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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

エリコ陥落の現代的意味 第4回

2015年06月05日 | 日記

「あなた方は契約の箱をかき、七人の祭司たちは雄羊の角のラッパ七本を携えて、主の箱の前に先立たなければならない。・・・そして武装した者は主の箱に先立って進まなければならない」(ヨシュア6:6、7)。

ヨシュアと七人の祭司たちは、ラッパを携えて進んだのですね。武装した者はラッパを吹く祭司たちの先に行って、その先に箱が進んだのですね。15節を見てみますと、

「七日目には、夜明けに、早く起き、同じようにして、町を七度めぐった。町を七度めぐったのはこの日だけであった」(6:15)。「呼ばわりなさい」と神様がおっしゃった時、ラッパが鳴って大声で叫ぶ時、城壁は崩れると神様は言われました。

しかしその時、すべのものは主のものとして捧げなさい、滅ぼしなさい、滅ぼして捧げなさいとも言われました(ヨシュア6:18、19)。みなさん、このエリコの城壁を前にして、彼らは40年前の経験を思い出すのですね。彼らは40年前、もうこの地まで来ていたんです。ところが信仰がなかったために、もう一度40年間荒野をさまようことになったんです。そのことをみんな聞いて覚えていたんです。彼らがもし40年前に信仰をもって進んでいれば、その時にこの城は攻め落とせたのですね。このエリコの町というのは、偶像礼拝の最も進んだ拠点だったのですね。ですから、城を攻め落とすことは、カナンの地を攻め取る第一歩だったのです。

私たちも後の雨を受けるならば、最後の艱難を通り過ぎるための後の雨を受けるならば、大声で叫ぶようになります。その経験がここに書かれているのです。終わりの時代に神様の民も、このカナンの地に入る前に、バビロンである偶像礼拝を打ち滅ぼして、大声で叫んで進んでいくことが必要となります。終わりの時代の教会も同じです。神様に従うことによって、この大きな偉大な働きを成し遂げます。

神様がこのエリコの城壁を崩す前に、このように言われたんですね。ヨシュア記5章ですけれども、ここに小刀を持って来て、あなた方は割礼をしなさいと言われました(5:2~8)。皆さん、創世記34章のヤコブ物語の中にこの割礼の記事があります。レビの妹デナがその地の異邦人に乱暴されたので、怒ってデナの兄弟たちが、その乱暴した人々に対してこのように言いました。家族になるためには割礼を受けなさい。もし男子たち全員が割礼を受けるなら、この妹を与えて私たちは一緒になりましょうと。ところがレビたちは、彼らが割礼を受けて3日後のまだ痛みが残っていて、力が出ない時を見計らって町の人々を刀で殺したんです。

よく考えてみて下さい。エリコの城壁を目の前にして、彼らがまずしたことは割礼だったのですね。敵を目の前にして彼らが受けたのは割礼だったのです。武装した兵士たちがそういう風にすれば力を失ってしまって、もしその時攻められたら一瞬のうちに滅ぼされてしまうのです。傷の痛みのために、無力になってしまうのです。ところが神様はそれをなさったのです。

これは何を象徴しているかと言うと、霊的な経験を象徴していたのですね。まず、割礼をするように、私たちの心の中のいろんなものを切り取る必要があるんですね。誤解や、狭い心とか世俗心、短気、そういったもの、世を切り取り、罪を切り取る、そのような切り取る割礼が必要なのです。それを私たちもしなければなりません。する必要があります。体に割礼を受けるということは、霊的な、心に割礼を受けることを象徴していたんですね。エリコを攻め落とす前に彼らは心に割礼を受ける必要がありました。勝利を得る前にまず割礼、心に割礼をうけ、嫉妬の心、そういうものを切り取る必要があります。