歴史を学ぶとは・・・と、始まるのが「新しい歴史教科書」であります。
で、歴史を学ぶとは・・・「ご先祖様が生きた歴史」と、小見出しの後に「日本の歴史を学ぶということは、私たち共通のご先祖の生きたあとを学ぶということです」と有る訳す。
いや、私も日本国民の端くれとして、国を作り支えて来た共通のご先祖という概念には感服した次第であります。
次の小見出しは「日本歴史の伝統」ということで・・・以下無断抜粋・・・「欧米列強の力がアジアをのみこもうとした近代にあっても、日本は自国の伝統を生かしながら西洋文明との調和をはかり、近代国家の建設と独立の維持に成功しました。私たちのご先祖は、こうしたたゆまぬ努力をして世界の中でも安全で豊かな日本を築いてきたのです」
と、いうことで、日本は独立した主権国家である、と、当たり前のことなんですけれども、大東亜戦争の敗戦以後、ややもすると忘れそうな独立国の気概をさり気なく喚起していると思うのは少しはしゃぎ過ぎでありましょうか。
そして、歴史を学ぶ時には、その事柄を自分のこととして想像してみることが肝要だと教えております。
ここ、大事かもしれませんね・・・歴史を紐解く時、自分などは遠い昔の話しで我とは無関係と決め込んでおりました。
で・・・「そうしてご先祖と語り合うことができるようになれば、未来に向かって、知恵と勇気が湧いて来るでしょう・・・と、諭すように語る訳であります。
いなぁ~・・・なんか、未だ触りだけしか読んでいないのに、文章の端はしに仏様の心と言いますか、ご先祖に感謝の気持ちを抱きつつ歴史を紐解けよと語られている気がしまして、日本人の何気無い気持ち「御陰様で」を感じるのであります。
序章 歴史の捉え方
4世紀の朝鮮半島北部に高句麗という国があった。高句麗の広開土王をたたえる碑が今も建っている。碑から拓本をとり、今の漢字に直すと「倭以辛卯年来渡海破百残」こんな文字が掘られていた。
この碑文から倭(日本)が391年に海を渡り、百済を破ったことが分かる・・・と、なっている訳です。
アレ、391年と言うと弥生時代末期ですか?いや、既に大和(古墳時代)の頃に入ってますかね?この辺疎くてナニなんですが・・・ナンでアレ、倭の国は朝鮮半島に攻め入っていたんですね。そして、やっぱし倭の国は勝っちまっている訳であります。
これは良く無いかもしれませんね・・・ナンでアレ侵略に行くのはダメだと思います。
この時、百済の貴重な仏像とか略奪して来ていなければ良いんですけれども・・・恐らく、やっちまっているんでしょうね。
あと、技術職の人を捕虜にして日本に連れて来て働かせたとか・・・強制連行したのかもしれませんね。
日本国に朝鮮が祟るのは既にこんな昔からの因縁が蠢いているからなのかも知れない訳で、歴史って、面白いですね・・・奥が深いですね、それでは、皆様、さよなら さよなら さよなら、と。
で、歴史を学ぶとは・・・「ご先祖様が生きた歴史」と、小見出しの後に「日本の歴史を学ぶということは、私たち共通のご先祖の生きたあとを学ぶということです」と有る訳す。
いや、私も日本国民の端くれとして、国を作り支えて来た共通のご先祖という概念には感服した次第であります。
次の小見出しは「日本歴史の伝統」ということで・・・以下無断抜粋・・・「欧米列強の力がアジアをのみこもうとした近代にあっても、日本は自国の伝統を生かしながら西洋文明との調和をはかり、近代国家の建設と独立の維持に成功しました。私たちのご先祖は、こうしたたゆまぬ努力をして世界の中でも安全で豊かな日本を築いてきたのです」
と、いうことで、日本は独立した主権国家である、と、当たり前のことなんですけれども、大東亜戦争の敗戦以後、ややもすると忘れそうな独立国の気概をさり気なく喚起していると思うのは少しはしゃぎ過ぎでありましょうか。
そして、歴史を学ぶ時には、その事柄を自分のこととして想像してみることが肝要だと教えております。
ここ、大事かもしれませんね・・・歴史を紐解く時、自分などは遠い昔の話しで我とは無関係と決め込んでおりました。
で・・・「そうしてご先祖と語り合うことができるようになれば、未来に向かって、知恵と勇気が湧いて来るでしょう・・・と、諭すように語る訳であります。
いなぁ~・・・なんか、未だ触りだけしか読んでいないのに、文章の端はしに仏様の心と言いますか、ご先祖に感謝の気持ちを抱きつつ歴史を紐解けよと語られている気がしまして、日本人の何気無い気持ち「御陰様で」を感じるのであります。
序章 歴史の捉え方
4世紀の朝鮮半島北部に高句麗という国があった。高句麗の広開土王をたたえる碑が今も建っている。碑から拓本をとり、今の漢字に直すと「倭以辛卯年来渡海破百残」こんな文字が掘られていた。
この碑文から倭(日本)が391年に海を渡り、百済を破ったことが分かる・・・と、なっている訳です。
アレ、391年と言うと弥生時代末期ですか?いや、既に大和(古墳時代)の頃に入ってますかね?この辺疎くてナニなんですが・・・ナンでアレ、倭の国は朝鮮半島に攻め入っていたんですね。そして、やっぱし倭の国は勝っちまっている訳であります。
これは良く無いかもしれませんね・・・ナンでアレ侵略に行くのはダメだと思います。
この時、百済の貴重な仏像とか略奪して来ていなければ良いんですけれども・・・恐らく、やっちまっているんでしょうね。
あと、技術職の人を捕虜にして日本に連れて来て働かせたとか・・・強制連行したのかもしれませんね。
日本国に朝鮮が祟るのは既にこんな昔からの因縁が蠢いているからなのかも知れない訳で、歴史って、面白いですね・・・奥が深いですね、それでは、皆様、さよなら さよなら さよなら、と。
やっぱし強制連行はありましたか? 私もあっただろうと思います。
しかし、技術指導が終わって送り返そうと言う辺りを深読みすると、指導者として迎えられ、好待遇故に本国には帰りたく無い・・・そうとも読める気がしますが。
教科書の先の方にそんなトピックがあったら面白いんですが・・・。