福音の道しるべ 121
さらに、(恩恵期終了の後)地上に神の刑罰が下るとき、十四万四千は、仲保者なしに生きていかなければならない。天でのとりなしは、いつ止むのか?恩恵期間の終了後、イエス・キリストの仲保はもはや必要でなくなる。仲保者なしに立つとは、一体どういうことなのか?
いったん天での執り成しが止むと、もはや罪の赦しはなくなる。罪は、聖霊の力によってのみ勝利が可能なのである。十四万四千はなぜ、仲保者なしに立たなくてはならないのだろう?恩恵期間が終了した後も、なおイエスが来臨をしばし遅らせる理由は何なのだろう?聖徒たちはなぜ、もう少し地上に留まらなくてはならないのだろう?
神は不公平で、その律法には欠陥があるといって、サタンは神を告発してきた。大争闘は、そのはじめから、神の律法が争点であった(人類のあけぼの上巻62-64ページ参照)。悪魔はさらに、律法を守るのは不可能であるばかりでなく、律法を廃止しなければ、罪人の赦しもあり得ないと断言した。アダムとエバが罪を犯したとき、自らの主張が証明されたといって、彼は狂喜したのであった(各時代の希望下巻287-288ページ参照)。それからキリストは、人の肉をとって地上に来られ、私たちと同じ試練に耐えられ、私たちのために勝利なさったのであった。
新生への道 6 信仰と受容 ③
罪人である私たちも同じです。過去の罪をあがなうことも、自分の心を変えることも自分自身を清くすることもできません。しかし神は、こうしたことをすべてキリストを通してしてくださるとお約束なさいました。あなたはまずこのみ約束を信じ、罪を告白し、自らを神にささげて、神に仕えようと決心しなければなりません。これを実行しさえすれば、必ず神はそのみ約束を果たして下さるのです。神のみ約束を疑わず、ゆるされ、清められたと信じさえすれば、神はそれを事実としてくださるのです。この病人が自分がいやされたと信じたとき、キリストが歩く力をお与えになったのと同じようにあなたはいやされるのです。信じたようになるのです。 いやされたと感じるまで待ってはなりません。そして「信じます。いやされています。私がそう感じるからではなく、神がこれを約束なさったからです」と言いましょう