壊

2007-10-14 20:07:07 | 自然保護と地球
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●NHK『小さな旅』の「夏山特集」は自然破壊活動●

 『小さな旅』の夏の山旅特集で、村上由利子というアナウンサーが、南アルプス塩見岳を紹介していた。このとき、彼女は、両手にスティックをもって、山道を勢いよくつきながら登り下りしていた。

 
◆村上由利子アナウンサーのダブル・スティックは山岳破壊活動◆

 若いアナウンサーである。
 当然、スティックなしで登るのは、こうしたリポーター役の義務である。
 だれもが、山登りにスティックをもって、登山道にたくさんの穴を開けながら登るのは悪いことだとは思わなくなるからである。
 一本のスティックでさえ、もたずに登ることが原則である。それにことかいて、この村上由利子アナウンサーは、両手にそれぞれスティックを握って、スキー宜しくダブるスティックで、山道を破壊しながら登り、また下っていた。

 スティックを使うことを、全面的に否定しているのではない。
 たとえば、足腰に故障がちの人がどうしても登りたいというのであれば、できれば1本スティックで、それでもきびしいのなら2本スティックをもって登ることは許容される。けれどもそこらのおばちゃん連中までが、当たり前のように、スティックをついて、登山道に穴を開けながら登る。そのスティックをつく場所も、何考えもないために、無造作に高山植物の根に突き刺さることも非常に多い。
 つまり、自分さえなるべく楽に、山を楽しめれば、登山道が破壊されようと、高山植物の根がやられて枯れてしまおうと、まるで無関心なのである。

 登山道がスティックによって以下に壊されているか、丹沢の登山道崩壊の研究者などがつとに警鐘を鳴らしている。もう十年以上前から、スティックのもつ自然破壊性が大きな問題となっているのである。

 にもかかわらず、日本自然保護協会も、自分の物品販売サイトで、平気でスティックを売っている。抗議したのにもかかわらず、今でも売っているのである。
 山を登ることは、だれの権利でもある。
 けれども、十分に気をつけて登っても、人が山を登り、下るということ自体が、すでに山の破壊行為に連なっている。
 どうせ、どうやっても破壊行為だ、と開き直って、スティックでいっそう破壊のスピードを速めることに手を貸すのか?

 登山道に穴を開けることは、登山道の土壌の軟化を進め、その穴の周囲から雨水などによって、土壌流出がはじまるのである。スティック登山の原則禁止さえも要請しなければならない状況であるのに、いまだそこにあるのは登山の快楽だけである。登山が山の破壊活動であり、植物の絶滅に手を貸す行為であることを、しっかりと認識してもらいたい。

 
◆登山の番組では、山岳の自然を大切にできる人間であることが必須◆

 NHKは、山につていの正しい認識も知識もなく、適切な指導も受けず、たいした経験もない村上由利子などという最悪の登山者を、塩見岳ほか、いくつもの山に行かせて、「山岳破壊活動」に従事させているのである。
 NHKよ、村上由利子よ、自分があけた無数のダブル・スティックの穴を元に戻してきてもらいたい。そこから、登山道が破壊されたときには、NHKよ、登山道と山の自然を責任を持って再生・復活させてもらいたい。

 村上由利子がダブルスティックで登ったことを多数の視聴者に見せたことによって、だれもがダブル・スティックで登るようになるはずである。その責任はどう取るつもりなのか?
 男性アナウンサーの国井雅比古はスティックなしで登っているではないか。
 NHKの登山番組は、つねにその登山行動が模倣されるものである。
 日本の山岳のあちこちで、ダブル・スティックによっていっそうの山岳破壊が進むとすれば村上由利子、あなたの責任は重大である。 
 即刻その責任をまとすべく、謝罪しかつ、あなたの歩いた山道のすべてのスティックの穴を補修すべし。スティックの穴によって崩れた山道、枯れた植物を直ちに再生・保全・恢復すべし。

 
そして、今後、山の自然を本当に大切にすることのできない人間を、NHKよ、登山番組に使うな!


「父」「母」の原像の不在

2007-10-13 15:36:01 | エセー・評論・クリティーク

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●われわれ日本人には「父」も「母」もいない●

 父親殺しが相次いだ。母親殺しも跡を絶たない。十代の子供たちがなぜこうも簡単に親殺しに走るのか? 「父」が嫌われ、疎まれるのはなぜか? 「母」が憎まれるのはなぜか?

