かりんとうの小部屋Z

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オルフェウスで作曲№9 また銃殺の朝が来て

2016年08月10日 11時40分02秒 | 創作
オルフェウスで作曲№9 また銃殺の朝が来て

1
誰も知らない朝 銃声が鳴り響く
誰にも知られずに 
蛇口から水が 
一滴落ちるみたいに

消えていく1個の命
あわれと嘆く人もなく
幾百の無辜の傷跡が
今日も地球に刻まれる

ドアは閉められる
固く閉められる
中に誰もいないのに
人はもはやいないのに

ああここから見えるものは
やけにきれいに磨かれた
靴とコインと銃口と
人によく似た何かだけ
2
光あふれる朝 正しさの証明を
口笛に託して
父親は笑った
お前は生きていけよと

朽ちていく無言の正義
そこには人の国はない
ひそやかに続く銃声が
今日もどこかで鳴り響く


朽ちていく無言の正義
そこには人の国もなく
幾百の無辜の傷跡が
今日も地球に刻まれる

あああ あああ
るるる るらら
あああ あああ
るるる るるる

ああ ここからみえるものは
やけにきれいに磨かれた
靴とコインと銃口と
人によく似た何かだけ

読書の時間

2016年08月10日 03時27分13秒 | ことば
読書の時間

読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。
人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。
矛盾してるけど、どちらも本当である。書物というのは、
この矛盾がそのまま形になったメディアだと思う。
読書という行為は孤独を強いるけど、独りではなしえない。
本を開いた瞬間から、そこには送り手と受け手がいて、
最後のページまで双方の共同作業が続いていくからである。
本は与えられても、読書は与えられない。
読書は限りなく能動的で、創造的な作業だからだ。
自分で本を選び、ページを開き、
文字を追って頭の中で世界を構築し、
その世界に対する評価を自分で決めなければならない
それは、群れることに慣れた頭には少々つらい。
しかし、読書がすばらしいのはそこから先だ。
独りで本と向き合い、自分が何者か考え始めた時から、
読者は世界と繋がることができる。
孤独であるということは、誰とでも出会えるということなのだ。
(恩田陸)