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心の御柱

 刹の柱と呼ばれ、天と地を結び、傲然と都に聳える塔を、日本で最初に飛鳥の地に建てたのは蘇我馬子でした。刹の柱は仏塔において心柱(しんばしら)とも呼ばれますが、「心の御柱(しんのみはしら)」と呼ばれるものが神社建築にもあります。しかしその有り様は仏塔のそれとだいぶ異なっています。
 
伊勢神宮の「心の御柱」は、大地から頭を出した杭状のもので、人の高さ程度しかない、といわれています。それは正殿中央の高床の床下に納められ、上部の建物を構造的に支えるものではありませんでした。


伊勢神宮の古殿地(前回の遷宮までお社が建っていた敷地)中央に残る心の御柱の覆い屋。

 
宗教学者の中沢新一さんは、伊勢神宮の「心の御柱」は潜在空間からこちらの世界のほうに突き出してきた強度(力)の先端をあらわしている01と説明します。この先端の向こう側にある潜在空間は、創造的エネルギーが満ち溢れた特別な「空間」=「創造の空間」で、「心の御柱」が高次の潜在空間と繋がる絶対の転換点となって、空間そのものの始まりを象徴する、というのです。
 
磐座としての大石や鹿島神宮の“要石”、東京葛飾の“立石様”と呼ばれた石たちも、その先の神々などの霊的な存在の満ち溢れた異界へと人々を繋げるものでした。それと同じように伊勢神宮の「心の御柱」は、たとえ地表に見えるものがその“臍”でしかなかったとしても、そこには、人々の精神世界を“奥底から支えているもの”が存在することを示しているのです


「なにもない」と観念された場所に立てられた立石は、絶対の転換点となって、空間そのものの始まりを象徴する。

 
いっぽう「となりのくにのかみ」と呼ばれた外来の神である仏を奉る仏教寺院においては、天と地を垂直に結ぶ表象として刹の柱=心柱と呼ばれた“塔”がつくられました。それは「外部」から導入されたあらたな概念を具現化したものでしたが、古来そうした概念を持たなかった日本の神々の信仰の中でも、“天と地を結ぶ階段”としてつくられた神社建築がありました。それが出雲大社です。そしてそこにおける「心の御柱」は、伊勢神宮のそれと違い、むしろ仏塔におけるそれに類似していました。

01:精霊の王/中沢新一/2003.11.20 講談社

 

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