田無の万華鏡 (旧名田無の日記帳)

西武新宿線の急行が鈍行になってしまう街、井口資仁を生んだ街、田無に住んでるカオスな人が野球について語るブログ。

2004-12-30 22:07:00 | 野球
東京ドームの外野席側の入口付近、地下鉄後楽園駅の近くに「石」がある。
開場した昭和63年、当時の12球団のペットマークをあしらった「石」。
野球観戦の待ち合わせポイントとして、幾度となく使わせてもらった。
昭和63年といえば、まだホークスがまだ南海であり、阪急ブレーブスがあった時代。
当時のペットマークで残っているのは、パリーグでは西武だけ。
セリーグでも巨人、阪神、広島のみである。


この石が誕生した昭和63年は、阪急ブレーブスのオリックスへの譲渡が決まった年でもある。
阪急最終戦で当時の上田監督は「ブレーブスは阪急のものでもオリックス(この当時はオリエントリースだったが)のものでもなく、ファンの皆様のものです」と挨拶、いや訴えていた。
そのファンのものであったはずのブレーブスはブルーウェーブと名前を変えた挙句、ついに今年限りで消えた。
確かにブレーブスのファンはプロ野球球団を運営するには少なかったのかもしれないが、そのファンに対して、十分な説明は行われることはなかった。日本を代表するリース企業、そして金融、不動産など多方面に事業を拡大した大手企業の仕事としては、お粗末、いや情け無さすら感じた。

同じ昭和63年にダイエーへ身売りしたホークス。今年はソフトバンクへ身売りされた。
ダイエーが福岡で創ってきたイメージをそのままに更なる飛躍を目指すソフトバンク。
ただ、その飛躍の道には危さも感じない訳ではない。
ヤンキースの向こうを張って年俸総額100億円球団を目指すというソフトバンクホークス。
ただ、メジャーで、そしてセリエAで、プレミアリーグで、そうやって金満球団を目指したチームの多くが今深刻な財政危機に見舞われていることを忘れてはならない。

いずれにせよ球団を作っていくのは企業の意向よりもファンや地域、そしてもちろん選手。これからはそうなっていく、いやそうなっていかなくては。
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