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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

エリコ陥落の現代的意味 第8回

2015年06月09日 | 日記

 栄光の天使の働き

ヨハネの黙示録18章にどのようにありますか?第四の天使が下りてきますね、私の民よ、そこから逃げよと、そのわざに加わってはならないと叫びます。イスラエルの民のことを考えてみてください。戦いを目の前にして、ただエリコの回りを回るだけなのです。彼らはただ神様の約束に信頼し、歩き続けたんですね。神様はなぜそのようなことを命令されたのでしょうか?あなた方は戦うな、と言われたのですね。私が戦うからあなたは私の言葉を信頼して従順にしなさい。この人々の前に何がありましたか?契約の箱が先に行ったんです。これどういう意味ですか?契約を守る民ということです。ラッパを七個持ちました。これは何を意味しますか。神様との契約に従順な人を表していたんですね。なぜ彼らの前には祭司たちが進んだのでしょうか。祭司たちが前を進むと言うのは、祭司たちの役割というのは神様の律法を教え、それを通して悔い改めに導き、改革をさせる、そのような働きをするのが祭司たちの役目なのです。彼らが先頭に立ったということは、民をそのように指導し導く、そのことを象徴していたんですね。

ですから、申命記の中にありますね。神様から離れた時には、イスラエルの民は滅んでしまうと(11:26~28)、そのようなことが書いてあるんですけれど、神様の契約を第一にし、その働きを先頭に、改革の働きが先頭に立って行く、そういうことを意味しているんですね。神様の契約を守る人、従順な人々を通して三天使の使命が宣教されるんですね。そしてイエス様の証と十戒を守る人が残りの民になるのですね。

 

彼らはエリコの回りを毎日回ることによって、日々神様を信頼することを体験し、最後の七日目に七回まわって、大声で叫んだんです。黙示録18章を見てみますと、なんて書いてあるかというと、天使が下りてきて大声で叫ぶんです。第四番目の天使が来ると、その栄光によって全地球が照らされると。それはイザヤの預言の反映です。「起きよ、光を放て、あなたの光が臨み、主の栄光があなた方の上にのぼったから」(60:1)と。栄光と義と品性と言うのは同じことを表しています。神様の品性と義と、義が私たちのうちに現されるようになるんですね。それが私たちのうちに光となり、神様の栄光となるんですね。私たちが神様の御言葉と十戒に従順になり、聖なる生き方をする時に、私たちの内にある神様の能力が栄光となり、神様の栄光となるんですね。私のうちに住まわれるキリストが神様の栄光となる、それが希望となる、私たちにはそれが光なんです。

イザヤは「起きよ」と言いましたが、「起きよ」と言うのはどういう意味でしょうか?それは倒れていたからです。罪に倒れている人に、神様はおっしゃったんですね。「起きなさい、そして光を放ちなさい」と。あなたがそういう習慣にあろうと、罪の習慣に陥っていようと、起きなさいと神様は言って下さっているのです。そしてそこに光が現わされるのです。品性というのは、単なる人間の行為とか道徳とか、そういったものではありません。神様の十戒と言うのは、動機とか思いとか、そういったものまで要求されるものです。ですから、十戒を守るという事は、その基準というのは、イエス様によって変えられた心でのみ可能となるのです。

皆さん、「むさぼってはならない」と十戒にありますね。「むさぼってはならない」とは十戒の何番目にありますか?十番目にあるんですね。「むさぼってはならない」ってどういう風に守ればいいんでしょうか?皆さん、この「むさぼってはならない」ってどういう行動でしょうか。これは私たちの心で守る十戒なんですね。イエス様が十戒で与えられたものは全部心で守るものなんです。そしてこれは、イエス様の心によって守ることが出来るんですね。それは私の心を主の前に屈服させて、イエス様の心をいただいてはじめて守れるようになるんです。

私たちが自分の罪深さ、そういったものを知った時に、絶望をした時に、イエス様によって心を変えていただくことができます。イエス様の品性と私の品性を比べた時に、自分はもう死にたくなるほどいやになるんですね。そうした時はじめて、私の心の内に神様の恵みが入ってくることが出来るんです。