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SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 ソン・ケムン 第8回

2017年12月13日 | 日記

私の家のネコの名は「コッピョル(花星)」ですが

「コッピョル、お前は、罪の性質に対する責任を負って100年間縛られていなければならない」そうは言いません。

猫がネズミを捕まえるのは、もともと猫が持っている性質です。

 アダムから受け継いだ不従順の性向が私たちにあるために

「君はその性向を持っているから死刑だ」「君は地獄に入るべきだ」「あなたは生まれた時から罪人だ」という判決を受けるのではありません。

私たちが誘惑に屈服する時に実際に罪人になります。しかも、私たちは、このような肉体の性向と戦って勝つことができます。 イエス様が人と同じ罪の性質を持って勝利されたように、私たちもキリストによって勝利することができます。しかし、私たちが勝利をしても、罪の性向が消えるわけではありません。 私たちの罪の本性はいつなくなるのでしょうか? 新生したらなくなりますか? 聖書をたくさん読んで、断食して祈祷したら罪の傾向を持った性質と本性が消えますか? 違います。 私たちが新生したら罪の傾向を持った性質がなくなると考えるなら、深い挫折を味わうことになります。それは私たちの本性であるため、生まれ変わっても本性はそのままなのです。私たちの罪を犯す本性は、イエス様の再臨の時になくなります。使徒パウロはコリント人への第一の手紙15章51節で「 終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる」と言いました。 私たちの体がその時再創造されるのです。罪の本性をどうやって無くしますか? 「 一瞬にして変えられる」という言葉通りに、再創造によって罪の性質がなくなります。 私たちの本性を創りかえてくださるのです。


罪から逃れる道 ソン・ケムン 第7回

2017年12月12日 | 日記

今私たちの立場ではなく、アダムのことをよく考えてみましょう。カインが生まれた時「私が禁断の木の実を食べたためにお前も罪人だ」。それではアダムの子孫から救い主が生まれると言われましたが、その救い主はどのような遺伝子を持って生まれたのでしょうか? つじつまが合いません。

アダムは自分の子孫の中から救い主を待ちました。救い主になるものと期待を集めたアダムの長男カインが殺人者となった時、アダムとエバの心はどうだったでしょうか。自分たちの罪の結果を見て悲嘆したはずです。

「ああ、これが私が罪を犯した結果だ」と思ったでしょう。しかし、

「私が罪を犯したから、私の息子が罪人になって生まれた」と思ったのではありません! 息子が神様の愛と約束を裏切って反逆の道を行くのを見ながら、「これが罪の結果だ」ということを悟るようになったのです。

 

私たちが理解しなければならないことがあります。罪の本性を持っているから、罪人なのではありません。少しわかりやすく説明します。

私の家では犬と猫を飼っています。皆さんもご存知のように、猫は人に抱かれて愛をいっぱい受けます。ところが猫が外に出ると、毛を逆立てて何かを探します。皆さんは猫がネズミを捕まえる様子を見たことがありますか?

捕まえては放して投げて遊んで…

一気には殺しません。

猫はもてあそぶようにしながら殺します。神様に創造されたものとして、とても残酷な行為ではないでしょうか!一つの被造物が、他の被造物に死ぬまで苦痛を与えます。皆さんこれは悪です。

これは神様の計画ではありません。

それから猫は、ネズミを捕まえたことを誉められるために、ネズミをくわえて堂々と家に帰ります。皆さんはどんな反応を見せますか。

「どうしてそんなかわいそうなことをしたのか!」

そう言いながら猫の刑務所を作って「お前は懲役10年だ!」

そのように宣告しますか? それとも猫を撫でてあげますか?皆さんはその犯罪者を家に入れてあげるでしょう。

本能と罪の違いがあります。


罪から逃れる道 ソン・ケムン 第6回

2017年12月11日 | 日記

アダムの罪はこの地球上に多くの影響を与えました。それは事実です。 死が人間を始めとする全ての生態系に来ました。 苦難と苦痛が私たちの日々を満たして行きます。 地球自体も罪の呪いである暴力や悲劇に満ちています。アダムの罪の結果は実に恐ろしいものですが、誰もこのような結果について、個人的に責任を問われるものではありません。 誰かがあなたに「数日前、ライオンが人を殺しました。 それであなたをライオンの代わりに、20年間刑務所に入れることになりました」と言ったらどうでしょうか?