 われわれ日本人にはすでに、「原像」としての「父」も「母」もないからではないか。
 すでに、そのような「父」「母」の「原像を喪って久しい。
 「原像」と言ってわかりにくければ「モデル」あるいは「範型」である。見倣うべき「父」、「母」のイメージがどこにもないからではないかと、思われるのである。
 あるいは日本人のだれもがそのような「原像」の必要性をまったく認識していないのかも知れない。

 ◆欧米における「父」と「母」の原像ないし、イメージ◆

 最初に簡単に、日本がその多くの理念や思想を輸入してきた欧米の事情を見ておこう。

 欧米における「父」の原像はキリスト教の神である。「父なる神」という固定した言辞がそれを裏付ける。キリスト教の祈祷の中心をなす「主祷文」または「主の祈り」は、「天にましますわれらの父よ」(カトリック旧公教祈祷文=文語体=現行の口語体では「天におられるわたしたちの父よ」)ではじまる。
 天において世界の良心を統べなう神は、「父」という属性を付与されて、人間の上に君臨してきたのである。その「父なる神」の本質は「愛と正義」である。キリスト教がユダヤ教の流れを汲むだけあって、ユダヤ教の神のイメージ「怒れる神」=「正義の神」という側面が強調される。
 その傾向は、ルターの宗教改革でイエスの母マリアの地位が下がったことでいっそう、強くなった。プロテスタントには、「母」の原像はないのである。イエスの母マリアは、ヨーロッパの「母」の原像として、カトリックの強い地域の人々の心に植えつけられている。たとえばフランス南部へ行けば、道々の至る所にマリア像が置かれている。日本の田舎にお地蔵様を見るがごとくである。

「ルターはたしかに西欧の男性に数多くの新しい役割をあたえたが、女性に対してはたった一つの役割をつけ加えたにとどまる。それは『牧師の細君』という役割だ。ルターの宗教改革がつくり出した理想の女性像は、もし『牧師の細君』になれなければ牧師そのものになりたいと願うような女にすぎない」(江藤淳『成熟と喪失』講談社文芸文庫P164)

 これは、江藤自身の言葉というのではなく、江藤が引いたエリック・エリクソンの『若きルター』のなかの言葉であるという。プロテスタント女性たちがどこかやせ細っていて、心に余裕なく見えるのは、そのぎすぎすした欲求のせいであろうか? 「母」の地位を追われた女性たちの有様である。

 カトリック教徒の心には老若男女だれにも今も、「母」の原像は深く刻まれている。「聖母」が原像であるからには、カトリック教徒の母はよほどの胆力が求められる。自分の子がその使命のためとはいえ、公然罪なき罪を負わされて十字架につけられてもなお、気丈にその十字架のもとにたたずんでいたのである。よほど子を信じる母でなければできないことである。その胸はイエスとともに槍に突き刺されたであろうが、それでもなお、息子の死を凝視した母である。
 このような母をもった子らは幸いである。
 この母は、つねに子を信じ、子の側に立ち、子とともにこの世の善きことのために苦痛によく耐える母である。子はその母の苦しみを思いながらなお、自らの使命に命を賭して行く。母は子がこの世に善を行うために、なくてはならない保護者である。なくてはならない賛同者であり、同行者である。
 このような母こそ、子を世界のためにはたらく人間に育てるであろう。
 世のために生きる正しい子、平和のために生きる愛の子とするであろう。

 「父」の原像に戻れば、それは「正義の父」である。
 人類に正義を及ぼし、また人類に正義を求める者。それが「天の父」である。不正義に対しては怒りのいかづち、制裁の炎を下す厳罰の父である。それは、世界にとってプラスにもなり、マイナスにもなる。プロテスタントのごとく、「母」を排除した世界像にあっては、それはただひたすら厳罰の座標へと極端に触れるであろう。
 このことの結果がどうなるか、プロテスタントの国、アメリカ合衆国の行動を見ればそれはよくわかる。
 イラク戦争は、世界の正義の支配者、世界の義による支配者、アメリカ合衆国による制裁、あるいは征伐、あるいは処罰なのである。ブッシュがあれほどまでに「悪の枢軸国」と呼ばわり続けるのは、アメリカ合衆国が世界の正義の源泉であり、世界の平和の守護神であるという強烈な自意識にそのすべてが淵源する。

 アメリカ合衆国には、そのように一面的で傲慢な正義の父をたしなめる母は存在しない。「母」の原像のない国アメリカ合衆国の悲劇。その社会の惨憺たる荒廃は、若者たちによる度重なる銃の乱射事件に象徴される。

