穏やかな生活に憧れがち。
どうもさとるです。
冷蔵庫やテーブルの導入により姫路での生活も随分と活気ある物に変容を遂げて来ました。
仲の良い友人とゆるりと姫路付近で過ごすのも悪くない。
そう思える様になってきました。
しかし、それでも自分は休日になると愛車ラシーンで西脇に帰ります。
と言うのもじいちゃんの体調があまり良くないのです。
ずっと山で木を切り出す仕事をしてきたじいちゃんは、足腰が丈夫で、大学の時に、自分がじいちゃんの仕事を手伝いに行った時は、じいちゃんの歩く早さに付いてくだけで必死だったのを覚えています。
そこらへんの煙草の煙をプカプカくゆらせている20代後半より、よっぽど体力がありました。
しかし数ヶ月前まで元気だったじいちゃんも、病院に入り、日に日に痩せて、日に日に力強いじいちゃんの面影は薄れてきています。
昔のじいちゃんの姿を知っている自分は、そんな今のじいちゃんを見ると、胸が締め付けられます。
それでもじいちゃんは、自分がお見舞いに行くと昔と変わらず嬉しそうに、やさしい笑顔をつくって、お菓子や果物をすすめてきたり、病院のお医者さんの話をしてくれます。
そんなじいちゃんが自分は大好きです。
自分は高校まで両親と兄という典型的な構成の核家族で住んでいて、じいちゃんやばあちゃんとは一緒に住んでいなかったのですが、じいちゃんちまでは車で2,30分の距離にあったので、幼いころはほぼ毎日じいちゃんの家に遊びに行っていました。
小学生の時は良くクワガタ取りや、魚取りに連れていってくれて、それはそれは可愛がってくれました。
じいちゃんの家には自分達と年が近い遊び相手にもってこいのイトコが3人いたし、じいちゃん達は、自分達の事をとびきり可愛がってくれたので、自分も兄もじいちゃんちに行くのが楽しみでした。
自分達が中学校に入る頃になると、イトコ達は別の新しい家に引っ越してしまい、じいちゃんの家にはじいちゃんとばあちゃんだけになりました。
自分は中学校になり行動範囲も広がり、 友達も更に沢山増えました。
そしてイトコと言う遊び相手が居なくなったじいちゃんちに行く回数も少しずつ減って来ました。
それでもお盆や、お正月にじいちゃんちに行くといつもニコニコしながら「よう来たのぉ」と迎えてくれます。
じいちゃんは、口数が多い方ではないですが、いつも優しい口調で「そうこ、そうこ」と言って笑顔で何でも受け止めてくれます。
自分が進学や就職した時にも、「立派になったのぉ」と凄く喜んでくれました。
今の仕事も最初は辞めようと思った事もありましたが、じいちゃんが喜んでくれたし、もう少しだけ頑張ろうと、続けている内に今では今の会社に勤めて良かったと思う様になりました。
受験は若い頃、国鉄に勤めていて、その後は林業をしながらばあちゃんと農家をしていたじいちゃんは、穏やかな性格で、出来が悪い兄弟だった自分は、幼い頃は特に手を焼いたと思いますが、じいちゃんに怒られた事は1度もないし、じいちゃんは昔の人らしく、真面目で慎ましくて、じいちゃんが不平や不満を言う事も聞いた事がないです。
そんなじいちゃんは自分達に食べさせたいと、季節ごとに食べきれないほど沢山の野菜やお米を持ってきてくれます。
そういえば入院の前日も、熱が40度も出てしんどいくせに、自分が実家に帰って来ていると聞いて、ワザワザ畑に歩いていって野菜を採って来てくれたっけ。
今でも自分は、じいちゃんが送ってくれた米を大学の友達がうまいうまいと、食べていたのを嬉しく誇らしく思っています。
じいちゃんが汗水流して一生懸命育てた野菜は道の駅なんかで販売もしていて、欲がないじいちゃんは孫でも引くくらいのロープライスで販売していました。
そしてその僅かな収入も自分の為に使うのでなく、孫に小遣いをあげたいからと働いていて、じいちゃんもばあちゃんも自分達が「要らない」と言うのに半ば強引に渡してくれます。
28歳になってもそれは続いています。
全く甘やかされています。
じいちゃんには、愛情いっぱいに育ててもらって、感謝してもしきれない程ですか、入院しているじいちゃんに自分が出来る事は限られていて、歯がゆいばかりです。
じいちゃんの病気は、傷みや、しんどさを伴うものらしく、辛い入院生活だと思いますが、自分が顔を出すと、やっぱりいつもの様に「よう来たのぉ」と優しく迎えてくれます。
出来る限りじいちゃんに顔を見せてあげれたらと思います。