●「新テロ対策特別措置法」とテロと戦争●
現行の「テロ対策措置法」に変わって、新しい「テロ対策措置法」がつくられるらしい。衆院でごり押し可決をして、参院で肘鉄食らってすごすご否決されて戻ってきたのを、衆院はどうするのでしょうね? ごり押し、ごり押しで、どすこい、どすこいと、再可決するんでしょうか? 何せ、衆院は3分の2を超える絶対多数ですからね。
それから、参院で福田首相の問責決議・・・・・・、とうとう年内に解散? かしらね?
あぁあ、予算の議決もできずに、福田さんバイバイ、バイバイキィン、なのかしらね?
◆現行(旧)「テロ対策特措法」の問題点◆
そこで、現行の「テロ対策特措法」の条文をもう一度読み直してみた。
そのとき改めて思ったんだが、この法律、こんな長たらしい名称だったんだね。うぅん、政府もあたふたと法律をつくったんだ。
平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法
その名称には、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国で発生した」とあり、あのニューヨークの「同時多発テロ」事件がはっきりと示されている。しかも、その法律の施行日は「平成十三年十一月二日」とある。法律の国会での成立はほんの少し前の十月二十九日であった。つまり、あの衝撃の「同時多発テロ」からわずかに2ヶ月にも満たない短期間で、この法律が制定され、あわてて施行されたという事実に思い至るのである。
この事実は、政府の衝撃がどれほど大きかったかを如実に物語るが、それは日本国民でも同じであった。国民が、その受けた衝撃から落ち着きを取り戻し、沈着・冷静な世論を形成する前に、あれよあれよという間に、これほど重大な法律が国会で議決されてしまったのである。かつて湾岸戦争時、かなりの大金を軍事費として拠出したのに、国際的になんらの評価もされなかった苦い経験を背景にして、国民の反対が生ずる前の、どさくさ紛れの法律制定と施行であった。
ここに「国連決議」として準拠すると明言しているのは、「国連安保理決議1368号」であるが、そこには軍事行使について明言されているわけではない。そこにあるのは、次のような警告文である。
2001年9月11日のテロ攻撃に対応するため、またあらゆる形態のテロリズムと闘うため、国連憲章の下での同理事会の責任に従い、あらゆる必要な手順をとる用意があることを表明する。
つまり、「あらゆる必要な手順をとる用意がある」のであって、この「国連決議1368号」に違背したからといって、それがただちに軍事行動に結びつくことは宣言されていないのである。現在のISAF(国際治安支援部隊)の活動は、有志国とアフガニスタン暫定政府との契約に基づいて、支援活動に入ったものである。
あくまでも「支援活動」であって、いわゆる軍事行動ではなかったが、結局それが、「国連決議1386号」にある軍事行動開始のための「手順」として容認されたのであった。事実が先行するという、なし崩し的な軍事行動開始の手順であった。
アメリカ合衆国などの多国籍軍のアフガニスタンでの軍事行動については、もともと国連決議に直接基づくものではないのである。そのアフガニスタンの軍事行動支援活動を規定しているのが、現行の「テロ対策特別措置法」である。そこには、直接の軍事行動以外の活動、いわゆる兵站活動のほぼ全体にわたってカバーされている。
それは、第三条および別表1,2に記されている。その項目は、別表1が「補給」、「輸送」、「修理及び整備」、「医療」、「通信」、「空港及び港湾業務」、「基地業務」となっており、別表2は「補給」、「輸送」、「修理及び整備」、「医療」、「通信」、「宿泊」、「消毒」で、別表1は「協力支援活動」としてのもの、別表2は「被災民救援活動」にかかわるものと思われる。別表1,2のどちらにも備考として、「武器・弾薬の提供、輸送業務は含まない」こと、「戦闘行動のために発進準備中の航空機に対する給油と整備は提供しない」ことが明記されている。
このような備考があるからといって、油断はできない。なぜなら「戦闘行動のための発進準備中の航空機」だけは給油、整備しないが、たとえば、イラクやアフガニスタンにとりあえず赴く予定の航空機にはいくら給油し、整備しても問題がない。現地に到着してから直ちに戦闘行動に移っても、「我関せず焉」というわけである。
こんなどさくさまぎれにつくられた危なっかしい法律が、せいて以来6年も効力を発してきたこと自体が驚異である。いかに、自民党の絶対多数に基づく強権政治がつづいてきたか、というのこの証左である。国連決議に準拠しない法律を、よくもまぁ、国連決議に基づくと、強弁してきたものだ。