「うちのバラの花が3日目に枯れてしまいました。 バラに死をもたらしたためにあなたに死刑を宣告します」となったら、とんでもない話ですね。 この地球が罪の致命的な影響のもとにあるとしても、私がその罪の責任を負うべきではありません。 ところが皆さんは、このような荒唐無稽な話を今まで信じてきており、その責任から抜け出せず、苦労してきました。何というひどい話でしょう。 この時間、神様の言葉が皆さんに自由を与えることになります。

アダムは自分の子孫から、救世主が生まれるという神様の約束を信じました。

それで最初の息子が生まれた時、アダムはどう思いましたか。

「いよいよこの世に救い主が生まれた」と思いました。救い主がアダムの子孫として来られて、人間の代わりに罪の刑罰を受けられるという約束がありました。

そこで息子が生まれると、その子供が救い主だと思いました。ところで考えてみてください。先ほどの原罪論によると、自分が罪を犯したために、自分の息子も罪人として生まれるということが、アダムにとって常識的な話だったでしょうか?

話になりません。


罪から逃れる道 第5回 ソン・ケムン

2017年12月10日 | 日記

聖書は罪を犯したから罪人になると言います。

そうです。私たちは誤った世の中に、誤った性質を持って生まれました。

それで誤った行動をすることになります。 ここまでは原罪論と同じです。

しかし、一つだけ違うのは 、私たちが遺伝によって、誤った性質を受け継いで生まれたとしても、その責任を負って有罪と定められ、地獄に行かなければならないのではありません。

生まれたこと自体で、先祖の罪の責任を負って、地獄に行かなければならないというこの説を、私は信じません。しかし多くのクリスチャンが信じています。

そこで皆さんは選択してください 。

私たちが罪に勝利できるかどうかは、罪を選択ととるか、原罪説をとるかにかかっています。

「罪とは何か?」という質問に、どのような結論を下すかによって、

キリスト教信仰の救済論や終末論など、あらゆる教理が全く違うものになってしまいます。なぜならこの罪に対する理解が、選択の自由を尊重される神様の愛と、公平な義に対する理解と直結しているからです。また、私たちが前の時間で学んだように、キリストの受肉について聖書的な立場を持つことができ、私たちが(イエス様を模範として)神様の戒めを守り、罪を犯すことなく生きるのが可能なのか、それともそのようなことは極端な幻想に過ぎないのかを決定するからです。

「罪の定義」がこのように混乱している理由も、実はイエズス会が教会の中に誤った神学を振り撤いたからです。

 


罪から逃れる道 ソン・ケムン 第4回

2017年12月08日 | 日記

皆さん、正しいものと間違いを知るからこそ罪が成立するのです。

聖書にある唯一の罪の定義は「罪は不法」だということです。

罪を犯すことが不法です。

私たちは自由意志を持っているので、神様に対して

「神様、いやです」「自分の思い通りにします」「私は神様の御心の通りにすることを願いません」「私の人生は私が決めます」、と言うことが、聖書が言う罪の定義です

 

□聖書は罪(guilt)が遺伝的に伝わるものではないと教えます。

申命記と列王記下に同じ言葉があります。

「父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである」(申命記24:16、列王紀下14:6)。

多くの人たちが、アダムが罪を犯したために全人類が罪人になったと思っています。

エゼキエル書18:20を見ます。

「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する」。

エゼキエル書15:14、20を見ます。

「 たといそこにノア、ダニエル、ヨブの三人がいても、彼らはその義によって、ただ自分の命を救いうるのみであると、主なる神は言われる。主なる神は言われる、わたしは生きている、たといノア、ダニエル、ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。ただその義によって自分の命を救いうるのみである」。