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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 122

2013年09月25日 | 日記

  

  福音の道しるべ 122

 キリストは、ご自分の一生と死によって、神の義はそのあわれみを滅ぼすものではなく、罪がゆるされ、律法が正しく完全に従うことのできるものであることを証明された。・・・神の律法に対する戦いは、天に始まったが、それは世の終わりまで続くであろう。どの人もみな試みられる。全世界の人々が、従うか従わないかの問題を決定しなければならない(各時代の希望下巻289-290ページ)。

 大争闘の最終章で、イエスの生涯においてあらわされたのと同じ純粋な服従が、最終世代の生涯において再現されるであろう。罪から救われた彼らは、神の恵みの力によって、完全なみかたちに回復されるであろう。これらの人々を罪なき環境〔天国〕に入れても安全であると、全宇宙が認めるようになる。この回復の働きは、安息日の戒めを含む、すべての真理を十分に理解したことに基づいてなされる。真理の理解度に比例して、人は神のみかたちに回復され得るのである。

 「イエスが聖所を去られると、暗黒が地の住民をおおう。その恐ろしい時に、義人は仲保者なしに聖なる神のみ前に生きなければならない」(大争闘下386ページ)。全宇宙は、生命の危険にさらされながらも、神の戒めを守り通す人々の一団を見るであろう。これらの人々は、イエス・キリストの品性を反映する。彼らは神のご品性と律法を擁護し、サタンが間違っていることを証明する。これらの忠実な聖徒たちは、地上歴史の最終時代を生きている人たちで構成されるであろう。何という壮大な光景であろう!堕落した人類が、神の完全なみかたちに回復され、サタンの不当な告発から神を弁護するのである。悪魔が彼らを執拗に誘惑し威嚇しようと試みても、決して屈しようとはしない。彼らを駆りたてるのは救いの報酬ではなく、神の御名からあらゆる非難を取り払いたいという熱意である。

   

 新生への道 6  信仰と受容 ④

イエスは「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ11:24)と言われましたが、このみ約束には条件が一つあります。それは神のみ旨に従って祈るということです。けれども、私たちの罪を清め、神の子らとして清い生活を送らせようとなさるのは神のみ心です。ですから、これらの祝福を願い求め、それを受けたと信じて神に感謝してもよいのです。イエスのもとにきて清められ、恥じることなくおきての前に立つことができるのは私たちの特権です。聖書にも「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。…肉によらず霊によって歩く」(ローマ8:1,4)とあります。

 ですから、私たちは自分のものではなく、代価を払って買われたものです。「あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなくきずもしみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである」(Ⅰペテロ1:18,19)とあります。神を信じるこの簡単な行為によって、聖霊は私たちの心に新しいいのちを与えます。私たちは神の家族の子供として生まれたのです。ですから神はみ子を愛されると同様に私たちを愛してくださるのです。


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