 日本には「父なる神」も「聖なる母」も存在しない◆

 アメリカ合衆国の心の荒廃。「父なる神」の原像を抱いていながら、あの有様である。惨憺たる心が、銃の乱射を生む。若い人たちに、「父なる神」による、正義の制裁、赦しのない憎悪が社会に差別を生む。ユダヤ教が抱え込んでいた「罪人排除」の思想が、生活の感情として彼らアメリカ人社会に破綻をもたらしているのである。

 ひるがえってわが日本の現状を見れば、その悲惨さは目に余る。
 「怒れる神」、「正義の神」、「父なる神」はこの日本にはない。同じように「母なるもの」、「母」の理想とされる「聖なる母」は存在しない。あるいは、かつて「慈母観音」というプロトなるものがあったにはあったが、それが日本人の心から去って久しい。

 その最大の要因は「父」の不在であろう。
 日本ではいつのころからか「父」が存在しなくなった。
 あるいはそれは、太平洋戦争において頂点に達した天皇制がはらんでいた「祭祀する天皇」の日本人に与えていた「父像」の壊滅のときからであるのかも知れない。天皇制は、西欧の「父なる神」にかわる日本の「父としての神」であったのかも知れない。
 だが、そのような国家神道の神学は誤りである。
 日本人は、かの明治維新以来、日本国家を導いた者たちによって日々強化されていった誤った「父の原像」を抱かされ、ついには地獄のごとき死地に追いやられた。日本人は「死ぬための父」はもったが、「生きるための父」をついにもつことがなかったのである。
 その「父」を捨てるのは当然である。
 だが、本当の「父」はついにもつことがなかった。
 「父」そのものが不要とされた。封建遺制の象徴とされた。家庭を束ねる「父」、正義と価値の源泉である「父」は、天皇制の父の廃棄と同時に、永遠のゴミ箱に完全に廃棄されたのである。

 これについては少し書かねばなるまい。
 日本の「父」概念は、じつは儒教によって提示され、江戸時代に確立されたと考えられる。江戸中期以降の封建制の中核はこの絶対権力者であり、かつ絶対の権威として置かれた「父」を中心とする「家」観念にあった。「家制度」の中心に「父」があったのである。「父」は絶対の存在であったが、その「父」を規定するものが儒教が教えるところの「君子」であり、「君子」の律としての「仁」と「義」と「礼」と「智」であった。
 その「父」なる「君子」に仕える者らに要求されたのが、「忠」であり「孝」であり「悌」である。その君子と臣下の関係はまた一に「信」によらねばならなかった。
 この儒教の教えにおいて、日本は「父なる者」の原像を「君子」においた。封建諸侯のあるべき姿はまた、各家における家父長のあるべき姿でもあった。それは理念として存在したが、では、「母」の原像は理念として存在していたか、というと、それは否定するほかない。
 「母」は自然の母性に従うものとされ、きわめて動物的な愛撫と養育とが求められたのである。だから「母」にはまったく倫理は要求されない。「女」としては男の下にあって、「男」なるものにかしずく存在であったが、「母」としては、いわば超法規の存在であったと言えるであろう。「母」の「母性」ゆえに、その「母」としての自然の性情ゆえに、社会は、その「母」の行為を判定した。「母」の不行跡は、子を見殺しにすることであり、子に代わって自らの命を差し出すことを拒むことであった。子に代わって子の罪をかぶることが、「母」の心情として当然のものとされた。母はこう叫ぶのである。
 「この子の代わりに、わたしを地獄に落としてください。この子の罪の罰を母であるわたしに与えてください」と。
 このような「母」の「母性」を色濃くあらわしているのが、地蔵菩薩信仰である。それは理念化された自然の母性である。理念化されるとともに、それは「母性」の影を見事にかき消してしまったが、そこに主張される信念は、「母性」そのものであった。
 つまり、こうである。
 日本における「地蔵菩薩」の「大願」とは、一年のうちの一定期間だけであるが、地蔵菩薩自身が衆生の落ちた地獄に降りたって、そこに苦悩する罪人たちを慰め、救い出そうという願いであった、と言われる。

 封建制下の日本の母に求められたのは子への滅私奉公であった。
 子のためにいっさいを放棄し、子のために一切の自己を捧げ尽くすことが母のありようであった。母というものの存在の運命(さだめ)であった。

