いや、現・空蝉・・・難しいと思う。
見えているから現実なのかと言えば、そうとも言えるし、違うとも言えるし。
空蝉・・・空の蝉で現実と言う捻り・・・まっ、言葉の変化を捉えればおかしくも無いのだけれど、文字の形が意味を表す漢字としては、空蝉が現実や、実在を指す、とは思い難い訳です。
しかし、まっ、恋心を詠むのに使った空蝉は別としても、蝉の抜け殻と言う字を当てといて、現実ですと言う、逆を言いつつそれを言い宛てる・・・妙であります。
足の爪が伸びている・・・切ろうと思う、が、足の指先は遠く、手が届かない。
しかも、爪切りは4、5歩先きにあって、立たなければ取れない。
そうすると、今切らなくても良いか、と、なって、次の瞬間の現実は、始めの思考とはずれている。
現実は、最善を選択しているとは言い難いと思うのだ。
爪は、切ってしまえばそれで済む事なのに、しかも、自分は暇なのに、立つのが面倒だと言う思考・・・これだな。
この思考で、私の現実は理想からずれ捲り、いよいよ何が現実なのか、何処を目指していたのか、求める物はナンだったのかが解らなくなり、空蝉に対処する日々、それが生き様になったのか? と、思うのだが。
(人手不足列島)雇用、増えるは非正社員ばかり 求人22年ぶり高水準でも
現実って、スンゲェよね・・・言葉遊びで爪切りの現実なんて事を宣っていられるのは、正直に言って、喰って行く心配の無い馬鹿野郎の戯れ事です。
昔、少し深い所で付き合った人の言葉に「飢餓線以下」と言うのがあって、その言葉の持つ意味の深さに驚愕した事が有る。
飢餓線以下、と言うの、命をつなぐ為にしか思考は働かない訳で、事の善悪やら良心的な事など、およそ普通の社会で考えられる善悪の判断など存在しない世界です。
最後は殺し合ってでも生き延びる。
まっ、その飢餓線以下にも様々あって、生まれた時からそこに居る人と、ある時期を普通に社会的に暮らした後、飢餓線以下に落ちるのか、難しい話になるんですがね。
で、張りつけの記事を読むと、そんなに遠く無い将来、日本にも飢餓線以下の人が大勢存在するようになるんだな、と、見える訳です。
私が見た飢餓線以下の暮らしは、皆さんもご存知のフィリピンのスモーキーマウンテンのスクオッターやら、それに類似したフィリピン各地のスラムの住民なんですけどね。
生まれた時から貧民以下、屋根の無い暮らしから始まる人生ですから、生き延びるのに善悪なんて考えた瞬間に負けですから。
日本はフィリピンに比べたら格段に国力が上なんで、そんな事にはならないのかもしれませんが、喰う為だけに働く・・・生きると言う事が、自分らしさの実現ですとか、本当の自分はこんなじゃ無い、なんて事を意識する暇もない・・・ただ、命をつなぐ事が生きる事・・・そんな人が日本にも増えるんだろうな、と、思ったと言う、的外れでいい加減なご意見でした、と。
見えているから現実なのかと言えば、そうとも言えるし、違うとも言えるし。
空蝉・・・空の蝉で現実と言う捻り・・・まっ、言葉の変化を捉えればおかしくも無いのだけれど、文字の形が意味を表す漢字としては、空蝉が現実や、実在を指す、とは思い難い訳です。
しかし、まっ、恋心を詠むのに使った空蝉は別としても、蝉の抜け殻と言う字を当てといて、現実ですと言う、逆を言いつつそれを言い宛てる・・・妙であります。
足の爪が伸びている・・・切ろうと思う、が、足の指先は遠く、手が届かない。
しかも、爪切りは4、5歩先きにあって、立たなければ取れない。
そうすると、今切らなくても良いか、と、なって、次の瞬間の現実は、始めの思考とはずれている。
現実は、最善を選択しているとは言い難いと思うのだ。
爪は、切ってしまえばそれで済む事なのに、しかも、自分は暇なのに、立つのが面倒だと言う思考・・・これだな。
この思考で、私の現実は理想からずれ捲り、いよいよ何が現実なのか、何処を目指していたのか、求める物はナンだったのかが解らなくなり、空蝉に対処する日々、それが生き様になったのか? と、思うのだが。
(人手不足列島)雇用、増えるは非正社員ばかり 求人22年ぶり高水準でも
現実って、スンゲェよね・・・言葉遊びで爪切りの現実なんて事を宣っていられるのは、正直に言って、喰って行く心配の無い馬鹿野郎の戯れ事です。
昔、少し深い所で付き合った人の言葉に「飢餓線以下」と言うのがあって、その言葉の持つ意味の深さに驚愕した事が有る。
飢餓線以下、と言うの、命をつなぐ為にしか思考は働かない訳で、事の善悪やら良心的な事など、およそ普通の社会で考えられる善悪の判断など存在しない世界です。
最後は殺し合ってでも生き延びる。
まっ、その飢餓線以下にも様々あって、生まれた時からそこに居る人と、ある時期を普通に社会的に暮らした後、飢餓線以下に落ちるのか、難しい話になるんですがね。
で、張りつけの記事を読むと、そんなに遠く無い将来、日本にも飢餓線以下の人が大勢存在するようになるんだな、と、見える訳です。
私が見た飢餓線以下の暮らしは、皆さんもご存知のフィリピンのスモーキーマウンテンのスクオッターやら、それに類似したフィリピン各地のスラムの住民なんですけどね。
生まれた時から貧民以下、屋根の無い暮らしから始まる人生ですから、生き延びるのに善悪なんて考えた瞬間に負けですから。
日本はフィリピンに比べたら格段に国力が上なんで、そんな事にはならないのかもしれませんが、喰う為だけに働く・・・生きると言う事が、自分らしさの実現ですとか、本当の自分はこんなじゃ無い、なんて事を意識する暇もない・・・ただ、命をつなぐ事が生きる事・・・そんな人が日本にも増えるんだろうな、と、思ったと言う、的外れでいい加減なご意見でした、と。