2008,3,23(Sunday)
今日は孫二人と墓参りに行きました。
天気は最高で夏日でした。
我が家の菩提寺、吉祥寺の安養寺と妻の実家の墓、八王子の富士見台霊園の二か所に参りました。
安養寺は、吉祥寺でも有名なお寺。真言宗豊山派に属する密教寺で、多摩新四国八十八ケ所第一番の霊場になっている。梵鐘は、江戸時代に造られた歴史あるもので、大晦日の夜には並んだ人全員につかせてくれる。隣にある武蔵野八幡宮とセット出かける人が多い。吉祥寺では唯一鐘の撞けるお寺。
市指定のこの梵鐘は安永2年、当時の武州多摩群吉祥寺村の小美野源助が奉納したもので、竜頭の二本の角は江戸期のものの特長をよくあらわしている。
武蔵野市内に現存する唯一のものである。
鐘の身高は102.5cm、竜頭高は37cm、口径は69cm、駒爪厚は7cm。
梵鐘としては大きい方で、竜頭の二本の角は江戸期のものの特長をよくあらわしている。
鋳造した人は高橋甚右衛門尉藤原宣満といい、武蔵境の元鍋屋、高橋茂助氏の先祖で、鋳物師七之丞と呼ばれた人である。
吉祥寺村の開村以来、月窓寺・蓮乗寺・光専寺・安養寺を合わせて四軒寺と呼ばれている。
武蔵野八幡宮の辺りは、寛文元年(1661)小石川の吉祥寺火事による門前住民の移住とともに四つの寺も移り四軒寺と呼ばれる。八幡宮の隣に安養寺、五日市街道を渡った向い側に「たんす地蔵」で有名な光専寺、その南側に「厄除け日蓮」の蓮乗寺、その東隣に月窓寺がある。
安養寺は五日市街道沿いの武蔵野八幡宮横の消防所脇に参道があり、五月には牡丹が咲き誇る。門近くに六地蔵や武蔵野市郷土資料の庚申供養塔が並ぶ。また、並んで立つ念仏車は一周回すと経文一巻唱えたのと同じご利益があるといわれる。
門内に入った右手にある梵鐘は武蔵野市指定の市重宝である。
梵鐘

安養寺境内

安養寺のお参りを済ませ、八王子のお墓に向かう、日差しガンガンで孫たちは車の中で暑い暑いの連続である。 クーラーを効かして走る。
八王子の富士見台霊園は丘の斜面から丘の上にかけて作られており、見晴らしの良い霊園である。
その隣に小宮公園という草原あり小さな沢あり、鬱蒼とした森があり花も沢山咲いていてとても良いところである。
お墓参りの後は何時も小宮公園で弁当を食べ遊んで帰るのが常である。
富士見台霊園
「観池山往生院 大善寺]
大善寺は、天正13年八王子城主北条氏照の命により自身の菩提寺として讃誉牛秀上人を開山として滝山城下に創建されました。
のちに、 八王子城下に移転。さらに 八王子城の火災、落城で大横町に移転し、それより約350年間に渡り昭和36年移転するまでの間、「大横町の大善寺」として親しまれて参りました。江戸時代には徳川家康公をはじめ、幕府の保護により御朱印(領地)を賜り又、八王子総奉行、大久保長安や代官、竹本権太夫等の援護のにより発展し、浄土宗の関東十八壇林(僧侶養成の場、学問所)の一つとして僧侶のみならず政財界に幾多の人材を輩出致しました。明治に入ってからも、明治天皇より勅願所を賜り明治天皇の御祈願所となりました。
特に、第三代住職で在ります呑龍(どんりゅう)上人は、当時の国の禁をも犯してまでも、恵まれない子供達を育成し「子育て呑龍」として全国で親しまれております。又、記憶に新しいのは大横町時代に「八王子のお十夜」として賑わい親しまれておりました「大善寺十夜大法会」です。露店や見世物、サーカス等で賑わい関東三大十夜として近郷近在の方々に親しまれてまいりました。
現在の場所は、昭和36年八王子市の要請により永く親しまれた大横町より新たにこの地「大谷」を求め、大和田に一時本堂を移した後、昭和56年現在の新本堂が完成致しました。