 ●「母性」の肉体的「情宜」だけが残った日本社会●

 太平洋戦争が終わって、日本のそれまでの「理念」系のいっさいが放棄された。「万世一系」の天皇制は神話に基づくものとして、歴史のかなたへと放逐された。その代わりに日本社会にもたらされたのは「人間天皇」であった。儒教的価値観に基づく「厳父」としての「天皇」像はゴミ箱に放り投げられて、後にはいわば国民のペットのような「象徴天皇」が残された。「めがねをかけた象徴天皇」はつまり、「お人好しの着ぐるみを着た」日本平和の象徴となった。あれほどいかめしく馬上の姿を「ご真影」として保持されていた天皇の肖像は「スタア」同然のブロマイドと化したかに見える。
 こうして、日本の封建的なシステムのなかでの「父」の原像はついえた。日本天皇制ファシズムの元凶としての「父」の像は、その一切合切が捨てられた。
 それとともに、我々日本人からすべての「父」の原像が、あるべき「父」のイメージが消えた。代わりに出てきたのは、民主主義と人権主義の体現者としての人間「父」、友達「父」である。権威も権力も喪失した「お人好しお父さん」である。強制権を喪った物わかりのよい「父親」である。子供に近づくには、友達のイメージでなければならなくなった「父」の残骸である。
 かくて戦後の子らは、友達のような「父親」は手に入れたが、本当の「父」は見なくなった。権威と仁と義と礼とをもって、子を諭す、子を導く「父」はいなくなった。

 封建主義のシステムを復活せよと言うのではない。
 明治以来の強権をもって君臨した「天皇」の復活を願うというのではない。けれども、それを廃棄したとき同時に捨て去ってしまった「父」の原像を、あるべき父の姿を、封建思想とはまったく異なった思想的根拠をもって我々日本人の前に、生み出さねばならない、と言いたいのである。

 一方、「母」の姿は、そのあるべき姿は、戦後もなお変わらず、「自然」のレベルで、「動物的」レベルでの「母性」としてのみとらえられてきた。「動物的母性」が、何の訓練もなく、何の理念も必要なくして、自然に子を産み、育て、子を守る「母」の本性を発露させるはずであるから、「母」の理念は不要であると、一貫して思われてきたのである。その「自然の母性」依存のそのままに、現代にまで連なってきているのである。
 その自然の「母性」に異変が起きている。
 「母」であることを拒む心性があちこちに、子殺しと、子棄てとを引き起こしている。子を生めば自然に「母性」が子を守り育てる存在へと導いてくれるのだという、自然の「母性」信仰は今や潰えている。人間がもはや、そのような自然の「母性」のリードに従うほどに、自然な存在ではなくなっていることの、それは証左である。人間は「自然」というものからあまりに隔離されてしまった。生まれ落ちたときから、目の回りにはどれほどの自然も残されていない。残されているとしても、それは否定されるべきものとして、強くその心に刻み込まれる。自らが自然の存在であることを否定して育った女性が、自らの生む「子」においてだけその自然の本能に導かれると考えるのは、あまりにも御都合主義である。

 つまり、こちらは、これまでの「自然の本性」が導く「母性」による子の養育について、根本的に考えを改めなければならないのである。今まで自然の力に依存しすぎてきたことを、反省し、もうこれ以上、「母性」という自然の性向に依存しない「母」の原像の、理想の「母」の国民的な形成を要求されていると考えねばならないのである。

 「母」とはどのようなものであるべきか?
 「母」がどのようなものか、ではない。そのような所与のものとしての「母」をいくらほじくっても、何も答えは出て来るまい。我々が今早急に必要としているのは「当為」としての、あるべき存在としての「母」の理念である。すべからく「母」というものは何をなすべき存在であるか? 「何」をもってそれを「母」のなすわざと呼びうるか?

 日本人の女性たちから「母性」が希薄になりつつある現在、いくらその女性たちの「母性」に訴え、その「母性」を励まし、なおかつ打ち据えてみても、生まれた子たちに「よき母」を贈ることはできまい。
 「よき人」を育てるには、「よき母」の理念がなければならないのである。そして、「よき人」とは何かという理念が。

 つまるところ、われわれの理想とする「よき人」の原像をどのように作り出し、どのように保持しうるか。
 そこにこそ、これからの日本の将来はかかっているであろう。
 そして、それは決して「よき愛国者」ではあるまい。
 「よき市民」ではあっても。

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曼珠沙華、毒を持った随伴者

2007-10-07 17:34:32 | 植物学・生態学
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●曼珠沙華、毒々しい色の陰には●