◆新「テロ対策特別措置法」は認められるか?◆
まず、テロ対策、の概念を規定すべきである。
そのためには、「テロ」とは何を指すか。国民的合意に基づく「テロ」の定義がなされなければならない。
その上で、「テロ対策」として取り得る対策を列挙し、選別すべきである。
費用対効果、対症療法的か、抜本療法的か。
どのようにすることが、「テロ」の根治を期待できるか。
「テロ」根治までにどれほどの期間を要するか。
対症療法的対策は、できうるかぎり最小限にとどめるべきであろう。武力の行使もである。武力で弾圧することが逆効果にしかならないことは、歴史がすべてのケースで教えているところである。
力と富とを有するものは、必ずその力に頼るというのがこれまでの歴史であった。そして、力をもって抑え込み、力をもって排除し、その結果、富める者にはますます富が集中してきた。それが人間のこれまでの歴史であった。
そのような過去の過ちをまたぞろくり返しているのが、現在の欧米先進国を機軸とする国際的テロ対策活動である。「テロ対策」とは武力による弾圧である、と呼ばわっているが、そのような武力弾圧が政治的にも、社会的にも成功したためしは一つもない。かえって、武力は人権を強奪し、排除して、ますます人権迫害を強めるばかりであった。
わが日本は、アフガニスタンの平和的復興、民生再興にこそ、手を尽くすべきである。荒れ果てた耕地。葡萄酒をとるために栽培されていたぶどう畑には、葡萄の木の一本も残されていない。小麦の栽培もほとんど行われなくなった広大な土地。それらを復興することが、日本の役目ではないか。平和憲法をいただき、憲法に盛り込まれた不戦の誓いをもって、アフガニスタンに当たること、それこそが日本の使命である。
アメリカ合衆国に追随して、軍事活動に手を貸すことは、日本として決してあってはならないことである。アメリカ合衆国の復讐に手を貸し、血塗られた艦艇に給油し、給水することが日本の国際貢献ではない。それはアフガニスタン、あるいはイラクでの国際的な無差別殺戮に手を貸すだけでしかない。
アフガニスタンの再興のために日本人が死を賭して協力することこそが、世界に対する日本のリーダーシップではないか。平和のために、平和的な活動によって、アフガニスタンの人々の、平和的社会の再興と繁栄のためにこそ、死にもたえ、死をも乗り越えること、それが日本のテロとの戦いではないのだろうか? それが日本の不戦の、平和の信念でなければならないのではなかろうか? 日本の平和の信念が、今、試されているのである。
今一度確認しておこう。
現行のアフガニスタンの復興支援活動は国連の期待するところであるが、アフガニスタンの「不朽の自由作戦」(Operation Enduring Freedom=OEF)は、国連決議によって支持されていない。まずそのことが問題である。そこにおける戦闘行動に関与する艦艇への給油・給水活動は、日本の憲法の条文からして、違反である。
民主党の小沢党首が、現在アフガニスタンで展開中のNATO主導の国際治安維持支援部隊(International Security Assistance Force=ISAF)への参加を示唆したというが、もってのほかである。これこそ、全くの軍事活動である。その目的に反して、実際に行われているのは、アフガニスタンの民衆弾圧活動である。そのような部隊に日本の自衛隊を参加させようとは、無茶苦茶な話である。それなら、まだ福田政権のほうがましである。それが公式には間接的に国連決議1386号に基づくとしても、それは集団的な海外軍事活動(集団安全保障)であって、日本の憲法の容認するところではない。
さらにまたその問題点の一つは、有志諸国から派遣されたISAF軍に対する承認が、国連安保理の事後承認であるという点で、国連の正規のPKO軍ではないという点である。PKO軍として派遣されたものではないことが、このISAF軍の性格のあいまいさを生んでいる。ISAF軍の作戦行動が、どこか本来の平和維持活動になり得ないのは、そのようなところに起因しているであろう。
OEF(不朽の自由作戦)ですら、憲法の規定するところに違背しているのである。ISAFがさらにそれを上回って、違反することになるのは、論をまたない。
アフガニスタン復興機構を設立して、日本は官民を挙げて全面的にアフガニスタンの社会再建に協力するための法律を作成すること。アフガニスタンの復興に命がけで取り組むことこそが、平和をうたう日本の、不戦日本の最もなすべきことではないだろうか?
平和のためにこそ、平和的に死を賭すことが、求められるのである。