じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

着るものが無い

2013-05-31 14:22:55 | 日々の雑感
こんだけ暑くなったら夏物の服しか着られないんだけど・・・いや、別に根性を絞り出して来ていても良いんだけれども、それだと汗も絞り出されちまうんで、拙いと思う訳です。

いや、来週、一寸したお呼ばれが有って出掛けるんですけれども、多少改まった格好が必要なんですけど、おっさんは夏物のスーツなんて持っていない訳です。

紋付袴は日本人の身だしなみとして持っているんですけれども、そこまでのモノ要らないと言う事で・・・いやぁ~困ったぞぃ・・・たった一度のアレに買ってまで着ていく気には毛頭ならない訳で・・・だから、貧乏人の生き延びる鉄則は、義理を欠いて恥もかくと、言う事なのに、義理に乗っちまったからなぁ。

フィリピンの正装って良いんですぜぇ~・・・白いシャツ一枚と黒いズポン一本で総て間に合っちまいます。
白いシャツはバロンタガログって言う・・・ほら、昭和のあの頃、日本のテレビにもちょくちょく出ていたマルコス大統領が来ていたアレ・・・知らないか?

しかし、バロンタガロクの高級品は、シャッ一枚で2~3万円しちまうんで、お手軽でもないんですけどね。

人民服って良いよなぁ~・・・日本にも国民服って時代が有ったんだがなぁ~・・・義理を果たして恥をかく・・・これは痛いので友達から借りて行こうっと。

おっさん、厳冬期の冬山装備のジャケットとかスキーウェアーならそこそこ良いモノを持っているんですけどねぇ~。

あっ・・・靴も無いんだわぁ~・・・登山靴なら4足も有るし、スキー靴も3足有るんだけど・・・その他と言うと、スニーカーしか無いんですわぁ~。

着流しに雪駄で行きますかぃ? テーマソングは、網走番外地、で。

川崎重工が稲わらからバイオエタノール製造 1リットル40円で

いや、これは凄いですね・・・バイオエタノールはブラジルでお盛んであったと記憶してるんですけど・・・。
でも、採算性がドーのコーので下火になったとか聞いてましたけど。
日本は植物由来の燃料に命かけた歴史が有りますからね・・・大東亜戦争当時の松根油は皇国の勝敗を左右した訳でありますが・・・。

ブラジルはいかにバイオエタノールをモノにしたのか

いや、気になったんで検索したら良さげな記事が一発でヒットしました・・・軌道に乗せて輸出までしているんですね。
ドーリで日本も地味に研究し続けた訳だわぃ・・・成功例があるんですもんね。
しかし、ブラジルがサトウキビなら日本は稲藁と言う事で、これ、汎用形のプラントで、稲でサトウキビでもなんでも来い、となったら、東南アジアでは売れるでしょうね。

バ イ オ エ タ ノ ー ル 実 用 化 の た め の 取 組 ( 秋 田 県 )

上記のリンクは秋田県のモノなんですけど、現状やら仕組みがとても良く分かります。
で、ズーッと下まで見て行くと、現在のコストが1リットル90円と出て来るんですけれども・・・ただ今今日のガソリンの高値安定価格、140~150円を行ったり来たりしている現状を鑑みれば・・・これに税金掛けられちまったら元の木阿弥なんですけど、しかし、国内で生産されていると言う事で、銭が国内で廻るのと、為替に左右されない利点など考えると、是非とも実用化して欲しいもんであります。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年 初 !!!

2013-05-31 13:11:37 | 日々の雑感
今年初めてだった・・・いや、初物だからって嬉しくは無いんだけど・・・蚊に喰われた。

それだけ暑い日なんですね・・・関東までは梅雨入りですと?

おっさん、焼きそば党だからつゆ入らないんだけど・・・日本人としては逃れられない宿命か?

いや、北海道には梅雨が無いとか言うらしいけど、あるよなぁ~・・・日本列島から伸びる梅雨前線の繋がりが津軽海峡で切れているんでそうとは見えないけど、六月末頃から七月頭にズーッと雨ばっかしっての、あるよ・・・その頃に三回行ったけどいつも雨にやられてるもん。

根室とか釧路って、夏は有るのかね? 真夏だと思って行ったのにガソリンスタンドでストーブ焚いてたし。
網走から稚内に向かってもそうだったな・・・また行きたいな? 行くか? カブッチで。

ところで・・・自由と気侭と我が侭を考えていたんだけれども、大体解ったぞ。
まず、自由は特別な説明が必要なんで後回しにするとして、我が侭と言うのは、他人を巻き込んだ気侭で、気侭は、他人を巻き込まない我が侭なんだね・・・好き勝手やっていても実質的な影響を他人に及ぼさないのが気侭と言う事で良いと思うんだけれども、ドーですか?

で、自由なんだけれども・・・精神的なモノだけに限って考えてみても、自由は無いんじゃないかな? と、思ったんだが・・・。

いや、大層なお題に簡単な理屈で申し訳なんだけど、そもそも、生まれたのが偶然で、死ぬのが必然と言う、自分ではどうしようもな不自由に一生を支配されているのに、その間の自由って・・・もしも、人の一生が神だの仏だの、そう言う存在の計らいによるとすれば、生きてる間の自由なんてのは、神様や仏様の手の平の上の足掻きと言う事じゃないか? と、思う訳ですけど・・・如何なもんで有りましょうか?

よって、自由なんてのは錯覚と言いますか、言葉遊びでありまして、侭ならない人生に足掻いた挙げ句に考え出した・・・桃源郷的存在なのでは無いかと思う訳です。

いや、精神的に自由になる・・・そう言う奴が居るのだろう事は予想済みです。
で、例えば、仏教の方で言う四苦八苦を精神力で克服して、総てを呑込んで平然としていられるようになった・・・生きたまま死も乗り越えたと言う、悟った人が居るとしても・・・その人は、死を意識した所から始まって、意識の外に追いやったと言いますか、意識しないようになった訳であります。

しかし、まっ、これはおっさんが凡夫であるが故の考えなのかもしれませんけど、意識しないように意識している訳で、要するに、捕らわれているじゃないか? と、思うんですけど・・・。

たしか鈴木大拙の本だったと思うんですけど、悟りとか無とか、そう言うのを表すのに言葉は役不足である、と言っていたと思うんですけど・・・ホント、大賛成ですわぁ~・・・無とか、有とか言葉にしちまうと、自分の記憶の何かに結びつけた具体的な像と重ねあわせないと輪郭が浮かばない訳で・・・そうなっちまうと、百人百様の無や有が生まれちまう訳でスカラ、伝わる訳も無いんですよね。

なにっ? そう言う事は考えない? 趣味じゃない? あなた様はとても幸せだと思います。

と、言う事で、おっさんは気侭に生きる程度にしておこうかと思う訳であります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする