こんばんは・・(^◇^)
ますます訪ねたくなる東大寺と言うサイトを見つけましたので、それに加筆しながら、シリーズでアップしますね・・(^◇^)
ー鷲にさらわれた古都奈良の文化財の東大寺の初代別当と杉ー
二月堂の下には良弁杉があり、初代別当・良弁にまつわる伝説が残されています。
良弁は赤子の頃、鷲にさらわれました。
義淵は、二月堂下の大杉の枝に吊るされている赤子を見つけ、連れ帰って育てることにしました。
良弁は義淵のもとで成長し、30年後にこの杉の下で母親と涙の再会を果たしたとされる。
これを題材にしたのが、浄瑠璃や歌舞伎の『二月堂良弁杉』だ。
奈良町センターで先日聞いた紙芝居の話も盛り込みますね・・(^◇^)
良弁が生まれたのは689年。
出身地は近江国(滋賀)とも相模国(神奈川)ともいわれる。
これは、滋賀県と言われました。
当時高僧として名高かった義淵に師事し、法相宗を学んだんですね。
その後、金鐘寺にて華厳経の研究に取り組み、聖武天皇に華厳経の偉大さを説きました。
東大寺創建の基盤を作った良弁は752年、東大寺の初代別当に任じられる。
この年から、二月堂の不退の行法と言われるお水取りも始まるんですね・・(^◇^)
さらに、この年に大仏開眼供養会も開かれるんですね・・(^◇^)
仏教伝来は、538年説と552年説があって、552年だと200年目に当たり記念すべき年でもありますよね。
初代の良弁杉は1961年の第二室戸台風によって、地上から10mほどを残して折れてしまった。
その後、挿し木をして2代目を育てたが、これも1966年に枯死。現在の良弁杉は3代目となるが、地面にしっかりと根を張り、空に向かって見事な枝振りを伸ばしている書かれていますが、紙芝居では、4代目と聞いたように思いますが?
私に聞き違いなら許してくださいね・・(^◇^)
良弁杉のいわれは、二月堂の北側のお茶所に説明があったと思います。
二月堂の南階段を上がったところに、手水場があって、その正面の祠に、浮彫の彫刻がありますが、それが、鷲にさらわれてきた良弁さんが彫られていたと思います・・(^◇^)
また、夕方になると、サンタ猫が愚図愚図言い出しましたが、怒るとふて寝で、買い物籠に入って寝たふりを・・(^◇^)
夕方になると寒くなってきました、お身体を大切にして明日も良い日でありますように・・(^◇^)