じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

新しい歴史教科書 8

2017-02-11 21:09:05 | 新しい歴史教科書
コラム 「岩宿遺跡を発見した相澤忠洋」
無名の青年研究家による大発見で、日本の歴史は数万年もさかのぼった。

と、言う事で、日本には無かったとされていた旧石器時代を引っ張り出して日の目を見せた相沢忠洋の事が書かれたコラムであります。

私の微かな記憶でも小学校の社会科で習ったのは「日本の文化は縄文文化を最古とする」でありました・・・が、当時も今もあんまし頭は良く無いので定かではありませぬ。

で、何故に縄文から、と言う説明では・・・発掘調査で黒土を掘って行くと赤土の関東ローム層にブチ当たるんだそうであります。
で、その赤土は火山灰でありますので、1万数千年以上前に日本は火山灰が降り注ぎ動物も植物も生えない死の世界と考えられたんだそうであります。

で、家庭的に恵まれない幼少期を鎌倉で過ごした相澤少年は土器などを集めて遊んでいたそうであります。
で、ある時、集めた土器を大人に見せ何に使ったのかを尋ねたんだそうであります。
すると「大昔、お父さんが狩りをし、お母さんが土器など焼き、夜になるといろりの火をを囲んで一家団欒をした、その名残なのだ」と教わったとか。
で、一家が離散し家族と離れて暮らす相澤少年は「一家団欒」という言葉を一生忘れなかったそうであります。

で、11歳で東京の下町の履物問屋にに丁稚奉公に出た相澤少年は夜間の小学校に通って学んだんだそうであります。

で、休日には博物館に通い、小遣い銭を貯めては考古学の本を買ったんだそうであります。
で、心の底に潜んでいた日本人の一家団欒・・・それはいつ頃から始まったのだろうかと疑問に思い、それを知る事が相澤少年の夢になったんだそうであります。

さて、戦後、相澤は群馬県桐生市で納豆の行商をしながら本格的に遺跡の発掘に打ち込んだんだそうであります。

で、昭和21年、相澤は群馬県笠懸村の切り通しから地元では産出しない「黒曜石」の石片を発見したのだそうであります。
さらに昭和24年、ついに完全な形の石器を発見したのだそうであります。

しかし、小学校しか出ていない納豆売りの発見を大学の学者たちは認めなかったのだそうであります・・・ちなみにWikiで調べますとその大学は明治のようであります。

が、やがて相澤の案内で調査チームが組まれ旧石器が発見され、初めて日本にも旧石器時代があった事が証明されたのであります。
ところが、新聞にも大学の報告書にも相澤の名前は無く無視されたのだそうであります。

しかし、相澤はその後も発掘を続け多くの成果を上げ、ついに昭和42年、岩宿遺跡の発見とその功績により、第一回吉川英治賞を受賞したのであります。

と、まぁ、教科書を要約したらこんな感じなんですけれども、しかし、一家団欒を石器時代まで遡って調べようと言うのは凡人の私には狂気に感じます・・・なので後にとって付けた話しじゃないのか? ナンて邪推をしてしまうんですけれども・・・まっ、いいでしょう。

で、教科書は黒曜石のアレコレは無視なんですけれども・・・黒曜石の謎は歴史好きじゃなくても興味深い物であります。
と、言う事で、ナンと申しましょうか・・・歴史って、真実もナニなんですけれども推測から仮説を立て証拠を見つける感じで有りましょうか?
科学もそんな感じだと思うんですけれども・・・学問ってそう言うモンなんですかね? 




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