こんにちは~Uピーです~
ずっとやらなきゃと思ってた課題が一区切りついて、ぼぉ~っと
録りためてた番組を見てたら、なつかしの人の特集 やってました。
「シャンソンの女王」と呼ばれた、「越路吹雪」
宝塚の男役に限界を感じて、パリへ行き、エディット・ピアフに感化されるも、
聞く人に伝わるように「日本語」にこだわった歌を歌い続けました。
私も高校生の頃 ヅガファンの母と1970年代のコーちゃんの舞台(ミュージカル)を数本見ました。
森重久弥、細川俊之、若手では鹿賀丈史、市村正親あたりが出ていましたか・・・
どのお芝居も外国のお話で、歌もあちらの歌がほとんどだったけど、たしかに どの歌も
日本語訳したものを歌ってた・・・
「サントワ・マミー」「日曜日はダメよ」「愛の賛歌」などなど・・・・
二人の恋は~終わったのね~~
許してさえ~くれないあなた~~~サントワマミー~~
昭和のトップスターが おうおうにしてそうであるように、舞台の緊張感からか、
「マージャン」「タバコ」「お酒」「睡眠薬」から逃れられなかったようです。
グラマラスな体形や天才的な歌唱とはうらはらな、いたずらっこのような上目遣いのまなざしは、
たぶん本当に子供のまま大きくなったコーちゃんだったのでしょうね。
56で亡くなったそうです。今の私とほぼ同じ年・・・生きていれば、母より少し上。
「外国って ステキ!」「オシャレで素敵」
ミュージカルの楽しさを、日本語の歌で教えてくれた昭和の香りのする人でした
あぁ~なつかしかった~~~