小宮公園

今日は孫二人と墓参りに行きました。
天気は最高で夏日でした。
我が家の菩提寺、吉祥寺の安養寺と妻の実家の墓、八王子の富士見台霊園の二か所に参りました。
安養寺は、吉祥寺でも有名なお寺。真言宗豊山派に属する密教寺で、多摩新四国八十八ケ所第一番の霊場になっている。梵鐘は、江戸時代に造られた歴史あるもので、大晦日の夜には並んだ人全員につかせてくれる。隣にある武蔵野八幡宮とセット出かける人が多い。吉祥寺では唯一鐘の撞けるお寺。
市指定のこの梵鐘は安永2年、当時の武州多摩群吉祥寺村の小美野源助が奉納したもので、竜頭の二本の角は江戸期のものの特長をよくあらわしている。
武蔵野市内に現存する唯一のものである。
鐘の身高は102.5cm、竜頭高は37cm、口径は69cm、駒爪厚は7cm。
梵鐘としては大きい方で、竜頭の二本の角は江戸期のものの特長をよくあらわしている。
鋳造した人は高橋甚右衛門尉藤原宣満といい、武蔵境の元鍋屋、高橋茂助氏の先祖で、鋳物師七之丞と呼ばれた人である。
吉祥寺村の開村以来、月窓寺・蓮乗寺・光専寺・安養寺を合わせて四軒寺と呼ばれている。
武蔵野八幡宮の辺りは、寛文元年(1661)小石川の吉祥寺火事による門前住民の移住とともに四つの寺も移り四軒寺と呼ばれる。八幡宮の隣に安養寺、五日市街道を渡った向い側に「たんす地蔵」で有名な光専寺、その南側に「厄除け日蓮」の蓮乗寺、その東隣に月窓寺がある。
安養寺は五日市街道沿いの武蔵野八幡宮横の消防所脇に参道があり、五月には牡丹が咲き誇る。門近くに六地蔵や武蔵野市郷土資料の庚申供養塔が並ぶ。また、並んで立つ念仏車は一周回すと経文一巻唱えたのと同じご利益があるといわれる。
門内に入った右手にある梵鐘は武蔵野市指定の市重宝である。
梵鐘


安養寺境内




安養寺のお参りを済ませ、八王子のお墓に向かう、日差しガンガンで孫たちは車の中で暑い暑いの連続である。 クーラーを効かして走る。
八王子の富士見台霊園は丘の斜面から丘の上にかけて作られており、見晴らしの良い霊園である。
その隣に小宮公園という草原あり小さな沢あり、鬱蒼とした森があり花も沢山咲いていてとても良いところである。
お墓参りの後は何時も小宮公園で弁当を食べ遊んで帰るのが常である。
富士見台霊園
「観池山往生院 大善寺]
大善寺は、天正13年八王子城主北条氏照の命により自身の菩提寺として讃誉牛秀上人を開山として滝山城下に創建されました。
のちに、 八王子城下に移転。さらに 八王子城の火災、落城で大横町に移転し、それより約350年間に渡り昭和36年移転するまでの間、「大横町の大善寺」として親しまれて参りました。江戸時代には徳川家康公をはじめ、幕府の保護により御朱印(領地)を賜り又、八王子総奉行、大久保長安や代官、竹本権太夫等の援護のにより発展し、浄土宗の関東十八壇林(僧侶養成の場、学問所)の一つとして僧侶のみならず政財界に幾多の人材を輩出致しました。明治に入ってからも、明治天皇より勅願所を賜り明治天皇の御祈願所となりました。
特に、第三代住職で在ります呑龍(どんりゅう)上人は、当時の国の禁をも犯してまでも、恵まれない子供達を育成し「子育て呑龍」として全国で親しまれております。又、記憶に新しいのは大横町時代に「八王子のお十夜」として賑わい親しまれておりました「大善寺十夜大法会」です。露店や見世物、サーカス等で賑わい関東三大十夜として近郷近在の方々に親しまれてまいりました。
現在の場所は、昭和36年八王子市の要請により永く親しまれた大横町より新たにこの地「大谷」を求め、大和田に一時本堂を移した後、昭和56年現在の新本堂が完成致しました。


小宮公園