 曼珠沙華、またはヒガンバナ(こちらが正式名)。 この花はぼくは大 嫌いである。いや、大嫌いであった、というべきだろうか。今も嫌いであるが、ぼくにとってはいわば必要悪である。

Image63
曼珠沙華の群生:埼玉県の巾着田で。

 見てもらいたい。この毒々しい色。
 最悪の色であるのに、このいやらしいほどの毒々しさを「美しい」という御仁がおられるのには、最初驚いた。それから、あきらめた。あの関東有数の曼珠沙華自生地(というのは真っ赤な偽りで、「自生」しているのではない。人が植えたのである)、の花の盛りを見てから、いくらかあきらめた。
 一つ一つの花の毒々しさも、ここまで群生するとなれば、それはそれで「まぁ、しようがないか」と思わせる。それはこの群生に、ある種の頼もしさを感じるからである。

●救荒植物としての曼珠沙華●

 「頼もしさ」と言った。
 曼珠沙華はじつに頼もしい人類の味方だったからである。
 ふむ。「人類」は大げさにしても、原初の稲作社会にあっては、なくてはならぬ救荒植物だったからである。稲作は当初、かなりの不安定な栽培植物であったろう。それは天候に左右されやすく、神経質なほどに水を要求したり、嫌ったりするからである。生長時には大量に必要とする水も、いったん成熟期にはいると、湿気過多を嫌い始める。
 種子が胚を形成するまでにもいろいろと要求はうるさい。開花・結実のために、気温と日照を要求する。まず開花のためには気温27℃以上を要求する。この頃の低温は厳禁である。日照は受精した子房に栄養をせっせと送り続けるために、もっともっと、と要求する。だが、暑すぎても、乾燥してもだめである。そのくせ、大量の降雨は大嫌いである。
 こうして、ようやく結実し、胚乳も子葉も栄養をたっぷり蓄えた状態からは、嵐の一吹きも大雨の一降りもご容赦賜らねばならない。
 結実した実が細るからである。
 茎が倒れれば、採集に、つまり刈り入れに苦労することになる。

 乾燥による干ばつにも、低温による冷害にも、湿気による病害の蔓延にも、十分な耐性のない原始のイネでは、不作・凶作は短いサイクルで稲作民を襲ったであろう。
 その重なる不作、凶作を救ったのが、曼珠沙華であった。ヒガンバナであった。その最大の救いの凝縮は、「鱗茎(りんけい)」にあった。
 「鱗茎」とは、鱗(うろこ)のように上から一まいずつはがすことのできる地下葉(ちかよう)が根茎のまわりにびっしりとついているものをいう。「ゆり根」を連想してもらえばよい。「ゆり根」でわからなければ、タマネギのはがれる薄い葉状のものがもっと厚くなっている、というのを想像してもらえばよい。タマネギほどには大きくならないけれども。実はタマネギもまた「鱗茎」なのである。タマネギは何を隠そう、れっきとしたユリの仲間である(ユリ科ネギ属)。

 ただし、曼珠沙華の「鱗茎」には猛毒がある。動物にとって宿敵のようなあのアルカロイドが多量に含まれている。なんせ、このアルカロイド、動物に食われたくない一心で、植物が長い年月をかけて自家合成に成功した代物である。その苦心の猛毒も、人間の知恵があるときわずかに勝った。鱗茎をすり下ろして、清水で何回も何回もさらすのである。彼女の合成したアルカロイドは人間の都合のいいことに、まんまと水に溶けうる水溶性だったのである。
 さらした後天日に干すと白い粉ができる。これがデンプンの粉である。つまり、片栗粉のようなものである。これを団子にして汁に入れたり焼いたりして、次のイネの刈り取りのときまでをしのいだ。

●曼珠沙華のアルカロイドの力●

 その曼珠沙華の鱗茎に最も多量に含まれるアルカロイドは、「リコリン」と名づけられている。このリコリンには「多感作用」あるいは「アレロパシー(allelopathy)」という作用があり、他の植物を枯らしてしまったり、生長を阻害するなどして寄せ付けない働きがあることが、近年科学的に知られるようになった。
 いつの頃からか、日本の稲作農民はこの作用を経験的に知ったのであろう。江戸時代のころから、意識的に田のあぜに植えられてきたようである。
 実験圃場における積年の実験によれば、キク科やタデ科の植物には抑制作用の効果が絶大であるというが、イネ科には効き方がかなり弱いともいう。なるほどイネのそばに植えられるゆえんである。
 リコリンの作用は、これに限らず、抗菌作用、殺虫効果などのほか、ネズミよけとしても効果があるといわれている。稲作農民にとっては万能の保護者であったというわけである。
 
