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魅了する建築家像

 伊東忠太が「建築」と訳した「アーキテクチュール」は、本来彼自身がいうように「大匠道」、ないし「高等芸術」と訳すべきものだった、といっていいでしょう。古代ギリシアを範としたウィトルウィウスが建築家に求めたものは、当時の人間が知りえたありとあらゆる知識を持つことでした。なぜなら“建築”は、そうした諸知識の集積の上に成り立っているという認識を彼は(彼だけでなくその時代は)もっていたのです。いわば“建築”には人間が知りえたすべての知識、都市文明のすべてが集約されている、ということをウィトルウィウスは全十書の中で詳細に明らかにしようとしたのでした。
 
そして彼が範とした古代ギリシアでは、アリストテレスがいうように建築家には、制作にあたる多くの人々を統率する統治力―政治力も求められていました。つまりありとあらゆる知識を集積した上に、多くの職種の工人を率いて“建築”を造り上げる役割こそ建築家がなすべきことだったのです。いわば都市文化そのものを自らの手で打ち立てることのできる全知全能を持った存在となること、それが建築家に求められた究極の姿だったのです。
 
このように2000年以上も前に打ち立てられた巨大で偉大な建築家像。それは建築を学ぼうとする人や建築を生業にする人々にとって、絶えず雄大な目標であり続けました。建築家を目指すことの意義、アイデンティティを与え続けたのがウィトルウィウスの「建築書」であり、それが著されてから現在まで絶大な支持を受け続けたその2000年という歴史こそ、建築家という職業の偉大さを示す最も大きな根拠となっているのです。
 
こうした偉大な役割をもつ職業は、万人共通の目標となりえました。自らの歴史の根源にそれをもつ西洋の人々だけでなく、建築にかかわるすべての人々に共通の目標となりえたからこそ、西洋建築は世界を席巻するにいたったともいえるのです。当然、伊東忠太もこうした偉大なる建築家像に魅了された一人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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