じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

旅の余韻 ああ縄文や縄文や

2022-08-29 20:35:07 | 日記的雑談
いや、なんと申しましょうか、なんでこんなに縄文時代が好きなのか自分でも良くわからないのであります。

なんたって貴方、1万年以上も続いた文明ですぜ、それだけで感動ものなのは確かなのですが、西暦2022年AUGUSTに生きる自分には縄文時代は完璧に想像の世界でして漫画や小説の断片に憧れるのとさしたる違いは無いと思うのであります。

そんな非現実的世界の何が私を惹きつけるのか・・・なんちゃって。
そんな大した事は考えてもいませんで旅をするのに目的地として魅力的だから、って事なんであります。

が、縄文に入り込む切っ掛けは弥生時代だったのであります。

あれは6年前、止めるあなた駅に残し、動き始めた汽車に1人飛び乗って、九州は佐賀県の吉野ヶ里遺跡を訪れたのが縄文にハマる切っ掛けだったのであります。

いや、霧島って山に登るのに訪れた九州だったんですが余った時間で吉野ヶ里遺跡に立ち寄ったのでありました。

あれです、ツツジを主木にした庭を造るって特殊な植木屋仕事をしていた関係で原種の霧島ツツジを盗掘に行ったのでありました・・・いや、自生する原種の環境を観察しただけですけど。

で、吉野ヶ里遺跡を見たときの自分は弥生時代と縄文時代の区別もわからないど素人でして、いずれ大昔の原始人の暮らしって認識だったのであります。

が、素人なりに吉野ヶ里遺跡を見た瞬間に閃いたことがありまして、それは原始人の部落が丸太の塀で囲われている事が引っかかったのであります。

壁を作るって事は防御である・・・ならば何から何を守ったのか、と疑問が湧きましたが、現地ではろくに説明文も読まずに帰宅したのでありました。

で、それから程無くして青森の三内丸山遺跡に行く機会がありまして、そこで同じ原始人なのに塀のない暮らしをしていた縄文村に出会って吉野ヶ里遺跡を思い出し、この違いはなんだってところから私の縄文熱は上がったのでありました、とこじつけて見したが、まっ、いいでしょう。

縄文住居展示資料館 カルコ

弘前市の大森勝山遺跡から出土した住居跡から復元した竪穴住居を主たる展示物に据えた施設であります。

が、土器や土偶は亀ヶ岡遺跡からのものも多く、あの有名な遮光器土偶はここにありました。

里芋の精霊らしい遮光器土偶

これは実に興味深い説明でした

あれです、縄文人の男性には抜歯の痕跡が見られ、大概の説明では成人への儀式であった、なんてのが多いわけですが、私ゃ「皮や樹皮を歯で舐めす」って行為と抜歯に何か繋がりがありはしないかと思ったんですが、まっ、いいでしょう。

展示物はわりと質素でしたが床は光ってました

あれです、カルコの入場料は200円で入り口で木戸銭を払うんですが窓口には誰もいないのであります。

先を急ぎたい気持ちもありましたが無賃入場は気がひけるのでしばらく待ちました。
が、誰も来ないし呼び鈴も無いのであります。

と、言う事で、後払いってことで入場し展示室に入ると、係りの人と思しき紳士が先客に縄文の薀蓄を垂れていたのであります。

そーか、来場者があるとマンツーマンで説明がつくのか、そーか、自分は当たらなくて良かった、なんて事を思いつつ展示室を回ったのでありました。

なんと申しましょうか、ここも亀ヶ岡遺跡のものを展示しているわけですが、狭い地域でおらが村意識を出してこじんまりした施設をたくさん作るよりも一箇所に集約してデーンと見せた方が良いと思ったんですが、まっ、大きなお世話であります。

いや、薄味と言ったら失礼ですが世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」にあやかりたいって姿勢なのはわかるんですが、津軽の施設はブームが終わった後の存続が厳しいんじゃ無いかと思ったってのは内緒です。

   つづく


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