 イネが伝播したとされる揚子江沿いには、曼珠沙華の自生地があるということから、イネとともに、イネの保護者として、農民の非常食として、万能の役目を負わされて、日本に伝わってきたのであろう。

 また、この「リコリン」は「毒また薬なり」というとおり、かつては去痰剤やアメーバ赤痢などの服用薬(漢方で「石蒜」=せきさん=という)に用いられたという。しかしながら、嘔吐、腹痛などの副作用が強いために、近代に入ってから次第に使われなくなり、現在では、ときに皮膚病の外用薬としてのみ使われることがあるという。

 かく見てくると、あの色に対する我が好悪では計り知れぬ曼珠沙華の存在意義を認めぬわけにはいかないように思える。そして、いつか思わず知らず、別の感懐もわいて来るのである。
 あの毒々しさは、おのが毒をもって、稲作と稲作民とをともに守り切ってきた守護神の強烈な個性を表しているのであろう。だとすれば、わが好悪をもまた思い直さねばならぬのかも知れぬ。
 うぅん、それにしても毒々しい色じゃ!

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巾着田のヒガンバナ群生。写真を撮る人の多いこと。

●日本のヒガンバナは種子繁殖できない●

 ちなみに、ヒガンバナ科ヒガンバナ属。日本標準和名はもちろん「ヒガンバナ」である。人間にぴったりと寄り添って分布を拡大してきた植物の典型=「随伴植物」という=である証拠に、これほど地方名の多種多様な植物も見ない。ユウレイバナ、カブレバナ、ジゴクバナ、……。
学名は Lycoris radiata(リュコリスまたはリコリス ラディアータ)で、属名リュコリスは、ギリシア神話の海の女神に由来するという。種小名のラディアータは「放射状の」という意味で、その花弁、雄しべの様子から名づけられたもの。

 さらに付け加えると、日本に生えるヒガンバナは、そのどれもが種子をつけることがないとされる。それは、現在知られている限りでは、日本のヒガンバナのいずれもが、染色体数33個の「3倍体」であるためである。「3倍体」は種間交雑種によく見られるもので、同じ属にある別の種どうしが交配するとできるものである。
 ヒヨドリバナやヨツバヒヨドリなどのヒヨドリバナの仲間では、3倍体どうしがかけ合わさって、種を作ることがまれにあるという研究結果もあるので、今ここで断言することはできないが、そのようなまれなケースがこれまで一度も起こらなかったと仮定すると、日本のヒガンバナは、同じご先祖様のコピー、つまりクローンがその球根(鱗茎も球根の一種と呼ばれる)によって、日本各地に増殖したということになるだろうか。もし、唯一のご先祖様のご子孫たちが日本中にあふれているのだとしたら、うぅむ、ますますその毒々しさのよってきたるところを思わずにいられない。強い、強い、しぶとすぎるほど強い植物なのである。

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シロバナヒガンバナ:ヒガンバナの白品種。巾着田で。

<注>染色体数は、ふつうは1対または偶数対である。これは受精卵が減数分裂によって、雌雄の遺伝子をそれぞれ1組ずつを受け取るために行われるからである。つまり、子孫に雌雄の遺伝子を残すために、染色体は最低1対なければならないのである。ヒガンバナの染色体は、中国揚子江沿いに自生するものでは、22個(11個×2=1対)で、種子繁殖をしていることが推定される。日本にあるのは33個(11個×3=1対半)で、減数分裂ができないのである。
 けれども植物の場合は、動物より自在というか、融通無碍なところがあり、まったく減数分裂をしないで子孫をつくったりすることがごくまれにあるということが、近年知られてきている。
 3倍体どうしが減数分裂しないで種子を作ると、6倍体の子孫ができるが、これが次に減数分裂すると、再び3倍体の子孫ができる。実際にそのようなことがごくまれに起こっていることが、これまでに報告・研究されている。栄養状態や気候異変などに適合して、緊急避難的に行われるらしいのである。その他、現代の植物学では、減数分裂の自在さが多数調査・研究されてきている→矢原徹一博士の研究など。

<注2> 甘草はlicorice(リコリス)またはliquorice(リコリス)で、マメ科の植物。こちらとはまったく異なる。甘草の主要薬用成分は「グリチルリチン」で、咳を鎮める効果がよく知られている。

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