今日はフレンドパーク石川で石川県労働者福祉協議会の研究集会に参加。
中央大学の大内裕和教授からは「貧困ビジネスと化した奨学金と苦悩する若者たち」、金沢城・兼六園研究会の本田博さんからは「玉泉院丸庭園の歴史と見所」の各テーマで学ぶ。
奨学金問題を社会問題として提起した大内教授は講演やマスコミの取材などで引っ張りだこ。
大内教授らの活動によって貸与型の奨学金制度は学生ローンだという認識がかなり広まってはきたが、それでもまだ何が問題なのかピンとこない人も多いとのこと。先進国では「奨学金(英語でいうとscholarship)」といえば給付するもの。貸与はローンとしか訳しようがない。
今どきの大学では、最も学生が集まる行事は学園祭ではなく奨学金の説明会とのこと。奨学金問題は学生の最大の関心事になっている。
ところが会社の経営者や労働組合幹部世代など私(56歳)よりも上の世代ではこの問題に鈍感な人が多く、大内教授は奨学金問題は世代問題でもあるという。
なぜか?
人は往々にして自分の経験、体験でモノゴトを判断する。奨学金の制度や取り巻く状況が大きく変わっているのだ。
かつての奨学金は経済的には厳しいが大学進学を希望する一部の学生のための制度だった。それが今では52.5%(2012年・学部昼間)の学生が受給者である。つまり多くの学生の共通問題になった。
その受給者の内訳をみると、
1998年は無利子奨学金が39万人に対し有利子は11万人。
ところが2012年は無利子38万人に対して有利子は96万人。
昔は対象者は借りなければ損という感じの奨学金だったが、今や実態は完全に学生ローンである。
しかも、かつては私立はともかく国立大学なら奨学金を受給し、家庭教師のアルバイトなどをすれば親の仕送り負担も少なかったが、国立と私立の大学の授業料は一気に縮まり(私の時は年14万4千円。その前年入学者は7万2千円、現在65歳の方が大学入学した年はなんと年1万2千円だったそうだ)、いまや50万円を超えている。。
卒業後、教員になれば返還が免除されていたがこの制度も1998年に廃止。
こういう意味でも国公立、私立を問わず、そして就職先を問わず、受給者の大半がローンの返済に直面してる。
その返済額は、毎月10万円借りれば貸与総額480万円。利率は選択できるが、20年間の返済額は600万円前後。
かつての日本育英会から、いまは日本学生支援機構となり、延滞時の取り立ては厳しい。
こうした中、学生は卒業後の返済も考えバイト漬け、そしてブラックバイトの登場(ちなみにブラックバイトの命名も大内教授)で学生生活への影響も深刻である。
ローン返済という大きな負担を抱えた新社会人が企業や職場にとってごく普通の存在になっている。
返済は正社員でも厳しいが、非正規労働者のままでは自己破産に直面する。
そんなんなら無理して大学に行かず就職すればいいじゃないかという暴論も一部あるようだが、人権問題を横においておいても、高卒求人が20万人を割り、8割以上の高校生が大学、短大、専門学校で学ぶ時代だ。高卒で就職を希望しても実現は容易ではない時代となっている。ここでも昔と違うのだ。
さらに奨学金を受給していない47.5%の学生には関係ない問題かと言えば決してそうではない。彼氏、彼女の一方が奨学金受給者ならば、結婚を考えた途端、新婚の家計はローン返済問題に直面する。とても出産・子育てどころではない。マイホームははるかかなたである。
少子化、人口減少問題とも密接に関係する。
親が返済してあげたらと思うが、年功序列も崩れ、世帯収入は低下の一途。祖父母の医療・介護もある。だから奨学金受給者が増えているわけで、多くの学生は親にも頼れない。
かくしていつの間にか日本社会は「奨学金を借りざるを得ない社会」と「返したくても返せない社会」となり、その狭間で奨学金=学生ローン制度が貧困ビジネスとして暗躍する。
こんなにも若者が生きづらい社会は先進国の中でも日本だけ。
今国会でも取り上げられているが、給付型奨学金制度の導入と無理のない返済制度の確立は喫緊の課題となっている。
第二部は昨年復元工事が完成した金沢城公園の玉泉院丸庭園の歴史と見所について。
一度見に行ったが、今日の話を踏まえてまた行かねば。
ライトアップも見てみたい。
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