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記号のはじまり

 先史時代の洞窟壁画には動物画像が数多く残されていますが、人類最古のショーヴェ洞窟を除く多くの主要な動物画像が、常にある種の「記号」をともなって描かれていたことが知られています。それは主に壁面に残された引掻き傷のような線の集合体なのですが、これらの「記号」は、もともと熊などの動物が壁に残した爪の痕を真似るようにしてつくられたものではないか*01と推測されています。
 先史学の第一人者で、社会文化人類学の泰斗でもあるアンドレ・ルロワ=グーランは、その記号群と動物群の対応関係と洞窟内の位置を統計学的に調べることにより、それらの背後に記号体系の存在*01を示唆しています。
 彼は、記号と動物をともに何らかの体系を構成する要素として捉えました。そしてその体系とは芸術のための芸術でもなく、狩猟のための呪術でもない、形而上学的なものだった*01という主張を展開したのです。ルロワ=グーランは、この動物画と記号を、男性記号と女性記号からなる性的シンボルとしての一種の「言語」であると捉え、先史時代における宗教の存在を指摘したのです。
 
ルロワ=グーランが展開した、先史時代に残されたこの「記号」の解釈の是非は別にして、それは自分自身の脳内に形成された意味ある振る舞いの、総体としてのイメージを、自分以外の他者へと伝達しようとするときに生まれたものであることは確かでしょう。他者へのイメージの伝達として、ビジュアル的な画像イメージを“直接”伝えるものが動物画であったとすれば、より抽象化し、カテゴライズした表現をこれらに与えたものがこの「記号」群だった、といっていいのではないでしょうか。
 
さらに先史時代に共通してみられるネガティブ・ハンドやポジティブ・ハンドと呼ばれる人間の手形跡が、人類最古のショーヴェ洞窟にも残されています。この手形跡についてもルロワ=グーランをはじめ様々な解釈が提示されていますが、それが動物たちの周りにいる自分たち人間の存在を表していることは間違いないことでしょう。つまり三万年前のこの洞窟壁画を描いた人たちは、自分と他者の区別が明確についていた、ということをそれは示しているのです。
 
脆弱な身体しか持たない人類は、自分と他者を明確に区別し、敵対する他者に対しては共同で対処することが、世界の中で生存するための唯一の方法だったのです。そして狩りの対象である動物たちのイメージを共有することが、人類の生存をより確実にするものとして不可欠な要素だったのです。
 
高度に発達した視力と、そこから得られる膨大な情報を処理するための頭脳を発達させることで、世界に存在し、反応することを可能にしてきた人類は、永い時間をかけて自然=環境をカテゴライズし、他者への伝達を可能とする実体を持ったイメージをつくりだしてきました。そしてそれをさらに変形させ、簡略化・抽象化することで、これらの「記号」群を生み出してきた、といえるのではないでしょうか。


ショーヴェ洞窟/ネガティブ・ハンドと呼ばれる手形跡
Empreinte de main négative soufflée

*01:洞窟へ-心とイメージのアルケオロジー/港千尋/せりか書房 2001.07.09

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